四・九

 あの最悪の世界での堕落した僕を経験してから、僕は反動からかすっかり学問にのめり込むようになった。語学、政治学、経済学、医学、農学、化学など様々な学問を研究してきたが、特に僕が好んだのは哲学と物理学だった。前者は個人的な興味から、後者は栞を助けるための知見と世界改変の仕組みを解明するためだった。量子力学、素粒子物理学、宇宙物理学、他にも色々手を広げてみた。けれど結局栞を救うことはおろか、力の解明の足掛かりすら得られることはできなかった。だから仕方なく科学的解明は諦めて哲学的解釈のみに留めることにした。


 この頃から、僕は頻繁に頭痛と物忘れに悩まされるようになった。脳が押しつぶされるような痛みや、とっさに人や物の名前が出てこなくなることが多くなった。両方ともとても深刻で、時折処理落ちしたように頭が働かなくなることさえあった。原因も対処法も分からないのがとても気持ち悪かった。


 結局その理由は、今より遥かに科学技術が進化した世界で判明した。それは過剰な記憶データの蓄積によるものだった。


 数億の世界を渡り歩く過程で、僕はその全ての記憶を引き継いできた。その結果常人には到底処理しきれないほど膨大な大きさのデータとなった記憶が脳の容量を超え、改変の度に僕の脳を圧迫しているらしかった。幸いなことに、その世界では海馬に蓄積された記憶データを視覚化して書き換えたり削除したりできる技術が確立されていたため、僕はそこで大量の不要なデータを削除した。おかげで随分と記憶が整理されたが、それでもデータ量が膨大なことは変わらなかった。僕の脳にも記憶整理技術にも限界はある。これ以上の改変は、いつか必ず僕の精神に異常をきたすであろう。記憶喪失か、はたまた自我喪失か。いずれにせよ栞を救うことは困難になるに違いない。


 気づけば僕に残された猶予は残り僅かになっていた。



 ——僕が神になる決意をしたのは、それからすぐの世界でのことだった。

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