第5話


 放課後を告げるチャイムが鳴り響けば、一気に教室内が騒がしくなる。本来であれば真っ直ぐに寮の自室に戻る所だが、ついチラチラと筒井律の姿を盗み見ていた。


 結局あの二人はお昼休みの終了5分前になるまで戻って来なかった。

 およそ40分近い間二人きりだったことは間違いなく、何を話していたのだろうと気になってしまう。

 

 「律ちゃん!」


 柔らかい女の子らしい声色。

 筒井律のことを下の名前で呼ぶ生徒なんて、これまで一人もいなかった。


 彼女の名前を親しげに呼んだのは、今日転校してきたばかりの佐藤ひなだ。

 

 「よかったら一緒に帰らない?」

 「いいよ。けどこれ提出しないといけないから、職員室に付き合ってもらっても良い?」

 「もちろん」

 「ひながおすすめって言ってたお店、せっかくだから行こうよ」


 品がない行為だと分かっているが、つい聞き耳を立ててしまう。

 楽しそうに話す二人の会話に、信じられない思いで眉間に皺を強く寄せていた。


 どうしてあんなに仲良くなっているのだろうか。そもそも、これから二人で遊びに行くなんて信じられない。


 あの筒井律が、特定の誰かと仲良くするなんてこれまでだったら考えられないことなのだ。


 「そ、それってデートじゃない……」


 小声で呟いてから、そもそも女同士なのだからデートも何も無いことに気づく。

 酷く動揺しているのか、心臓は相変わらずバクバクと嫌な音を立てていた。


 会って早々に、佐藤ひなが彼女の心を開いて親しくなった事は事実なのだ。


 「転校生と筒井さん、どうしてあんなに仲良くなったのかしら……?」

 「気が合うとか…?」

 「もしかして、佐藤さんは筒井さんのタイプだったりするのでは…」


 クラスメイトのひそひそ声が、耳に引っ掛かる。薄らと蘭子も考えていた事だった。


 「ああいう雰囲気が柔らかくて、女の子らしく清楚な人に魅力を感じてしまうのかも」


 つまりああいう女の子が律は好きなのか。

 見るからに男ウケしそうな、優しそうで可愛い華奢で清楚な女の子。


 「……わかりやすいわね」


 確かにひなは可愛いけれど、散々氷の女王と謳われていた彼女があっさりと恋に落ちるなんて信じられない。 

 所詮は律も人間で、自分の好みドンピシャな相手が現れれば意外な一面をあっさりと見せるのだ。

 

 10年以上近くにいた蘭子ではなくて、会って数時間しか立っていないひなに律は感情を揺れ動かされている。


 一人で寮に帰ってきてから、ドレッサーの鏡をじっと見つめる。

 ピンクブラウンのマスカラで彩った瞳に、お気に入りのアプリコットピンクの口紅。


 「……私の方が可愛いのに…」


 容姿を褒められることはしょっちゅうで、目はひなよりもぱっちりとしている。だけど清楚さは彼女の方が優っていて、蘭子はどちらかと言えば派手な顔立ちだ。


 もしも彼女が少女漫画のヒロインだったら、蘭子は気の強いクラスメイトのような悪役顔だろう。可愛いけれど、決して主人公にはなれない。


 筒井律から可愛いと言われたことだって、一度もないのだ。


 「……可愛い……よね」


 あんなに自信があったのに、どうしてこんな些細なことで不安になっているのだろう。

 自信に満ち溢れていて、皆んなに憧れられる央咲蘭子が柄にもなく俯いている。


 本当にバカみたいだと、喝を入れるように自分の頬を両手で挟み込む。


 じんわりとした痛みは胸から広がっていて、一体これは何なのだろうと唇を噛み締めていた。





 カチカチと時計の秒針だけが鳴り響く室内は、気づけば蘭子以外誰もいなくなっていた。


 時刻は既に夜の8時を回っていて、皆自分の部屋へ帰って行ったのだろう。一度大きく伸びをして、蘭子も参考書を片付け始める。


 自室では集中することができずに、校舎内にある自習室で勉強をしていたのだ。


 これも全て筒井律に勝つため。明日は英語の小テストがあるため、リスニング教材を用いて何度も耳を慣れさせていたのだ。


 鞄を肩にかけて、寮までの道のりを歩いている時だった。

 見知った彼女の姿を見かけて、ぴたりと立ち止まってしまう。いつも一人だった律の隣には、当然のようにあの子の姿があった。


 「それ本当?」

 「嘘じゃないって!でも良かった、律ちゃんがいて…みんなお嬢様ばったかりだから馴染めるか不安だったの」


 筒井律だって十分お嬢様だと言うのに、ひなは何を言っているのだろう。ムッと唇を尖らせていれば、律が酷く優しげな眼差しで彼女を見つめていることに気づく。


 「……ッ」


 ゆっくりと律の手が伸びて、ひなの頭をぽんぽんと撫でていた。

 信じられない光景に、目を見開いて凝視してしまう。


 「不安なことがあったらなんでも言ってね」


 そう言ってはにかむ姿は、今まで一度だって見たことがない。

 ギュッと鞄を握る力が無意識に強くなってしまっていた。


 「は……?」


 あれは誰だろうかと、必死に思考を張り巡らせる。氷の女王を纏う雪が、日向に照らされて溶け始めたとでも言うのだろうか。


 あんな顔、初めて見た。優しげで、柔らかい雰囲気を纏った筒井律の姿。

 初等部から一緒だった頂点の女の子が、初めて見せた表情。


 それを今日会ったばかりの転校生が引き出していると言う事実に、なによりも衝撃を受けているのかもしれない。

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