第12話 見惚れる手際

 料理を作るということ。それは味覚を喜ばせるだけじゃない。作るプロセスも楽しい。自分がつくっていても楽しいが、他人がつくっている様子というのも目を楽しませてくれるものだと思う。


 人間の指はこんなに美しい生き物だったのか。青少年センターの料理会のたびに俺は見惚れてしまう。


 何にって、それは田村さんの手元だ。なんで見つめているのかって? だって、自炊の先輩なんだから、その無駄のない動きを真似て自身の上達を図ろうとするのは当然だろう?


 包丁の背にすっと伸ばされた人差し指は細くて長くてたおやかだ。食材を押さえるために丸められた指の曲線は、猫のように愛らしい。まな板の上に散らばった野菜を掻いて集めるその指先の動きはしなやかで優雅なダンスを踊っているかのようだ……。


「お兄ちゃん、なんで、田村先生を見てんのー?」


「見てんのー?」


 小学生男児二人の声で、俺は我に返った。


「う、上手くなりたいからだ。熟達した先人を模倣することは大事だ。ええと、『まなぶ』ことは、『まねぶ』……つまり真似をすることから始まり……」


 俺は小学生に人生の先輩らしく奥深い話をしてやろうとしているのに、彼らは途中で聞くのを止めてしまう。おい。


「じゃあ、白河おばあちゃんを見ればー」


「白河おばあちゃん上手だよー」


 白河おばあちゃんは眉を上げる。


「あらまあ。こんなおばあちゃんの手なんか見ててもしょうがないでしょう?」


 中年の気風の良いオバちゃんが笑い飛ばす。


「若い女の子がいいわよねえ」


 子どもたちは不思議そうだ。


「なら、一番若いのは由希子先生だよねー」


「”だいがくせい”だもんねー」


 由希子先生と呼ばれた学生の女の子は、慌てて首を振る。


「いえいえ。一ノ瀬さんが見つめていたいのは、あくまで田村さんで……」


 え?


「俺、そんなに田村さんばかり見てました?」


「……」


 皆が色んな表情で無言なので俺は慌ててしまう。


「あの……俺はですね、料理に慣れた人の手の動きを観察して、そして見習おうと思ってですね……」


 田村さんがため息をついた。な、なぜ、そんな物悲しそうな顔を?


「一ノ瀬君も充分に手馴れているよ。私を真似なくたって」


 そして、困った顔で笑い顔を作った。


「人に気を取られてしまうくらいだから、もうここで作る料理は一ノ瀬君には簡単すぎるんじゃない? きちんとした料理教室に行ってみたら?」


 遠回しに「もう自分の側に近づくな」と言われているような気がする。そして、その言葉に、俺は、俺が思う以上に衝撃を受けた。頭の片隅がグワンと鈍く殴られて、そして痺れてしまったような……。


「なんで……」


 田村さんは俺には答えてくれず、他の人たちを見回した。


「さ、皆止まっていないで早くつくろう。ここの調理室を借り切っている時間は限られてるんだから」


 誰も何も言わずに作業を再開する。田村さんが「もう来るな」というに等しい言葉を口にしたのに、誰もフォローしてくれない。


 俺は、そんなにこの人達に嫌われてしまったのだろうか……。


 俺は動揺したまま作業を続け、食器を2,3回落としてしまった。青少年センターの食器は全てメラミン食器だから被害はなくて済んだが。せっかく作った料理の味も全く知覚できず、そして後片付けの食器洗いからも外されてしまった。


 することもないので、先に青少年センターから帰途についた。機械のように自分の身体を操作して、電車に乗り、自宅に着いて風呂を浴び、そして布団に入る。


 だけど、目が冴えて眠れない。


 いったい何が起こったんだ? 俺はそんなに田村さんばかり見つめていただろうか……?

 そう問いかける俺に、別の俺が答える。


 ──うむ。確かに田村さん以外の指先は思い出せない。


 俺は自問自答を重ねる。


 それは不自然に長かったのだろうか……?


 ──分からない。見ていると時間を忘れていたから、長いのか短いのかも分からない。


 女性をじろじろ見てるなんて、まるで気があるようだと思われたんじゃないか?


 ───そうかもしれない。


 じゃあ、誤解は解くべきじゃないのか?


 ──誤解を解く? 俺は田村さんに向かって「俺は貴女に女性としての好意を持っていません」と言うのか?


 この問いには俺の中で明確な答えがあった。「違う」と。断じて違う。俺は彼女に好意を持っていないはずがない。


 回りくどい思考を重ねて、俺はようやくはっきりとした答えに辿り着いた。


「俺は、田村さんが好きなんだ……」


 意外だった。


「恋」というものは、もっと華々しく天上から降って下りてくるものだと思っていた。


 千石さんのような高嶺の花に恋焦がれながら、なんとか攻略していくものだと思っていた。地味なのは俺一人で十分で、俺のパートナーとなる女性にはもう少し華やかな人が傍にいて欲しいと思っていた。そんな人が、俺の作る料理を食べてくれたらいいのになあと。


 だけど、そんな人が俺の隣で料理をしている光景は思い浮かばない。


 一緒に料理を楽しめる人がいい。だから田村さんが好きなのか。


 いや、それだけじゃない。一緒に料理しているというなら、料理会に参加しているすべてのメンバーが対象となってしまう。白河おばあちゃんから由希子先生まで皆さん素敵な方々だが、俺は博愛主義者でも無節操な男でもない。


 田村さんだけが特別なんだ。


 そう。特別だ。どこがって、それは……。


 俺はしばらく言葉を探した。理系の俺にしてはかなり頑張ってみたが、自分の心を言い表す表現が見つからなくてとうとう匙を投げた。


 恋愛とはこういうものと端的でクリアカットな定義があるならば、世の数多あまたの小説、漫画、アニメ、ドラマが存在する理由もなかろう。


 俺は田村さんと一緒に料理をし、その美しい指先を眺め、そして料理の感想を共有し、そしてもっと長い時間を共にしたい。


 その願いは強くて、そして単に強いだけではなく、質的にも特異な感情だ。他人にとっての恋愛感情というものがいかなるものか知らないが、そんなことはどうでもいい。俺はとにかく田村さんと料理をしたいのだ!


 次の料理会に俺は勇気を振り絞って出席した。

 

前回「ちゃんとした料理教室に通えば?」と言われてしまったから、今回も「また来たの?」と冷たくあしらわれる可能性もそれなりにある。

 

幸い、皆の態度はいつもどおりだ。田村さんも。


 よし。田村さんの口から再び「よそに行けば?」と言われてしまう前に、俺の方から申し出よう。


「田村さん、あの……」


「うん?」


「あの、来週には、く、クリスマスが控えているわけだけど……」


「……」


「い、い、い、一緒に食事に行きませんか?」


 田村さんは一瞬だけ目を見開き、しばらくまじまじを俺を見つめた。そして床に視線を落とす。その顔には憂いの色が濃い。


 なぜそんな悲しそうな顔をするのだろう? 俺の誘いが嫌なら単純に「行かない」と言えばいい。そして、何もなかったように今日の料理に取り掛かればいい。

 今日はクリスマスを記念してフィンランド料理だし。


 あ。田村さんは優しい人だから、人の誘いを断ることを心苦しいと思ってしまうのだろうか。それにしては前回「ちゃんとした料理教室に行けば?」と言ったのは結構キツかったと思うが。


 ともあれ、逃げ道も提示するのが、誘った側のマナーであろう。


「あの、嫌だったら断ってくれて全然かまわないから」


 田村さんは俺を見つめて、ゆっくりと首を横に振った。その顔には諦念が浮かんでいる。


「ううん。一度ちゃんと食事をしよう」


 う、うん。


 誘って承諾されて、俺は嬉しいはずなのだが。とても喜べるような雰囲気ではない。


 しかも会話はそれきりで、結局どこの何の料理を食べるのかも尋ねてくれなかった。ウケ狙いで、クリスマスディナーとは全く縁遠いお店の予約を取ったのに。「あんなところでクリスマス?」と笑ってもらうはずだったのに。




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