八日目:「さらさら」『遺書を書く』

 だいたいにおいて、遺書はさらさらと書ける。

 我慢し耐えてきたことを書けばいいだけだからだ。

 しかし長く書きすぎるとそれはそれですっきりしてしまって決行する気を失ったりもするので気を付けなければならない。

 

 などと。

 今日も俺は愚かにも遺書などを書いている。

 毎日毎日遺書を書く。

 いつ消えてもいいように、ではなく、いつも消えたい気持ちであるので気分のままに遺書を書く。

 できた遺書はPCのデスクトップの中央に配置して、すぐ気付かれるように。

 しかし俺が消えた後に俺のPCを開く奴などいるのだろうか?

 故人のプライバシーを重視してPCはそのまま廃棄になるかもしれない。

 しかし遺書は書く。

 俺がこんな風になった原因となる人物を告発できれば一番良い。

 そいつのために遺書を書く。

 ある種の執着なのかもしれない。

 だが、執着でもしなければ俺はこの絶望的な人生を到底受け入れることができない。

 何の原因もなくこうなったと思うことは、理不尽さを放置する行為だからだ。

 人間は理不尽に弱い。だから、なんでも原因を見つけたがる。そのせいで人間は視野が歪み、誰かを傷つけ責め立てる。

 そう思うのはマイナス思考だろうか。

 しかしながら毎日遺書を書いている男にマイナス思考をするなと言う方が無理なのだ。

 毎日遺書を書いている奴が圧倒的プラス思考であったらそれはそれで歪んでいるのではないかと思う。

 死を受け入れること。

 まだまだ生きられるのに勿体ない。そう言う諸君もいるだろう。

 だが俺はもう疲れてしまった。日に日に減る預金、治らぬ病気、増える薬。遺書でも書かなければ生きられない。

 いつでも消えられるように、準備だけは万端にしておく。

 だが、他者に迷惑をかけずに消える方法などない。

 それが今一番の問題であり、懸念事項であるのだ。

 社会の役に立たない人間は消えた方がいい、とあの猫好きなインフルエンサーも言っている。

 だから俺は消えた方がいいのだ。

 それは責任転嫁なのかもしれない。

 なんでもいいから消える理由が欲しいだけ。

 原因にされる方も哀れではある。

 わかっていながら遺書を書く。

 書くことでしか己を保つ方法がない。

 哀れなり。全て哀れなり。

 そう思いながら他者を羨み、「あれ」を憎み、インフルエンサーを理由にする。

 醜い姿。

 知っているから遺書を書く。

 

 今日もさらさらと書き上がる。

 それをデスクトップの中央に置き直して、寝る。

 明日も俺は遺書を書く。

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