46.極めて軽い羽


11月12日 土曜日 午前11時00分


「やっほー! 葉ちゃん元気ー?」


 私は麻霧 葉のいる病室の扉を開けながら声をかける。彼女はベッドにいたが上体は起こしていて、うつ向いて白いリネンをじっと見つめている。個室だから外の景色は彼女が独り占めだというのにもったいない。眠っている葉の姿はおとぎ話のお姫様みたいに見えるのかなと、ちょっと期待していたけれど、彼女は起きていても十分美人だった。侍が惚れるのも無理はない美貌で羨ましい限りだ。


「警察の聴取も落ち着いたし、色々必要なものを葉ちゃんのお部屋からもってきたよー」


 同級生と積極的な交流をしていなかった葉のマンションをクラスで知っているのは侍と、そこで1日監禁されていた私だけだった。当初、私が葉のお見舞いに行くことに、侍は危険だからと猛反対した。でもこういう時こそ女の友情というやつは発揮されるもので、私は特に心配せず、彼女の病室に入ってベット脇の椅子に腰かける。


「下着に、着替えに、寒くなってきたから羽織るものに、コップに、月のものの色々に、先生から隠れて食べるときのおやつに……」


 私は持参した紙袋の中身を説明するが、葉は私を見ず、感謝の言葉も、帰れという拒否の言葉もなく、静かに同じ言葉を呟き続けていた。


「……す。殺す。殺す。レプトを殺す。殺す。殺す。殺す」


 私は思わず肩を落としてしまった。体の傷は大事には至らなかったが、彼女の心の傷は相当深く、抜本的な治療が必要らしい。近く、別県の療養所に移ると看護婦さんから聞いた。


「……葉ちゃん、今日は私からのプレゼントを持ってきたよ」


 正確に言えば侍と私からなのだが。私は紙袋から赤とクリーム色の2色で構成された小さい箱を取り出す。


「じゃじゃーん! 手回しラジオだよ!」


 手回しで充電できる、電池いらずの小型ラジオだ。侍は水没して使えなくなったであろう音楽プレイヤーの代わりを、なけなしの貯金をはたいて買おうとしたが私が止めた。今時スマホで音楽を聴けるのに、わざわざ音楽だけ再生する機械を買うのはお金がもったいない。スマホ以外で聴くにしても、何か遊び心が欲しいところだ。


「これについてるハンドルをグルグル回して充電してから、スイッチを入れてチャンネルを合わせるの。回してるときにどんな曲が聞けるかな~? って想像するのが楽しいの」


 私も小説執筆のときによくやる。原稿からの逃避と言う面もあるけれど。


「で、自分の知らない曲が聞けて、それがいい曲だと実にエモいんだなぁ、これが! ぜひお試しあれだよ!」


 葉の手元にラジオを置いてあげる。サスペンス小説ならここで手を掴まれて、殺されるという展開はありそうだが、そうはならなかった。ただ葉はずっと私の好きな男の子への呪詛を口にしている。


「じゃ、葉ちゃん。お大事にね」


 彼女の回復を心から願って、私はそう口にした。


「あ、そうだ。あのね、葉ちゃん」


 病室を出る直前、私は彼女に言うべきことを思い出した。ドアノブから手を離し、振り返って彼女を見る。


「みんなが色んな事を言うかもしれないけど、葉ちゃんは、よく頑張ったよ」


 侍の予想は大方当たっていた。もう一人の『私』ではなく、私が調べたところ、中学時代の葉は家庭環境が原因で周囲から遠ざけられ孤立していた。葉の母親の死後、彼女が孵化崎 堅碁と連れ立って歩いているのが目撃されてから、AIAの活動は始まっている。侍が言う通り、彼女をリーダーとしてAIAは始まったのだ。下調べが甘かった自分が情けない。

 そうやって誰にも助けてもらえない中、葉は自分一人でなんとか生きようともがいた。もがいて、傷ついて、開いた傷口が塞がらないうちにまた傷ついて。そうやって彼女はこんな風になってしまったのだろう。

 私が彼女の凶行に手を貸したことへの、罪の意識から逃れたいだけなのかもしれない。けれども私は彼女に優しい言葉を与えたかった。精いっぱい孤独と戦った人の末路がこれだなんて、あまりにも悲しすぎるから。身も心もボロボロになるまで孤独と戦い続けた彼女へ私は告げる。


「たった一人で、よく頑張ったね」


 病室を出る直前、手回しラジオのハンドルが回る音が聞こえた。


 ◆


「君は葉の……」


 病室を出たとき、知らない顔のおっさんと鉢合わせた。多分こいつが葉の父親なのだろう。


 お前が葉ちゃんを放っておいたからこんなことになったんだろ、このすっとこどっこい!


 と、罵詈雑言を浴びせながら、ケツに蹴りでも入れてやりたがったが、私も『私』もそんなキャラじゃない。だから一瞥くれてやって舌打ちするだけで勘弁してやった。今日履いてるスニーカーはお気に入りだし、汚したくない。


 病院を出ると、秋空が目の前に広がった。住宅地から離れたところにあるこの病院の周辺は空気が綺麗だ。私は澄んだ空気を目いっぱい吸ったあと、近くのベンチに座っている男の子の元に向かう。彼はイヤホンで音楽を聴いて私を待っていた。彼の名前は青座 侍。私の好きな男の子であり、今一番腹を立てている奴でもある。だから私はまだ私として彼に声をかけない。代わりに『私』に出てきてもらう。彼女は私と違ってこの展開が、気に入っているだろうから。


「ようよう、侍! 人様に見舞いをさせておいて音楽鑑賞とはいいご身分じゃなぁ!」


 彼は私が近づいていてくるのに気づいていたのか、さほど驚く風でもなくイヤホンを外して私を見た。


「ごめん。僕が行くと、絶対によくないことになるから」

「ま、そうじゃろうなぁ。お主のこと、殺す殺す言うとったぞ」


 彼は穏やかにそれでいいと笑った。インスマスたちではなく、自分だけを恨んでくれるなら被害は少ないからと。


 ばか、馬鹿、バーカ。そうやって全部一人で背負い込むのを、私はやめて欲しいのに。

 そんな私の気も知らないで、彼は私のことを優しい眼差しで見てこう呼ぶのだ。


「お見舞いありがとう、軽羽 きわみさん」


 軽羽 きわみ。私、恋路 琉衣のもう一つの名を。

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