7章 ニセハロウィンナイト

37.ニセハロウィンナイト


 10月29日 土曜日 午後6時30分


 商業ビルや立体駐車場が見下ろすように囲む、ターミナル駅のペデストリアンデッキには、仮装をした多くの人々が行きかっている。本来のハロウィンは明後日なのだが、本来の風習に無関心な日本人は、次の日に寝坊をしても問題がない、今日の夜をハロウィンとして楽しんでいるようだ。今の僕はその無関心さが生み出した偽物のハロウィンに感謝するばかりだ。デッキを進むトカゲ男レプトも、仮装の群れの中であればさほど怪しまれない。

 周囲を見渡すと、そこそこの数の警官がいるのがすぐに分かる。先週の『暴露作戦』のような騒乱の再発を防ぐためと、純粋にこういったイベントで騒ぎを起こすバカを取り締まるために配備されているのだろう。彼らの手には銃口の開いていない、市民に威圧感を与えないようピンクに塗装されたライフル銃を持っている。これはみかりの予想通りで、用意していたセカンドプランが使えないことを意味していた。


 ワンチャンスのぶっつけ本番。


 我ながら酷い作戦だと自分をなじる。だけどやり遂げなければならない。群衆の中にラフトラックと彼に連れられた琉衣の姿を認めると、僕の神経が張り詰めた。


「やぁ青座君。そこで止まれ」


 みかりを連れたトカゲ男の姿を認めたラフトラックは、片手を上げてレプトを自分から数メートル離れたところで止めた。距離が離れているので大きな声を出してはいたが、行きかう誰もがもラフトラックに特別な注意は向けていない。琉衣の手が後ろで縛られていることもだ。仮装か何かと勘違いされているのだろう。人質交換に現れたラフトラックは、僕の指定通り一人で来ていたようで、付近に葉の姿は認められない。ここまでは計画通りだ。問題ない。


「いや雰囲気を大事にしてこう呼ぼう<魚人殺しのレプト>」


 ラフトラックは僕のこれまでの行いを改めて認識させるように、目の前のトカゲ男を皮肉たっぷりに呼び直してくる。


「約束を反故にするようで恐縮だが、東堂君を引き渡したあと、また我々と同じ道を歩まないか? 君は麻霧君のお気に入りだ。彼女のモチベーションのために、君にはまだAIAいてほしいんだ」


 レプトの隣にいる、結束バンドで手を縛られたみかりは、まっすぐラフトラックを見据えている。怒っているのだろう。無関係な人間を巻き込んだことと、自分を騙して虐殺に加担させたことに。みかりの怒りも含めた言葉が、レプトのマスクの奥から響く。


「断る。罪のないインスマスを傷つける可能性がある限り、僕はAIAを否定する」

「本当にそう思ってるのか?」


『HAHAHAHAHA!』


 こんなときまで、あのふざけた笑い声が聞こえてきて僕は少し面食らう。どうやらラフトラックは腰に小型のスピーカーを括りつけているようで、そこからいつもの笑い声を再生しているようだった。


「まぁ、仮に本当に君の言うとおり、DWもなく罪のないインスマスたちがいるとしよう。だが君は彼らを許容するか? あの不快な生き物がバスで隣の席に座ることに耐えられるか? あの怪物の雌と子作りすることに耐えられるか?」


 下品で粗野で差別的な例え話をする白づくめの男の横で、琉衣が目を瞑っている、今すぐに開放してあげたいが、今はじっと気取った差別主義者の言葉を聞いてやる。


「私には無理だね! 不気味で生臭くておぞましいインスマスどもに、この世界で生きる価値などありはしないさ! だから我々が今までは政府に代わって、奴らを『駆除』していたんじゃないか!」

「……あなたの話には一部同意する。命にはそれぞれ価値があり、僕らと彼らの間には埋めようのない違いがある。それは確かだ」


 もしかすると、自分に価値がないと思っていたちょっと前の僕なら、彼に全面的に同意してしまっていたかもしれない。だけど今は違う。


「でも価値と差異の有無で、誰かの生き死にが決まってしまうなら、僕はそれを否定する」

「今さら博愛主義にでも目覚めたかね、魚人殺し君? 次はクジラやイルカに選挙権を与えようとでも言い始めるのかね?」

「違うよ。違うんだ、ラフトラック」


 トカゲ男は首を横に振る。


「僕がこの世界で生きていたいからだよ」


 正直に言えば、今も僕という人間に価値があるとは思っていない。だけど僕は自分の人生を愛おしく思うようになっていた。価値が無くても生きてていいと言ってくれた人がいたから。生きるとはそういうことじゃないと、教えてくれた人がいたから。


「価値のない者、思考が異なる者、差異のある者としてインスマスを殺し続けたら、彼らに向けたVALはいずれ自分に向かう。必ず、その順番がくる」


 歴史とニーメラーがそれをすでに物語っている。そんなのはごめん被る。僕はやっと僕の人生を愛せるようになったのだ。この命は最後まで自分のために使いたい。


「自分や誰かが死に続ける平和な世界を守るくらいなら、僕は自分が大切な人と生きていられる、いずれ邪神の復活で滅ぶ世界を選ぶよ、ラフトラック」


 ラフトラックは僕の話を聞き終わると、深いため息をついた。


「今の君を見て思い出したものがあるよ、魚人殺し。学生時代に読んだカフカの『城』。その主人公の『K』だ」


 未完だけど良い本だ。普段の僕ならそう返しただろうが、レプトは沈黙する。


「大っっっっ嫌いだったよ、その主人公が」


 残念だ。僕は結構好きな本なのに。


「城の周囲に住む人々が皆規範に従い、自分のささやかな幸せを享受しているのに、『K』はあれもほしいこれもほしいと駄々をこね、人の女に手を出す。欲深くて高慢でエゴイストの彼が嫌いだったのさ。君はその『K』にそっくりだ」


 歴史的名著の主人公に例えてもらえるとは恐悦至極だ。


「私を見下しているつもりかもしれないが、友人のために東堂君を犠牲にしようとしている君こそ、命の価値で生き死にを決めている自己中心的な差別主義者ではないのかね?」

「けれど約束は約束だ。交換してもらおう」


 レプトが隣にいるみかりの背を片手で押すと、彼女はゆっくりと前に歩き出した。それを見たラフトラックは鼻を鳴らして、琉衣の背を強めに押した。転びそうになりながら琉衣も前に出る。


 みかりと琉衣の距離は徐々に縮まっていく。二人の表情は強張り、一歩進むごとに足取りは重くなっていく。


「ところでラフトラック、前に僕にマスクを外さない理由を教えてくれたよね。自分が死んだときに悲しまないようにって」

「そんなことも言ったけな。君にした気遣いや思いやりが無駄になって腹立たしい限りだよ」


 はっ、と僕は思わず笑ってしまった。

 悪霊やゾンビやアメコミキャラの紛い物たちの中、遂にみかりと琉衣がすれ違う瞬間、


「ごめん琉衣ちゃん!」

「きゃっ」


 みかりがその恵まれた体格をフル活用して琉衣を押し倒した。

 今だ。僕は指先に力を込める。


「気遣いは無駄にならなかったよ」


 ラフトラックの白いヘルメットに黒い粘着質の物体がはりつく。傍から見れば鳥の糞にも見えるそれはAIAで作られた物であり、内包した装置が放つ電子音はラフトラックに自分が置かれた状況を理解させるには充分だった。


「青座、きさ――」


 罵倒を吐き出し終える前に、ラフトラックの頭部を中心に爆発の花が咲いた。


 ◆


 周囲で悲鳴と爆発煙が上がる中、レプトが倒れているみかりと琉衣に駆け寄る。


「二人ともケガはないか?」

「うちはだいじょぶ!」


 琉衣もぱっと見は大丈夫そうだ。レプトは小ぶりのナイフで、琉衣の手の拘束を解く。


「大丈夫……侍、ありがとう」


 レプトはゴム製のマスクを取る。


「……誰?!」


 マスクの下から現れたのは僕ではなく、琉衣と全く面識のない成人男性だった。


「君の騎士ナイトの、偽物だよ」


 琉衣の困惑する顔へ、晴牧 丈はにやりと笑いかけた。


 ◆


 ペデストリアンデッキを見下ろす立体駐車場で、僕はみかりから借りたライフルVALにつけたスコープから目を離す。

 琉衣の小説を読み始めたころ、彼女によく注意していたことがある。


『一人称視点の小説に、三人称視点を混ぜるな』


 没入感を削ぎ、場面を分かりにくくさせ、読者を混乱させてしまうから、と。

 それは正にこんな感じなのかもしれない。レプトとしての自分と同じ格好をしたと存在と、その周囲の人間を見下ろし観察する状況は、まさに第三者視点の小説のそれで混乱しそうになった。だけど僕は混乱にも緊張感にも打ち勝ち、目的を達成した。ラフトラックの暗殺と、琉衣の救出を。


 為せば成る。僕にこの言葉を贈った、もうあの世に逝ったであろうコメディアンのような男に僕は言ってやる。


「ありがとう。おかげさまで引き金は軽かったよ」

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