35.宿泊 休日前料金


 10月28日 金曜日 午後6時05分


「とりあえず一息つけるかな」


 僕はベッドの上に自分の荷物を置く。ひとまずの危機は去ったからか、安心感で大きなため息が出る。

 僕とみかりはアジトから逃げ出した後、アジトから離れた所にあるラブホテルに逃げ込むことに成功した。避難所としてはネットカフェやカラオケボックスという選択肢もあったが、警察の補導はともかくとしてセキュリティの面では心もとなかった。互いの自宅なども論外だ。自然と選択肢は限られここに至ったわけだ。僕は私服だったし、みかりは制服だったが身長も相まってコスプレと思われたのか、特に邪魔が入ることはなく部屋を取ることが出来た。ずっとここにいるわけにはいかないが、少なくとも今晩は安心して眠ることができる。


「雨で濡れて寒いでしょ。ちょっと待ってて」


 幸い、入った部屋はネットでよく見るような、なんともいえないムードある部屋ではなかった。デカいテレビとカラオケがあり、アメニティが異様に充実しているくらいで風呂もガラス張りで丸見えと言うこともない。入るときは少し緊張したが、AIAのアジトに初めて入った時と比べるとだいぶマシだった。


「みかりさん、お待たせ……」


 タオルを見つけてみかりに渡そうとしたが、彼女はまだ部屋の入り口に突っ立ってうつ向いている。僕のために信頼していた仲間を裏切ってついてきてくれたのだ。AIAで一番仲間思いの人間といえる彼女の心境はきっと辛いものだろう。


「ごめん、みかりさん。こんな形で君を追い詰めてしまって」


 みかりに近づこうと僕が一歩踏み出すと、みかりは傍から見ても分かるほど肩を大きくびくっと震わせた。


「……みかりさん?」

「あ、あんね。笑わないで聞いてほしいんだけどね」

「うん?」

「はっちゃんはこういうとこよく来るのかもしれないけど、うち……うち、こういうとこくるの初めてなん」

「ラブホに?」

「ひうっ」


 みかりはその単語自体が恥ずかしいものらしく、真っ赤になった顔を両手で覆い隠す。やはり僕は見た目で人を判断する悪い癖があるようだ。彼女はこういうところに慣れていると思い込んで連れてきてしまったが、身分確認の無理を通してでもビジネスホテルにしておけばよかったかもしれない。


「ごめん、みかりさん。いきなり連れてこられたら怖いよね。僕はソファで寝るから――」

「ひうっ、初めてだから優しくしてぇ」

「みかりさん?」

「せ、せめて避妊はしてぇ」

「みかりさん?!」


 日本の性教育もまだまだ捨てたものではないと思うくらいには、みかりのリテラシーは高かった。


 ◆


「みかりさんはどうしたい?」

「……わかんない」


 少し落ち着いたみかりと僕は、ルームサービスで頼んだ冷凍食品と思しき料理を囲みながら今後の策を練る――ということをしようとしたが、今のみかりにはどちらも難しい状態だった。

 油っぽいカルボナーラを胃に押し込み、琉衣からのメッセージに返信する合間にテーブルを挟んで向かいにいるみかりを見る。彼女はうつ向き、体を縮ませるようにしている。彼女が注文したオムライスは一向に減らず、デザートのクリームソーダもアイスクリームが溶け切って、グラスの中の緑色を薄めている。


「全部わかんないよ。はっちゃんの言うことが本当だとして、なんでラフトラックは嘘をついて、うちたちをインスマスと戦わせたんだろう」


 みかりは正義感が強い人だ。だからこそ、自分が信じていた正義が嘘で塗り固めたと知って、酷く困惑しているのだろう。


「仲良くできる方法とか、悪いインスマスだけをやっつけるとか、なんでうち考えなかったんだろう……」

「みかりさん。君がAIAに入った時、インスマスの説明は聞いたんだよね?」

「え、うん。DWのこととか、クトゥルフ復活のこととかは最初に聞いた」

「その時、説明は誰がしてくれた?」

「えーっと普通にラフトラックかな。あ、でも葉っちも色々教えてくれたよ」


 考えを巡らせる僕の意識はフォークから完全に離れていて、掴んでいたパスタからソースを床にこぼしてしまう。些細なことだ。ラブホではもっといろんなことをして部屋を汚す輩もいると聞いたことがある。


「じゃあ、葉のお母さんが死んだ理由も聞いた?」

「うん、それは入ってちょっとしてからかな。インスマスのせいで自殺したって」


 僕が聞いた話と相違はない。みかりは僕の質問の意図が理解できず、不思議そうに僕を見ている。


「あ! ラフトラックが嘘ついてるなら、あのおっさんを倒して葉っちときわみーを説得できないかな」

「それは無理だ」

「なんでぇ?! 悪いリーダーを倒せばきっと説得できるし!」


 僕は再びスマホの画面に視線を戻して、キーをタップしながら答える。


「人はそう簡単に過ちを認められないものなんだ。正直、僕の話だけで『自分のやってることが間違いかも』と思えたみかりさんが珍しいタイプなんだよ」

「うちバカだからなぁ……」


 持ち手の直径が10センチもない自爆装置付きの武器を作る人がよく言うよ。と言ったら、彼女はまた落ち込んでしまうだろうから黙っておく。


「はっちゃんは何かいいアイデアある?」

「……警察に駆け込む」

「え? でもインスマスは死体が残んないじゃん。うちらが正直に話してもなんも信じてくんないよ、きっと」


 みかりの言う通り、インスマスについて語っても警察はまともに相手にはしてくれないだろう。僕はフォークとスマホを置いて、自分のリュックサックからトカゲのマスクとVALを取り出しみかりに見せる。


「でもマスクとVALはある」

「あるけど、それがどうかしたの?」

「AIAがはインスマスと戦うためにみかりさんにVALをたくさん作らせたよね。これは日本では『凶器準備集合罪』っていう犯罪に該当するんだ」

「う、うちが悪いんじゃん!」


 僕は彼女を安心させるため――とはいえ、彼女を罪を犯していることには変わりはないのだが、ひとまず首を横に振ってやる。


「それだけじゃなくて『内乱罪』ってのにも該当する。休日に仮面を被ってみんなの前で計画性を持って暴れる集団は、傍から見れば立派なテロ組織なんだ」

「うちら全員悪者じゃん!」


 少なくとも君だけが悪くないよ、と言いたかったのだが完全に逆効果で、みかりの顔色はどんどん悪くなる。


「まぁ、そんなわけでAIA自体が犯罪の塊みたいな組織なんだ。僕とみかりさんがVALとマスクを持って警察に駆け込んで、芋づる式に他のメンバーを捕まえてもらうのが一番手っ取り早くて確実な方法なんだ」

「ラフトラックやきわみーの正体はうちら知らないよ? そんなことできるん?」

「アジトを入手した際、少なくとも誰かの名義で登記してるはずだ。ラフトラック本人名義ならすぐ。そうでなくても名義貸しした奴からすぐたどり着けるよ。日本の警察は優秀だから」

「きわみーは?」

「きわみこそ追うのは簡単だ。デジタル上で動いているなら何らかの記録ログが残るはず。彼女が所謂『スーパーハッカー』なら別だけど、きわみの様子を見る限りその線は薄いと思う」

「そっか、なら一安心かな」


 そう言うみかりの表情は全然一安心していない。


「うち、逮捕されちゃうんだね……」

「……そうだね」


 僕と違って、みかりには家族や日常がある。いきなりそれを捨てろと言われて、落ち込まずにいるなんてことはみかりでなくても無理だろう。


「警察に行くのは明日にしよう。今日はご飯食べて、風呂に入ってさっさと寝よう」

「ひうぅ、覗かないでねぃ」

「こんな緊急時に覗かないよ」

「緊急時じゃなかったら覗くん?」

「緊急時じゃなくても覗かないから!」


 ◆


 10月28日 金曜日 午後11時55分


 こういう時に健康的な男女なら、場の雰囲気に流されて爛れた肉体関係を持つのかもしれない。でもみかりは風呂に入った後、制服のまま午後10時には爆睡しはじめたし、僕に至ってはずっとスマホの画面を暗がりで見るばかりで、いかがわしい雰囲気など皆無のまま夜は更けていく。


『レプト、あなたを愛しているわ』


 静かなホテルの部屋が、僕の頭の中に焼き付いた葉の声と顔の記憶を増幅させる。彼女の冷たい印象すら覚える顔に浮かんだ熱っぽい目。唇が触れた後の感触、味覚、香り。こんな状況下で、自分は大罪を犯したと罪人気取りでいるときでさえ、僕の煩悩まみれの脳みそは、まだ葉と繋がりを持とうとしている。眠たくならないのはスマホの明るい画面のせいだと、自分を言い聞かせるのも限界がきていた。

 僕は怖いのだ。僕が今まで信じてきたインスマスについてのあれこれが嘘だったように、葉の言葉が嘘なのではないかと思うのが。実際のところ、僕は葉に甘えっぱなしで、AIAについてはおろか葉についても何も知らなかった。いや、知った気でいて彼女の好意に縋っていただけだった。

 でも、それも終わりにしなければいけない。僕たちがやろうとしていることは、絶対に葉を巻き込むことになる。その時に彼女を美人で、料理が上手くて、ボブ・ディランが好きな女の子、としか認識していないのは不誠実だ。僕は今から壊すものを知るために、恐る恐るSNSの会員登録ぺージをタップした。それがまるでパンドラの箱でも開けるかのように、怯えながら。

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