24.暗殺者の心情


 9月25日 日曜日 午後7時30分


「んじゃ、また後で」

「はーい、お疲れねー」


 潜伏していた部屋から出て、角からターゲットのいる楽屋の方を伺う。Maysonの使用している楽屋から二人の男性が出てくるところだった。通路ですれ違う瞬間、二人の首元を確認したが、インスマスの特徴である鰓の線は見受けられない。彼らはMaysonのようなインスマスではなく、このライブセッションのために招かれたベースとドラムのメンバーというだけの、ただの人間だった。


「情報通り、二人だけ楽屋から出たよ」

『ヤニ休憩じゃ。10分は戻らんよ』


 歌手の喉へ配慮する喫煙マナーは素晴らしいが、その相手が怪物であることを知らない無知さに哀れみを感じながら、僕はMaysonのいる楽屋へまっすぐ向かう。今はライブの休憩時間だ。小さいライブハウスなのでスタッフも機材の調整やら、観客の誘導で忙しい。このわずかな休憩時間に、誰にも気づかれず、周りに人がいない楽屋でMaysonを暗殺する。これがきわみの立てた暗殺プランだった。

 僕は手汗で湿る手で楽屋のドアノブを握り開けると、敵の前に姿を表した。


「おつかれさまでーす」


 努めて和やかな笑顔で。しかし僕の渾身の営業スマイルは、自身のスマホに釘付けになっているMaysonには見向きされていない。スタッフに成りすました僕が横に立って、彼女の座る目の前にある化粧台に、変なイラストが描いてあるエナジードリンクを置くまで、それは続いた。


「ちょっと、何なのこれ」


 Maysonはお目当ての飲み物でないものを買ってきた僕に威圧的な口調で接する。インスマスでなくてもお近づきにはなりたくない相手だ。


「時間ないんだからさっさと買い直しきゃぁ!」


 Maysonが役立たずのスタッフを恫喝しようと、ようやくスマホから目を離して見たのは、塩水スプレーを構えた僕の姿だ。スプレーを向けられた彼女の顔は笑ってしまいそうになるくらい、目を見開き驚愕の色を隠せないでいた。無論、容赦なく浴びせられた塩水を躱す余裕は彼女にはない。


「嫌! なんで、コンナトコニ……!」


 顔を変形させながら立ち上がり、僕から逃げようとするが、入り口側には僕が立っているため、自然とそこから遠ざかるように壁際に追い詰められることになる。加えて楽屋には窓がない。袋のネズミ、もとい網の中の魚と言ったところだ。

 僕はMaysonが『変異』していく間、自分もマスクを被り『変身』を完了させる。周りに人はいないし、僕にはDWが効かないからこれは実利のない行動だ。だが、強くなれた。琉衣のことで悩み、きわみの知られたくなかったであろう過去を掘り返す、情けない高校生、青座 侍ではなく、目の前の悪の手先を滅却するヒーロー、レプトになれた。


「イヤダ! クルナ! Gia!」


 ほとんど魚人間に変貌したMaysonが手近なものを投げつけてくるが、僕はかまわず彼女へ歩みを進める。背中に隠したVALを手に取り構える。


 まただ。 


 部屋に入るまで心臓が高鳴り、汗が止まらなかったのに、今の僕はとてもリラックスしている。心に麻酔がかけられたみたいだ。葉やみかりと狩りをした夜と同じように、ロボットのように何も感じず、考えず、僕の体は動いていた。


「Giaaa!」


 捨て鉢になったMaysonが起死回生の突撃を敢行してくる。単調だなぁ、インスマスは。ぼんやりとそんな考えが頭をよぎる。が、よぎった後にはVALを槍に変形させ、突っ込んできたMaysonの喉元に鋭い穂先を突き立てていた。


「……a! ……a!」

「死ね」


 マスクをしておいてよかった。VALを引きに抜いたときにMaysonの首から勢いよく血が噴き出し、顔に浴びることになったからだ。僕のトカゲ顔が赤黒く染まる。鏡に映った僕の姿は、獲物を捕食し終えたような肉食動物のようだ。でも、目の前でよろめいて倒れ、死にゆくインスマスを見下ろす僕の心に、特に狩りの興奮はなかった。『狩りが終わった』、『今日は葉のご飯が食べられなくて残念だ』と、そうぼんやり考えていた。

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