2.この街と子供たちの未来のために


 10月20日  木曜日 午後11時36分


 僕と葉は並んでチームメンバーの待つアジトへ向け歩く。

 僕も今日の狩りが終わったので、マスクを脱ぎ、それを<VAL>と一緒にリュックサックにしまい込んでいる。

 アジトは街のターミナル駅のすぐ近くの飲み屋街にある。数年前の新型感染症の流行により、その地区の居酒屋、バー、キャバクラ、ホストクラブ、その他もろもろの夜の店は軒並み潰れたか、規模をすっかり縮小してしまっている。今では高校生である僕らが歩いても咎める大人や、裏社会に引きずり込もうとする裏稼業人がいない、半ばゴーストタウンのような地区だった。

 僕らはその中の一軒、営業していないダーツバーのドアをくぐる。中は少ないものの照明がいくつか点けられ、打ち捨てられた店内の様子をぼんやりと暗闇に浮かびあがらせる。その曖昧な闇の中から、陰鬱な雰囲気に似つかわしくない、ゆるっとした少女の声が聞こえてきた。


「葉っち、はっちゃん、おつかれぃ!」


 暗がりから突如、身長180センチ代の人影が飛び出し、僕と葉をまとめてハグする。僕も葉もなれっこなので目立った抵抗はしないが、葉は少し嫌そうに目を細めていた。


「<ルーズベルト>、ちょっと怖いからマスクのまま近づくのやめて」

「えー偉大なアメリカの顔じゃん。怖くないよ」


 不満げに長身の人物は僕らから離れる。ルーズベルトと呼ばれた、僕たちに熱烈なスキンシップをとってきた女子は、僕のトカゲマスクが霞むくらいの異様な恰好をしていた。

 彼女はグラビアアイドルのようなスタイルの持ち主だだった。その美しいメリハリの利いたボディラインに、街にある私立高校の制服がフィットしている。ミニスカートから伸びる生足が眩しく、バストも並大抵の男なら目を奪われるはずの豊かなものだ。

 ただし顔――正確に言うなら彼女の被るマスクがそれらの美点を台無しにしていた。

 僕のマスクと同様にゴム製だが、それは人間――白人男性を模していた。前髪が後退し、彫りの深く気難しそうな表情を浮かべている。それは葉が彼女を呼んだ通り、第32代アメリカ合衆国大統領、フランクリン・ルーズベルトの顔に似せたマスクだった。


「これの良さが分からないとは、葉っちも子供だねぃ」


 常識から考えれば見当はずれな愚痴をこぼしながら、ルーズベルトはマスクをとる。マスクの中から現れたのは、健康的な肌色の女子高生だった。セミロングの髪を明るい金髪に染めており、マスクで隠れるにもかかわらず目元にばっちりメイクを決めている。ギャル、という言葉は彼女のためにあるのではないかと、僕はルーズベルト――東堂とうどう みかりの素顔を見る度に思わずにはいられない。


「みかりさんの素顔、綺麗だからマスクが無くても素敵だよ」

「流石はっちゃん。女の口説き方を分かってるぅ」

「レプト、ルーズベルトを甘やかさないで」


 葉はみかりに向けた冷たい視線を変えないまま、フォローを入れた僕の服の裾をひっぱる。やきもちをやかれている、というわけではないだろうが悪い気はしない。


「いけないぞ青座君! 名前通り女性を侍らせて調子に乗ると、いつか痛い目にあうぞ!」


 ダーツバーの奥。バックヤードに通じるドアから、僕の邪な考えを見透かすような、成人男性の演技がかった𠮟責の声が飛んできた。僕ら三人は思わずそちらを見やる。


「二兎追う者は二兎から恨まれる! 私のような健全な男を目指すんだ青座 侍君!」


 そう宣言してバックヤードから現れたのは、僕よりは高いが、みかりより少し背の低い成人男性だった。上等な白のダブルスーツに身を包んでいるが、その顔は先ほどまでの僕らと同じようにマスクで隠されている。彼の被る強化プラスチックで出来た真っ白いヘルメットは一見するとのぞき穴のようなものがない。代わりにヘルメット正面には口角を大きく上げて笑うピエロの口元のような絵が描かれおり、異彩を放っていた。けれどもこの中の誰よりも不気味な見た目の男に、みかりは悪気なく毒を吐いた。


「ラフトラックはおっさんでモテないから、健全でいられるもんね」


『HAHAHAHAHA!』


 みかりの声の後に、ダーツバーに群衆の笑い声が響く。


「そんなことないぞ、東堂君。私はモテる!」

「インスマス共に?」


 今度は葉の切れ味鋭い言葉の刃。


『HAHAHAHAHA!』


 そして群衆の笑い声。

 別にこの狭いダーツバーのバックヤードに、僕らのとぼけたやり取りを見て面白がる視聴者がいるわけではない。女子高生二人からいじられている不気味なマスクのおじさんが手に隠し持ったリモコンを使い、無線接続した店内のスピーカーから笑い声を流し、まるでシットコムのような演出をわざとらしくしているのだ。

 笑い声を流す男、だから彼のヒーローネームは<ラフトラック(録音笑い)>なのだ。


「やれやれ。私は良いとして、軽羽かるばね君を仲間はずれにするのは良くないぞ」


 ラフトラックはカウンターに入ると、その下からノートパソコンを取り出し、画面を僕、葉、みかりの三人に向ける。起動された画面のブラウザには3Dでモデリングされた美少女のアバターが表示されていた。ノートパソコンのスピーカーからかわいらしい、高めの女の子の声が僕らを責め立て始めた。


「ずるいぞ! きわみに内緒でみんなで楽しくして!」


 5万ポリゴンで描き出された美少女の体は通常の人間のそれとは違う形をしていた。

 人間の少女がその基本だが、その3Dモデルの少女の銀髪でショートカットの側頭部にはヤギのような黒い角が一対生えている。背には白い羽が生えており、その体をジャーマングレーの軍服風のコスチュームが覆っていた。悪魔とも天使とも、守護者とも征服者とも見れる彼女のヒーローネームは<ライトフェザー>。僕らのチームメンバーにして炎上しがちなVTuber、軽羽かるばね きわみだ。

 もちろん画面の向こうには生身の人間がいる。この3Dモデルこそがこの場での彼女の『マスク』だ。


「きわちゃん配信おっつー。きわちゃんにはちゅーしてあげるよ、ちゅー」

「ぎゃぁー! ノパソのカメラを汚すなみかりぃ! なんも見えなくなるでしょうがぁ!」


 ノートパソコンに熱い接吻を施そうとするみかりを、現実の肉体をこの場に持ちえないきわみは止めることができない。


「きわみ、後で拭いておくから」

「はべるー! お前だけがきわみの味方だー! あとで今日の配信のアーカイブもいいねしてー!」


 葉は今度は大きなため息をつく。


「みんな、レプトは今日10匹目のインスマスを狩ってきたのよ。少しは彼を気遣って」


 葉は皆を窘めるが、僕はかぶりを振り、困った様子の葉の顔を見つめる。


「いいんだよ、葉」


 心の奥底から出る言葉だった。


「こんなに楽しくして、嬉しい時間はじめてだから」


 主に君が近くにいるから。というのは恥ずかしくて言えない。でも口に出した言葉も本心だった。


「そう! 我々はもう家族同然! ここでは思う存分安らいでくれ!」


 いつの間にかカウンターを越え、僕の隣にやってきたラフトラックはマスク姿のまま、僕の肩を抱き寄せる。突然のことだったが、力強いその手に、彼の言葉通り僕はもう何年も会っていない父の姿を重ねていた。


「そして養った英気をインスマス共にぶつけるのだ! 『この街の未来と子供たちのため!』」


『hugh! hugh!』


 囃し立てる音声がダーツバーに流れ始める。が、きわみが茶々をいれる。


「戦ってる侍たちはまだ子供だけどそれはいいのか?」


『HAHAHAHAHA!』


 とんだブラックジョークだ。でも、それでいい。


「それでいいんだ、きわみ。これは僕たちにしかできないことだから」

「それは……たしかに! 侍の言う通りだ!」


 僕の言葉に、葉も、みかりも反論しない。もちろんラフトラックも。


「あいつらを倒すためならなんだってやるよ」


 正確に言えば『葉が喜ぶのであれば』なのだがそれは口にせず、僕はダーツボードにダーツで突き刺してあるいくつかの写真を顎で指し示す。

 写真は主に街で撮られた悍ましいインスマス共の目撃写真だ。そしてそれらに取り囲まれるように一枚の画質が荒い不鮮明な写真がボード中央に鎮座し存在感を放っていた。

 写真は海を写したもので、手前側に漁船が写っている。写真中央から奥にかけ、巨大な物体がその漁船の行く末を阻んでいた。何メートルあるのか分からないそれは人型のようではあるが、その頭部からはいくつもの触手が伸び、背には蝙蝠のような翼がこれも何百メートルあるか分からぬほどの大きさで写真いっぱいに広がっていた。


「……クトゥルフ」


 葉が写真を睨みながら重々しく口を開く。常人が見たら正気を失ってしまいそうな異様を前にしても、彼女の鋭さは変わらない。


 全ての鮫の王

 外宇宙からもたらされた災禍

 邪神クトゥルフ


 それが僕らが復活を阻止すべき『敵』だ。


「僕らならやれる。僕たち<AIA>なら」


 どんな強大な敵でも、インスマスがこの社会に紛れ込んでいようとも、僕らは勝利を勝ち取れる。何でもできると僕らは信じていた。僕、青座 侍は好きな人の隣で、全能感に浸っていた。この世の頂点にいた。そして頂点にいるのであれば、後は落ちるだけということを、この時の僕はまだ知らなかった。


 そう知るべきだったのだ。


 ルーズベルトが自腹でアジトに設置した、タイメックス製のヴィンテージの掛け時計の針が逆回転する。


 これは僕の物語。いかにして僕が『魚人殺しのレプト』に、そして『世界の敵』になったのかの物語だ。

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