第2話 決死の鬼ごっこ
「フェリクスさーん。フェリクスさーん!」
その日の放課後、白衣に身を包んだ若い講師が慌てた様子で用務員の名を呼んでいた。
校舎を出て、帰宅する生徒や部活動へ向かう生徒の合間を縫うように走り、何度も声を張り上げる。
それでも見つからないと、若い講師は行き交う生徒たちに声をかけ始めたが、学院で見下されている男の動向を知る者などいるはずもなく。
そこからさらにめげずに声を掛けること十数分。ようやく使えない用務員を見たという生徒が現れた。
「君!フェリクスさんを見なかったかい!?」
「え?あの用務員ならさっきA棟のトイレに向かいましたよ?」
「A棟のトイレ!?真反対じゃないか!」
若い講師は周囲の注目を集めるのもお構い無く絶叫した。マーレアを代表するこの学院は、敷地の広さでも有名なのだ。
「じゃあ俺はこれで」
「ああ、ありがとう。助かったよ―――」
深く帽子を被った学生服の青年が足早にその場を去ろうとする。若い講師は一度それを見送ったが、しかしふと違和感を覚えて青年を呼び止めた。
「ちょっと止まってくれないかい?」
「チッ」
学生服に身を包んだ青年、フェリクスが脱兎の如く逃走を開始する。
「あっ、やっぱり君か!止まってくれ!!大変なんだ!」
「嫌だね!俺は何がなんでも定時で帰る!!」
「ちょっと待って!ていうか、そもそもどうやって制服を、って速!?」
いっそ気持ち悪いほど綺麗なフォームで走るフェリクス。その凡庸な体躯からは想像もつかない速度で、あっという間に距離を離される。
それに焦り顔になった若い講師が素早く何かを口走ると、彼の手元で小さな魔力回路が組み上がった。一見して変哲のない魔術回路であるが、極限まで無駄を排した構造は、若い講師の高い実力を物語っている。
それは並の魔術師に見抜けるものではないのだが、はたして魔力の波動を感じてチラッと振り返ったフェリクスの顔が強張った。
「それ反則だろ!!何で軍用魔術発動させてんだよ!?」
「君が逃げるからだよ!」
組み上がった回路に魔力が満ち、それは魔術と成る。
若い講師が発動した魔術はディバインドという。自動で敵を追尾し、捕まえた者を象ですら振りほどけない魔力の網で拘束する魔術である。
それだけでも厄介な効果だが、若い講師のディバインドには改良が為されており、捕えた者の魔力操作を阻害するというおまけ付き。駄目押しとばかりに、追尾速度も従来のそれより格段に上がっている。
「フッ、甘いな!!」
だが、フェリクスは捕まらない。自身の帽子を乱暴に掴み取るとそこになにやら魔力回路を埋め込み、迫り来る魔術目掛けて投げ付けた。
帽子と接触した瞬間、若い講師の放った魔術が発動する。小さな魔方陣から光の縄が際限なくなく現れ、瞬く間に帽子を締め付けた。
「うっわ、えげつな!?」
「君の魔術もえげつないよ!魔術を騙す魔術ってなんだい!?」
フェリクスは単に自分の情報を帽子に写し書きしただけ。彼を捕らえるように作られた魔術が、同じ情報を持つ帽子に勝手に引っ張られたのだ。それが、若い講師が言う『魔術を騙す』ということである。
地味に見えるが、意外と高等技術だったりする。
「意地でも俺は帰るぞ!」
「少しくらい手伝ってくれたっていいだろう!?」
「まあ他ならぬ親友の願いなら、聞くだけ聞いてみてもいいか。それってすぐ終わるのかよ?」
「―――すぐ終わるさ!!きっと!」
「何だよその間は!?つーか、なにがきっとなんだ!?おい目ぇ合わせろ!!」
「うるさい!いいから手伝え!」
「キレた!?」
とうとうぶちギレた若い講師の周辺に、先程のディバインドが児戯に見えるほどの魔力回路が複数展開された。
慌てて回避行動を取るフェリクス。一つ目は避ける、二つ目も危うく避ける、されど三つ四つと迫り来る魔術の前にはなす術なく、結局雁字搦めにされてしまった。
「くそ!離せって!」
さながら網に掛かった魚のようにのたうち回るフェリクス。周囲の生徒たちが何事かと二度見しては、ああまたかといった顔で過ぎ去っていく。それだけで、普段の行いが知れるというもの。
「ほら、行くよ!」
それに追い討ちをかけるように、若い講師は嫌がるフェリクスを引きずり始めた。しばらくは抵抗していたフェリクスであったが、流石に人目を気にして途中からは立ち上がる。
とはいえ、
「帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい―――」
若い講師に首根っこを掴まれて引き摺られるフェリクス。自らの足で歩かないのは最後の抵抗。その異様な光景は、すれ違う生徒たちを必ず二度見させていく。
ちなみにここまでの最高記録は五度見である。
―――現在進行形で恥の上塗りをしているフェリクスが、無気力に引き摺られること数分。
「さあ着いたよ」
たどり着いた場所にて、若い講師が指差し、フェリクスが力なく振り向いた先では。
「あんたがやったんじゃないのよ!!」
「そうよ!シャルロット様がこんな野蛮な事するはずが無いもの!」
「いい加減に自分の罪を認めたらどうなの!」
中庭のど真ん中で、平民の少女が虐められていた。俯いて罵倒に耐える少女を責めるのは三人の少女たちと、その三人を取り巻いて中央でふんぞり返る金髪ロングのお嬢様。
さようなら平穏ようこそ面倒事。この瞬間フェリクスの心は決まった。
「よし、帰ろう」
「お願いだから待ってくれ!」
「馬鹿おまっ、でけえ声出―――」
「騒がしいわね。何よ?」
二人の会話を遮り、夕暮れの空を落とし込んだような少女の赤い瞳がフェリクスを捉えた。
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