ひとりお兄さんと嘘つき少年──文披31題

伊野尾ちもず

Day1 黄昏 少年、お兄さんと出会う

 黄昏時。蜜色の空が夏休み初日の子供たちを見下ろしていた。

 友達の家でゲームをしてきたのか、ゲームキャクターになりきって歩く子たち。道の反対側を歩く大きな手提げカバンを持っているのは塾帰りの子だろうか。

 家に帰る子供たちの足取りは軽かった。だが、草むらになっている空き地を見ると、ぎょっと立ち止まり、少し息を呑むとそそくさと足速に去っていった。

 草むらの中にはレジャーシートの上で大の字に寝転がる人物がいた。遮光遮熱できる大きな日傘の陰でも、団扇を仰いで暑そうだ。顔に乗せたタオルのせいで容貌は分かりにくいが、投げ出した腕から比較的若い男性であろうと推測できる。

 さっきの子供たちがいなくなっても、男性はただ寝転がり続けていた。

 黄昏より逢魔時と言いたくなってきた頃。草むらに一人の子供が踏みいれ、男性を見下ろしてじっと観察していた。麦わら帽子をかぶり、フリルの多くついたトップスとデニム素材のミニスカートを身につけたすらりとした姿は、ファッション誌から抜け出したモデルのようだった。

「黙ってジロジロ見るのは感心しないなぁ」

 男性が顔にかけていたタオルを外すと、目の前にいた子供と目があった。にこにこと笑顔の子だったが、どこかバランスの悪い笑顔だった。

「用がないなら、家に帰った方が良いよ」

 そう言われても子供はその場から動かなかった。奇妙な笑顔のまま、突っ立っている。

 寺の鐘が微かに響いて、カラスはねぐらへお喋りしながら帰っていった。

「じゃぁ、僕に何か用があるんだ?」

 あくびしながら言う男性。子供は小さく頷いた。子供の声は予想したよりやや低いクリアな声だった。

「この場所、うちの土地。勝手に入られてたから、気になって」

「ふうん、そうか。そりゃ失礼したね」

 男性は起き上がって座り直すと、子供の目をまっすぐ見て名乗った。

「僕はね、文化人類学者なんだ。文化人類学っていうのは、別名民俗学とも言って、簡単に言えば、その地域の文化や習慣から人類とはどんな生き物なのかを考える学問だね。今日はここで夜間フィールドワークをするつもりで場所取りしてたんだよ」

 得意げに語る男性だが、顔だけ微笑む子供の視線に感情は無かった。

 興味あるわけないか、と呟いた男性は頭をガシガシ掻きむしる。

「ちゃんと許可は取ってるから。安心して、少年」

 少年と呼ばれて、子供は目を少し見開いた。暮れかけた太陽を背にした子供の顔がきちんと見えるわけも無いのに、男性はあぁと声を漏らした。

「『少年科学館』とか『少年法』とか言うでしょ?つまり君が男の子でも女の子でも問題のない呼び方だと思ってるよ」

 事もなく言う男性に子供は後退りしたい気持ちになった。

「ところで少年。君は可愛い服が好きなのかな?」

「姉ちゃんの服借りただけ」

「それなら、君のお姉さんのセンスがとても良いんだろうねぇ」

 ひとりでうんうん、と頷く男性。

「この町に住んでいる人の普段のファッションって、君から見てセンスはどう?」

「うーん、東京ほどオシャレじゃないけど、田舎とも思わない」

「どんなところを見て、そう思う?」

「服が……よれてないとこ」

「成る程……」

 何かぶつぶつ言いながら手元のタブレットに書き込んで、満足そうに微笑む。

「貴重な情報感謝するよ」

「役に立った?」

「文化人類学に役に立たない情報も意見もないんだよ」

 にっこりと笑みを浮かべる男性の顔に、落ちる直前の強い西日が照った。

「さてと、少年。これ以上我が国の学問発展に協力する訳でないないら、帰った方が良いよ。僕を少女を誘拐した怪しいおじさんにしないでくれよ?」

 お願いするような口調だったが、空き地の外に向けられた人差し指は、暗にこれ以上邪魔するなと言っていた。

 ひとつ頷いた子供は、振り返らずに空き地から出ていき、仄暗くなった住宅街に消えていった。


 * * *


 空き地から充分離れたところで、子供は立ち止まって伸びをした。

「土地の持ち主の家の子だって言えば怪しまれないもんな。無関係だけど」

 表情をピクリともさせず冷たく呟く横顔は、少し前の笑顔と似ても似つかない顔だった。

「でも、あのお兄さん、俺が男だって気付いてたよな絶対」

 涼しく言い訳してたけど、と付け加える。

「どこでわかったんだろうな」

 どうでも良いや、2度目会うことはないだろうし。頭の中で呟いて家を目指してまた歩き始める少年。

「服を変えて、いつもと言葉も変えたんだけどなぁ……やっぱ自分の思うように動くって難しいな。コスプレ程度じゃ何も変わるわけないのか」

 少年は歳の離れた姉が昔着ていた服を勝手に借りていた。理由は彼が語った通り、いつもと変わってみれば自分を見つけられるかもしれないから、だった。

「ぶんかじんるいがくのふぃーるどわーく」

 帰ったらネットで検索してみようと考えながら少年は歩いていく。

「今日の夕飯はそうめんにするかな……昼飯と同じでも別にいいか」

 何か食べないと寝られなくなるからな。

 帰っても誰もいない家に向かって、少年は規則正しい歩調で歩いていった。


 * * *


 空き地では、男性が夜間フィールドワークの為に着々と準備を進めていた。

「見た目も動機も嘘つきの少年か……」

 男性は、少年が嘘をついていたことを知っていた。そもそも、この空き地は男性の知人女性の持ち物であり、彼女の許可を取っている。彼女に小学生の子供はいないし、一人っ子の彼女に姪や甥はいない。この町に親戚も住んでいないと言っていた。

「何が目的だったのかわからないけど、なんか良いね、あの子。誰も話かけなかった僕のところに来たし。他人の服のよれ具合を見てるなんて良い目を持ってるよ」

 タブレットに書き込んだ少年の答えを読み直しながら、ニヤリと男性は笑った。

「これは面白い夏になりそうだ」


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