わがまま姫と俺 × その他全部

柿の豆

序章 旅立ち

第1話 その声を聴いた 

 ミコは、常に何かに対して怒っていた。

 それは例えば、その日の天気のコトだったり、食べたもののコトだったり、そういえば何かを怒っていたのだということを急に思い出したからだったり。それらの怒りの種は多岐にわたっていたけれども、考えてみると私が(もしくは私を含めた彼女以外の全てが)彼女の怒りを本当には理解できていなかったことこそが常に彼女を苛立させていたのだった。

 それは、彼女がいなくなった今だからこそ、ついに私がつかめたただ一つだけの真実であるように思う。だから、私はいまから彼女のことを話していきたい。……そうすれば俺はもう少しだけでも彼女をこちらに抱き寄せることができるだろうから。


 ──────


 地下深くに設けられた日も差さない牢獄の鉄格子の中。いつからそこにいるだろうか。何故ここにいるのか。それすらももはやどうでも良くなるほどに長い長い静寂のあとで、俺はその声を聴いた。


「あなた、こんなところで何をしてらっしゃるの?」

 発したのは、歳のころなら14、5歳といったところだろうか。着るのに随分と手間のいりそうな複雑な構造の服装をした少女だった。

 声はどこか懐かしいような優しさを感じられたが、それと同時に有無を言わさない厳しい響きをもはらんでいる。その質問は優しさによって俺の胸の奥底まで到達し、厳しさでそのあたりを震わせた。つまりは、一言で十分に命令として俺に作用したのだった。「私の質問に答えろ」と。

「うあ、ああ…。」

 早く返答をしろという内なる求めに突き動かされて俺は口を開いたのだが、それは声などには到底ならず、ただの音として三方の壁に寂しく反響する。俺の喉はそれ以上の音は生み出すことなく、「用は済んだか?」とばかりに、またひたすらに体の内と外の空気を交換する仕事へと戻る。

「ふうん。なるほど。そんなに永いこと、ここに閉じ込められてるってわけね。もはや自分が何者かも分からなくなるくらいに。」

 そんな俺の様子をまるで何かちいさな羽虫に対するかのように目を細めて見ながら少女はそう呟いた。そして、じっと何かを考え込んでいたかと思うと、改めて俺に問いかける。


「あなた、ここから出たいと思わないの?」

 その問いかけに、俺はやっぱり何も答えることができなかった。


 次の日も、また次の日も彼女は俺に会いにやってきた。いや、会いにやってくるというよりも、ただ、見に来たという方がその事象を正しく表現しているだろう。見世物小屋の檻の中にいる動物を見る方がまだ動きがあって有意義だろうに、なぜか彼女は毎日俺のことを見に来るのだった。そうそう、日も差さない檻の中でどうして日をまたいで彼女が来ているかを分かったかと言うと、それは彼女が問わず語りにしゃべったからだ。

「御機嫌よう。今日はn日よ。外は鬱陶しい雨が降っているわ。死ねばいいのに」

「来たわ。今日は(n+1)日。あなた見れば見る程むさくるしい恰好ね。全然似合ってないことよ」

 とまあ、そんな風に。彼女のあいさつはそこまでがセットであるらしく、律儀ともいえる程に日付と共に何か今日の不満点が添えられてあった。しかし、それ以上は何も言ってくることはなく、ただただ俺を見て、そしていくらか時間が経つと来た道を帰っていくのだった。

 そんなある日のこと。いつものように彼女が部屋の前に歩いてくる気配を感じた俺がそちらを見ると、何故だか怒ったような表情を浮かべている。

「どうしてあたしが怒っているような表情をしているか気になるの?だったら教えてあげる。今、猛烈に怒っているからよ!」

 彼女はそんなことを聞いてもいないのに答える。

「ふん!聞いてないって?…確かにそうね。じゃあ、しゃべっていいから、どうして怒っているか聞いてきて!」

 彼女のその声に突き動かされて、俺の喉から唇にかけての筋肉は正しく動き出した。

 そうして、俺はいつぶりかもわからないが、はっきりと自分の声を聴いた。

「どうしてそんなに怒ってるのさ?」

 声は空間に発散した後、静寂の中へ逃げ隠れた。

 彼女は俺の声を聴いて、一瞬驚いたような顔をした後、にたあ、と笑う。

「うんうん。やっぱりこうすればしゃべれるのね。というかあれね、あなたの声、想像していたよりは聞き苦しくないわ」

 そう言って、彼女は満足そうに笑いながら、いかにこの世界がクソであるかを嬉々としてしゃべり始める。


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