第8話 シスコン兄の憂鬱


 雪奈は病院に行ってから学校へ来るらしい。


 俺も病院の付き添いをしたかったけれど、雪奈に「子供じゃないんですからいいです」と止められてしまった。

 無理に付き添おうとしても不審がられるので、仕方なく俺は学校へ来ていた。


 そして今、四限目の授業中だった。

 教壇に立った禿げ頭の先生が、眠りの呪文を唱えながら黒板に文字を書いていく。

 その文字を追うのも疲れて、俺は机の上に広げたノートへと視線を落とした。


 それにしても、綾音はどうして転生したのだろうか。

 そんな疑問が、ふと脳裏に蘇って来た。


 今朝、冷蔵庫で見たあのかぼちゃの煮物は、確かに綾音が作ったものだ。

 味付けもそうだし、ラップの包み方だって俺と違って丁寧だった。


 雪奈が元に戻ったことで、綾音の転生自体が夢だと思ったがそうではなかったらしい。

 綾音の転生は、現実に遭ったことだ。

 だが、彼女はどこにもいない。


「……ん?」


 その時、ふとポケットの中のスマホが震えた。

 黒板の前に立つ先生の目を盗み、こっそりとスマホを手のひらに包み込んで起動する。

 スマホには一件のラインのメッセージが来ていた。

 雪奈からだ。


『問題ありませんでした。これから学校に行きます』


 その文章を見た途端、はぁ、と息が零れた。

 とりあえずは、大丈夫みたいだ。


 スマホをもう一度ポケットへしまい、顔を上げた。


 ――先生が目の前に立っていた。


「へ?」

「真白ぉ? 俺の授業で堂々とスマホをつつくとはいい度胸じゃねえか?」

「あ、いや……これは違うんです……妹が病院に行ってて、その無事だったメッセージが来たんです!」


 これです!とスマホを先生へ向ける。

 先生は通知欄に表示されたメッセージを見るとため息を溢した。


「妹思いなのもいいが、授業中は授業に集中するように」

「はい……」


 何だか、クラスメイトにシスコンだってバラされた気分だ……。


 ちょっと恥ずかしかったが、緊急事態ということで見逃してもらえた。

 今後は気を付けないとな……。


 その直後、チャイムが鳴った。

 授業が終わり、先生が教室を出ていくと弛緩した空気が教室に広がる。

 今の授業が四限目だったので、これから昼休みだ。


 授業の片づけをしていると、前の席に座った宗介が椅子を返してこちらに向いた。

 手には弁当箱の包み。

 それを、俺の机の上で広げ始めた。


「机、使わせてもらうぜ」

「いや、許可を取る前にもう広げてるじゃん……」

「いつも一緒に食べてんだからいいだろ~。てかさ、妹ちゃんは病院なのか?」

「ああ……昨日、階段から落ちちゃってな……」


 事の経緯を話すと、宗介は「へぇ」とこぼした。


「でも、高校生になって付き添いとか、どんだけシスコンなんだよ……」

「俺はシスコンじゃない」

「みんな、お前がシスコンだって知ってるから誤魔化しても無駄だぞ」


 マジで⁉


 それって、まさか俺たちが付き合ってることもバレてるんじゃ――。


「大丈夫だって。あんな可愛い妹がいたら、誰でもシスコンになるから」

「あ、ああ……そうだな」


 どうやら、バレていないらしい。

 雪奈の可愛さに感謝だな。生まれて来てくれてありがとう!


「まあでも、頭を打って意識を失ったのはちょっと心配だな……」

「うん……それだけじゃないんだけどね」

「それだけじゃないって?」


 しまった。

 つい、言葉を溢してしまった。


「い、いや、気にしなくていいよ」

「何だよ~。今朝からちょっと悩んでるっぽいし、話してみろよ」

「そこもバレてるのか……」

「おう。翔馬のことなら何でも知ってるからな! 風呂でどこから洗うのか、ホクロの数が何個なのかまで言えるぞ!」

「気色悪ぃよ!」


 冗談だって~、と宗介は笑う。


 でも、今の言葉のせいで、教室の片隅にいたメガネ女子が『ガタッ!』と席から立ち上がったんだけど……何だったんだろう。気にしないほうが良い気がしてきた。


「んで、何があったわけ?」

「…………まあ、宗介ならいいか」


 宗介は高校からの知り合いだ。

 中学三年生で死んだ綾音のことは知らないし、俺から話すこともなかった。


 だから、宗介には初めて死んでしまった幼馴染みがいることを話した。

 そして、彼女が転生して雪奈の身体に入ってしまったことも。


 宗介は「なるほどな……」と静かに頷くと、一言……。


「――病院に行ったほうが良いのはお前だったみたいだな」

「やっぱ信じてくれねえじゃん⁉」

「大丈夫。大丈夫だって……俺がいい病院、教えてやるから」

「まっっっっったく信じてないな!」


 宗介はからからと笑っていた。

 ……まあ、こんな話を信じる方がおかしいよな。


 諦めて、昼食を再開しようとした、その時だった。


「……兄さん、いますか?」


 振り返れば、教室の入り口から顔だけを覗かせた雪奈の姿を見つけた

 目が合うと、雪奈の瞳がほんのわずかに目が輝く。


「……すまん。妹が呼んでるから行ってくる」


 俺は宗介に断りを入れると、雪奈の下へと急ぎ足で近づいた。

 その俺の様子を、クラスメイトたちが見ている気がした。


 クラスでも地味な俺と違って、雪奈は学校一の美少女。

 注目されるのは必然ともいえるだろう。


「病院、どうだった?」

「ラインで伝えた通りです。異常はありません」

「……そうか」


 異常はない……つまり、彼女の中に綾音はもういないってことなのか?

 心に少しだけ疼きを感じる。

 誤魔化すように、俺は雪奈の頬を撫でた。


「なら、よかったよ。心配だし、今日も一緒に帰ろうか」

「はい。あと、もう一つだけ用事が……」


 雪奈は肩にかけていた鞄のチャックを開いた。

 中身を漁ると、やがて取り出したのは巾着に包まれた弁当箱だ。


「たまには一緒にお昼、食べませんか?」

「そうだな……」


 教室を振り返ると、クラスメイトたち(主に男子)が血に飢えた目で雪奈を見据えていた。


「こ、こっちの席で一緒に食べるのはどうだ⁉」

「俺らと食べようぜ!」

「翔馬! 俺ら親友だよな⁉」

「――雪奈、人のいないところで食べようか」

「待てよ翔馬ぁああ!」


 黙れ!

 雪奈をこんな獣の檻みたいなところに入れてたまるか!


 俺がそんなことを考えていると、雪奈が騒ぎ立てる男子の前へ出た。

 男子たちが、冷然と佇む雪奈に見惚れる。

 注目を集めた雪奈は、そんな彼らを睥睨すると――。


「私がどうして兄さん以外の猿どもと食事を共にしなければいけないのですか?」

「「「ぐはっ⁉」」」


 人を突き放すような鋭い口撃に、男子たちが血反吐を吐いて項垂れた。

 俺の妹、怖すぎる……。


「さて、行きましょう」


 雪奈はそんな男子たちに背を向けると、廊下へと出た。

 慌てて自分の席にあった弁当箱を手に取ると、雪奈を追って廊下へ出た。


 しばらく歩いて、旧校舎へ入る。

 授業では使われておらず、普段は部活でしか使わない校舎だ。

 ウチの学校、部活は割と活発だったりするからな。


 昼間になるとほとんど人がいなくなる。

 その中で、鍵が壊れている空き教室のことを俺は知っていた。


 空き教室へ入ると、備品として置かれていた机とイスを設置する。

 二人で並んで座ると、やっと昼ご飯を食べられるようになった。


「はぁ……やっと二人きりだな」

「やっと人の目から解放されましたぁ……」


 人がいないと分かった途端、雪奈は机の上にべたぁと伏してしまった。

 さっきの絶対零度みたいなたたずまいはどこに行った……。


「一応は学校なんだから、誰かに見られるかもしれないんだぞ……」

「見られちゃったら、私たち付き合ってるって思われますかね?」

「ただの兄妹だろ」

「むぅ……兄さんは夢がないですね」


 雪奈は文句を言いつつ、弁当箱の包みを開いた。

 小食な雪奈は、弁当箱も小さい。

 それを俺へ差し出してくると。


「あーん、してください」

「いきなりだなー」

「そのために、兄さんと一緒に食べたいって言ったんですよ。たまには兄さんに甘えたいなぁと思って」

「本音は?」

「病院に行くのすごく疲れたので、少しでもダラダラしたいんです」


 このぐうたら妹が……!


「うぅ……そんな目で見ないでください。私も頑張って病院に行ったんですから、少しくらい甘やかしてくれてもいいじゃないですかぁ」

「ああ、はいはい。分かったよ」


 俺は雪奈の弁当箱を受け取ると、箸で卵焼きを掴んで雪奈の口へ放り込んだ。


「んへへ……兄さんに食べさせてもらうと、より美味しく感じますねぇ」

「……そうか。ならよかったよ」


 苦笑して、次のおかずを箸でつまんだ。


 彼女の中に、綾音はもういないかもしれない。

 けれど、雪奈とこうして平穏に暮らすのも悪くないな。

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