第35話.七年ぶりの母

 


 飛竜たちは、しばらく上空を旋回してから、ゆっくりと芝生に舞い降りている。

 その羽ばたきの音を聞きながら、セシリーとシャルロッテが怖々と足を進めていると、団員たちの中に見知らぬ人物が居るのに気がついた。


「あれって……」


 セシリーは目を凝らす。

 飛竜の身体に取りつけられた鞍に跨がった女性だ。一瞬、ローラかと思ったがもっと背が低い。


 濡れたように黒い髪に、鮮やかな赤の瞳。

 陶器のように白い肌。整った目鼻立ちに、スリムなのに豊満な体つき。


 アルフォンスの手を借りずに、ひらりと飛竜から舞い降りたその女性は――。


「お、お母様……」

「なんですって?」


 セシリーの呟きに、シャルロッテがぽかんとする。

 しかしそれ以上セシリーは何も言えず、シャルロッテの手を引くようにして彼女に近づいていく。

 飛竜たちは次々と厩舎に連れられていく。そんな中、ひとりだけ佇むように草場に残った彼女は、セシリーに気がつくと……驚きを顔に乗せるでもなく、気楽に片手を振ってきた。


「やっほー、セシリー」

「お母様……!」


 愕然とするセシリーに、グレタはにこにこと微笑んでいる。


(本当に、お母様なの?)


 あまりにも美しい人で、見間違えるはずもないのだが。

 しかしグレタは、七年前とほとんど外見も変わっていないようだ。これも魔女の血の成せる技なのだろうか。シャルロッテが「ええっ」と言いつつセシリーとグレタの顔を見比べている。


「久しぶりねぇ。前より可愛くなったじゃないの」

「ど、どうしたの、どういうこと? 七年間も行方不明だったのに……」

「それは……うふふ」


 グレタが唇に笑みの形を作る。

 そんな彼女を見やるシャルロッテは、ごくりと唾を呑み込んでいた。


「ほ、本当にこちらがセシリーのお母上なの? 瞳の色は同じだけど、この垂れ流されるようなお色気はセシリーには皆無の武器だわ……」


 わりと失礼なことを言っているが、グレタの登場で混乱するセシリーには届いていない。

 輝くような美貌の持ち主であるシャルロッテの身の上を、一目見て見抜いたのだろう。グレタは目を細め、妖艶に微笑んでみせる。


「あら。光栄ですわ、シャルロッテ殿下。もしよろしければ、わたくしのこの力……あなたに伝授してさしあげても、よろしくってよ」

「え! そんなすさまじいお色気術を、わたしに……!?」

「フフ。あなたがこんな武器まで手にしてしまったら、傾国の美女どころではなさそうだけれどね」


 そんな話をしている間に、厩舎に飛竜を戻した団員たちが戻ってくる。

 その中にはジークやアルフォンスの姿がある。そうだった。グレタはアルフォンスの飛竜に乗っていたようだが……。


(ま――まさか!)


 セシリーの脳に雷撃のような“気づき”が走る!


「お母様、アルフォンス様の現地妻だったの!?」

「ストップ、セシリーちゃん。想像力が豊かすぎるよ」

「うふ……実はそうなのよね!」

「どうしてグレタさんは認めるかな! まったく身に覚えがないんですけど!」


 憤慨するアルフォンス。気分悪そうにシャルロッテが口元をおさえている。


「ウッ……またアルフォンスの下半身が躍動したのね」

「してないですから躍動とか……! この親子がタチ悪いだけですってば!」

「私はタチ悪くない!」


 セシリーはブチ切れた。グレタと一緒にしないでほしい。


「というか帰ってきて早々、そんな話されるとかさぁ……シャルロッテ殿下もセシリーちゃんも、オレたちにお帰りなさいとかお疲れ様とか、ないワケ?」

「ないです」

「ないわね」


 バッサリである。ショックを受けたようでよろめくジークを、アルフォンスが哀れむように見やる。

 もともとはジークを案ずる気持ちがあったはずなのだが、グレタの突然の登場によってセシリーの情緒は乱れに乱れていた。ちなみにシャルロッテは、アルフォンスには引いていたが他の団員には「ご苦労様」としっかり声をかけている。ビクビクしながらだったが。


「アルフォンス様の現地妻じゃないなら、なんなの!? 七年間もどこで何してたのか、はっきりと説明してよ!」

「うーん……それが、なんて言ったらいいのかしらねぇ」


 困ったように頬に手を当てるグレタ。

 そんな仕草ひとつ取っても、子持ちの母とは思えないくらいうら若く、美しい。若い団員たちが頬を染めている。グレタの存在はあまりにお色気がありすぎて教育に悪いのだ。


「ほら、わたくしって魔女でしょう? 魔女って人間と時間の流れが、どうも違うのよね……まさか人間界のほうで七年もの時間が流れてるなんて思ってなかったわ。向こうの世界で宴会をやって遊んでたら、こちらではだいぶ時間が進んでいたっていうか」


 グレタの言う言葉の意味は、セシリーにはまったく理解できない。

 そんな苛立ちが、表情に露骨ににじんでしまう。


「何よそれ。お父様にはなんて説明するつもりなの?」

「あら。ダーリンの話? ねね、相変わらず格好良いでしょ?」


 頬を染めるグレタだが、セシリーはそんなことに構っていられない。


「それどころじゃないわよ! お父様に惚れ薬を使って無理やり結婚して、子どもまで授かって! 挙げ句の果てに七年間も置き去りにして、どういうつもりなの? お父様が可哀想よ!」

「惚れ薬?」


 ジークが首を傾げている。

 セシリーは、はっと顔を強張らせた。怒りのまま、思わずすべてを口にしていたのだ。


(惚れ薬のこと、言っちゃった!)


 だが、自分にそれが使われているとは思わなかったのか、ジークはそれ以上は口を挟まない。

 するとグレタが首を捻って……至極あっさりと言った。



「セシリーったら何言ってるの。惚れ薬の効果なんて、とっくに切れてるわよ?」



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