第6話.頼れるものは

 


 ジークが退室したあと。

 リビングルームに移動したセシリーの隣には、スウェルが座り込んでいる。


 大きな身体を縮ませるように座っているスウェル。ちらっ、ちらっ、とこちらの顔色を窺うような視線を感じるたび、セシリーは不機嫌そうに唇をすぼめていく。

 やがてコホンと咳払いをして、スウェルが口を開いた。


「じ、実はねセシリー。その、すっごく言いにくいんだけど」

「………………なに?」


 この時点でセシリーは聞きたくなくなっていたが、さすがに耳をおさえている場合ではない。

 なぜ急に、今まで家同士の繋がりも縁もないエリート聖空騎士団の団長と、子爵家の令嬢であるセシリーが結婚するなんて話になっているのか。さすがにセシリーも、これが異常事態だと分かってはいるのだ。


(まだ、親同士が仲が良くて二人は実は許婚だった、がワンチャン……!)


 セシリーは不機嫌さを前面に出しつつも、もはやないに等しい期待に密かに胸を踊らせていたのだが。


 話の核心が、いよいよスウェルの口から明かされる!


「その、僕ね。……また連帯保証人になっちゃって」

「ばかあああああ!!!」


 セシリーは絶叫を上げた。

 夢中になってぽかぽかとスウェルのお腹を叩く。そのたびに、ぽよぽよと跳ねる立派な腹部。


「ほんとにばかばかばか! パパのばかばかばか!!」


 興奮するとセシリーの言動は幼くなってしまう。

 スウェルはそんな可愛い娘にきゅんとしていた。近頃は頼んでもパパとは呼んでくれないセシリーなのだ。ぽんぽこ楽器か何かのようにお腹を叩かれるたびに、のほほんと頬を緩めてしまう。


「いや、一年来のクラブ仲間が開業資金に困ってるっていうからさ」

「たった一年の付き合いで連帯保証人になっちゃ駄目よ! ていうか何年だろうと駄目なのよぉ!」


 グレタが置き手紙もなく姿を消してしまい早七年。

 妻を溺愛していたスウェルが寂しい思いをしているのは、セシリーも知っている。しかしそのせいで、スウェルは次から次へと詐欺まがいの商法や誘いに引っ掛かるようになってしまった。


 というのは別に、寂しさの埋め合わせというわけではなく、スウェルは以前からよく詐欺に引っ掛かる。

 ただ、グレタがそのあたりはきっちりしていて、甘言を用いてスウェルに近づく輩を箒でぶっ叩いて追い払っていたという話だ。


(あっ。あの箒ってまさか……!?)


 セシリーはグレタがよく持っていたアイテムを思い出し、はっとした。グレタは箒にまたがって夜の空を駆け抜けたりしていたのだろうか。


(そういえば黒猫のロジーも連れてたわ!)


 セシリーが幼い頃、グレタは黒猫を飼っていた。母と一緒に姿を消してしまったから、しばらく忘れ去っていたが……箒と黒猫、まさに王道の魔女っぽい装備である。


 ちなみに詐欺に引っ掛かるたびにスウェルは、ランプス家が所有する鉱山やら土地やらの権利書を借金取りに持っていかれている。

 ランプス子爵家の財政難は今に始まったことではなく、もはや名ばかりの貧乏寄り貴族なのである。

 おかげで雇っている使用人も、今やほんの数人ぽっち……セシリーは自力で着られるドレスばかり手元に残したりしている。


「それでしくしく安酒を浴びて泣いてたら、別のグループで飲んでたジーク殿が僕の話を聞いて、なんとぽんっと借金を肩代わりしてくれてね」


 偶然隣の席になった、というのはだいぶ語弊があったようだ。

 しかしそこまで聞いたセシリーの胸に、次第にむくむくと期待の気持ちが湧き上がってきた。


(も、もしかして……どこかで私のことを見初めてて、私を手に入れたいがために代わりに家の借金を返してくれた……とかっ!?)


 だとしたら、それは、それは――セシリー的にはあり寄りのありである!

 お金に物を言わすようなやり口はどうかと思うが、そこまでしてセシリーを情熱的に求めてくれた――と考えると、ありオブありである!


(ちょっと強引なところがある、ワイルド系王子様も……い、いいかもね。私の好みじゃないけどっ)


 ぽぽっ、とセシリーの頬に赤みが差す。

 ロマンチック成分を感じると、セシリーの脳は都合の良い形に事実を改ざんしていく。今のセシリーは、質問タイムの際のジークの残酷な言動すら綺麗さっぱりと忘れていた。


「ふ、ふぅん? まぁ私、けっこうその、可愛いもんね。ジーク様の気持ちは、分からないでもないわ」

「いや、違うんだ。ジーク殿が女子おなごに怖がられるばかりで、二十歳になるけど婚約相手も居なくて周りがうるさくて本当に煩わしいっていうから、じゃあうちの娘はどうでしょう、って僕から言ったような」

「なんでパパから提案するのおおお!!」


 セシリーはソファを蹴って大暴れをした。期待した分、本当にむなしい。


「だ、だって彼がセシリーの王子様かもしれないし!」

「三度の飯より血の味が好きな王子様ってなに!? 猟奇的すぎるわよ!」

「確かにそれはそう。あれ、怖かったねぇ」


 ここでしみじみと頷いてしまうのがスウェルである。せめてもう少しフォローしてほしいが、セシリーとしては共感してほしい場面でもあったので、スウェルの返答は間違いともいえない。


「本当よ。あの人、怖すぎるわよ」

「……セシリー。結婚とか言っておいてなんだけど、まだ口約束の段階だからさ。本当にジーク殿マジ無理ってときは教えてほしい。そのときはパパと一緒に夜逃げしよう」


 スウェルは本気で言っているようだ。

 セシリーはぐっと口元を引き締めて、首を振るしかない。


「そんなの無理よ、いつお母様が家に帰ってくるか分からないもの。ちゃんと王都で待ってないと」


 ……スウェルは知らない。

 本当は自分が、グレタに惚れ薬を飲まされているなんて。


 セシリーもその話は、一度もスウェルにしたことがない。今さら口出ししてもどうしようもない話だからだ。

 スウェルはただ心から、グレタを愛しているように見える。再婚もせず、失踪したグレタを待ち続けている一途な男性で、父親だ。だから、それが父の幸せなのだと、真実を知るセシリーは割り切るしかないのだ。


「でも、でも、僕は情けない父親だけど、セシリーには幸せになってほしいんだよ。ジーク殿はお金持ちの良い人だけど、躊躇いなく人を殴ったりする人っぽいじゃないか。大事な娘をあげられないよぉ」


 スウェルのつぶらな瞳に涙が光っている。

 こういう顔をされると、セシリーは怒りたくても怒れなくなる。


「……あのね。いろいろ言ったけど私にだって、お父様を助けたい気持ちはあるのよ」

「セシリ-……! なんて良い子に育ったんだ!」


 今までスウェルはセシリーのことを、何不自由なく育ててくれた。

 適齢期をやや過ぎつつあるのに、結婚を急かすようなこともあまり言わない。婚約もロマンチックと無縁であると断り続けたセシリーを叱ったりもしなかった。


 今回、借金のカタにされた感のあるセシリーだが、実際はただ単に浮いた話がまったくない娘が心配、という親心もあるのだろう。行き遅れて、嫁の貰い手がなくなってからでは遅いのだ。

 白馬の王子様が迎えに来ない以上、いつかはこんな日が来るのは必然だった。


 それにしてはジークはかなり猟奇的で残忍な男のようだが――。


(私は、幸せな結婚がしたい!)


 セシリーが結婚に望む最低条件がそれである。とにかく、幸せでありたいと漠然と思う。

 だがジークの振る舞いからして、彼がセシリーを愛してくれる可能性は無に等しい。


「……もう、あれしかないのかしら」


 セシリーは、あの日のことを思い出している。


 激しく鳴り響く雷雨の音。

 赤い唇で微笑むグレタ。絵本を抱えたまま涙する自分。


 幼いあの日に置き去りにした、悪しき記憶――。

 セシリーは震え声で、呟いた。



「……惚れ薬を、作るしか」



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