第2話.彼女の夢は終わらない

 


 爽やかな初夏の風に吹かれながら。

 編み込んだ髪を肩に揺らし、ひとりの少女がじょうろを手に陽気な鼻歌を歌っていた。


「ふんふ~ん、ふんふんふ~ん」


 可愛らしい容姿の少女である。

 優しげな亜麻色の髪。白くつやめく肌。低めだが形の良い鼻に、さくらんぼ色の唇。

 大きく丸い瞳の色は、強い赤色を宿している。しかし表情には柔らかな微笑が浮かんでいるから、相手を威圧するような迫力はない。


「今日も暑いわね」


 ふう、とセシリーは汗ばむ額をレースのついたハンカチで拭う。


 現在、セシリーは十七歳。

 この国では十六歳を迎えれば、男女ともに成人と認められる。


 年齢というのはときに残酷なものである。

 恋に恋する夢見がちな少女だったセシリーも、もはや夢ばかり見てはいられない。


 そう、彼女の母が秘密を明かした七年前のあの日、セシリーの夢は――、




「こんな日は、白馬の王子様が天蓋つきの馬車を引き連れて迎えに来てくれるんじゃないかしら……」




 ――否、セシリーは強靱な精神を持つ娘だった。


 グレタに少しいじめられた程度では、彼女の夢は終わらない。もはやロマンチックな恋への思いは、逆に時間が経つにつれこじれていき、加速の一途を辿っていた。


 セシリーは薬草畑の世話を終えると、抜いた雑草を袋にまとめ、ごみの焼却場へと寄り道する。

 畑を世話するのは、今やセシリーの日課だ。というのも畑の持ち主であった母グレタは七年前――セシリーが熱を出したあの日、姿を消してしまった。


 それからセシリーは、グレタが残した六坪程度の薬草畑を代わりに世話しているのだ。

 面倒を見ていると、案外物言わぬ薬草畑も可愛く思えてくるものである。貴族の子女は愛玩用の小動物を飼うというが、セシリーにとってはこの薬草畑こそ、首輪をつけてお散歩したくなる相棒であった。


「お嬢様。ご友人からお手紙が届いております」

「あら、ありがとう」


 部屋に戻る途中、メイドに声をかけられたセシリーは手紙の束を受け取る。


 以前はよく、茶会やら何やらで顔を合わせていた同じ年頃の少女たち。彼女たちには軒並み幼い頃からの婚約者が居て、そのほとんどが既に嫁いでいるか、夫を迎えている。

 むしろ未だ実家のランプス子爵邸に住んでいるセシリーは、かなり珍しい部類に入るだろう。


 部屋に戻り、椅子に座ったセシリー。

 ちなみに壁際に並ぶ本棚には、大量の大衆向け恋愛小説がずらりと並んでいる。セシリーの愛読書たちである。刺激の少ない生活の中、この本たちだけがセシリーを別世界へと誘ってくれるのだ。


 セシリーはペーパーナイフを取り出すと、慣れた手つきで手紙を取り出し、それらに熱心に目を通していく。


 最初は薄く微笑みを浮かべていたセシリーだったが――次第に、その笑みはぎこちなく歪んでいく。

 というのもそこには、恋への憧れを抱くセシリーにとって衝撃的な現実ばかりが綴られていた。



『ねぇセシリー。新婚生活ってなんなのかしらね。夫とはすでに関係が冷え切っているわ』

『姑に嫌がらせばかり受けているの。もううんざりよ。家に帰りたいけど、父が許してくれなくて……』

『夫がマザコンでした』


『婚約関係を解消することになりました。彼、子持ちの熟女と不倫していたのですって……しかも病死した母親によく似た女ですってよ。もう男という生き物が信じられません』

『セシリーは、どうか幸せになってちょうだいね……』

『マザコンにはくれぐれも気をつけて』

『マザコン』



「ああ、ああ、あああっ……」


 ぶるぶるぶる! とセシリーの華奢な身体が震える。


 彼女の手の中で、ぐしゃ! と手紙がつぶれる。一年前はラベンダーやらカモミールやらの香りがついた上品な便箋だったそれらは、今や黒い紙に赤いインクを落とした呪いの文のような有様だ。


 ショックのあまり、すっかり青白い顔になったセシリーは思わず机に拳を叩きつけた。


「どうしてなのっ。キャサリンも、アンも、スージーも、ミカも、結婚する前はあんなにも幸せそうだったのにいいいいっ!!」


 セシリーは激怒した。

 セシリーには結婚が分からぬ。セシリーは、恋愛未経験の少女である。恋愛小説で蓄えた知識はあるけれど、セシリーが読むようなふわっふわふわっとした物語は、だいたい主人公たちが幸せなキスをして終了する。夫婦の結婚生活について事細やかに描かれたようなものは、ほとんどないのだ。


 最も参考になるのが両親だが、セシリーの両親は子どもの前だろうと客人の前だろうと所構わずイチャイチャしていたので、セシリーの中で結婚といえばあの二人が思い浮かぶ。しかし、次第にセシリーにも分かってきた。どうやら両親こそが世間では特殊なケースだったのだと。結婚前は将来の幸せを楽しげに語っていた友人が、今や冷えきった夫婦関係を送っているように……。


 はぁはぁはぁ、と荒っぽく息を吐きながら、セシリーは残りの手紙にも目を通す。


 もちろん、中には幸せに愛を育んでいて、お腹に赤ちゃん授かりましてハッピーです、という素敵な手紙もあるのだが……どうしても、悲しみでいっぱいの文章ばかりが目の前にちらつく。


 そのたびに、『愛のある結婚なんてこの世には存在しないわ!』と断言したグレタの声が甦ってきて。


 ぐったりしていたセシリーは、叩扉の音に伏せていた顔を上げた。

 セシリーを呼ぶ声は聞き慣れたメイドのものだ。


「どうしたの?」

「お嬢様、旦那様がお呼びです」

「お父様が?」


 昼前に父に呼ばれるとは珍しい。

 なんだろうと思いつつセシリーは父の書斎へと向かう。


 そうしながら、頭の中には手紙の内容ばかりが浮かんでいる。

 セシリーは歩きながらブンブンブン! と首を勢いよく横に振る。おかげでふらふらと蛇行している。たまに花瓶に頭をぶつけたりしている。


(心配ないわ……私のところにはいつか、白馬の王子様が迎えに来てくれるっ!)


 きっと大丈夫、と自分に言い聞かせて、セシリーは荒ぶる自分を落ち着かせる。

 そうして訪ねたセシリーに、開口一番に父は言った。




「セシリー。突然だけど、君の結婚が決まったよぉ」



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