リヒテンシュタイン家 三

 無事に少女の叔父様を説得した我々は、その日の内に屋敷を脱した。


 次いで向かった先は、元々オバちゃんが活動していた町である。


 たしか名前はブナドンドン。


 これといって同所で行うべきことがある訳ではない。それではどうして、わざわざ町まで足を運んだのか。理由はとても単純。リヒテンシュタイン伯爵の出兵支度が整うまでの間、我々は暇を潰す必要があった。


 二日ほど欲しいとは伯爵の言葉である。


 そこで当初の予定どおり、我々はお酒探しと相成った次第である。


「飲みに行くのか? なぁ、飲みに行くんだよな?」


「ええ、夕食も兼ねて飲みに行こうと思います」


「だよなっ! やっぱりそうだよなっ!」


 おかげで精霊殿はとても嬉しそうだ。


「ところで一つ確認したいことがあるのですが」


「なんですか? ザックさん」


 ちなみにザック氏も一緒だ。


 通りを行き交う女性たちが、彼の甘いフェイスを目の当たりにして、チラリチラリと視線を向けている。その隣を歩いている身分として、間接的にチヤホヤされているような気分が悪くないと感じる一方、同時に悔しくもある。


 チヤホヤされるなら、やはりダイレクトにチヤホヤされたい。


「こちらの町には何をしに来たのですか? 勇者様との一件を受けてから、てっきり隣の国に向かわれたものだとばかり考えていました。こう言ってはなんですが、未だに手配書は撤廃されていませんよ」


「こちらの精霊殿にお酒を求められまして、酒蔵探しなどしております。町で出回っている手配書については、先日銀行でお伝えしたとおり、私の外見は信仰の力によって変化していますから、当面は大丈夫だと判断しました」


「それもやはり、そちらの宗教に絡んだことなのでしょうか?」


「美味しいお酒を飲ませたのなら、我らが神を信仰するのだそうです」


「エルフの作るやつより美味しくないと駄目だからなっ!」


「……なるほど」


 エルフたちの酒造りはかなりのものだ。


 人類の酒造り文化がこれに劣るかと言えば、決してそんなことはないと思うけれど、かといってそう簡単に彼女を満足させる一杯が見つかるとも分からない。また、仮に見つかったとしても、非常にお高かったりするのではなかろうか。


「そういうことでしたら、私の知り合いの店を紹介しましょう」


「飲み屋に知り合いがいるのですか?」


「同じ商人で主に酒類を取り扱っている男がいます」


「なんと、それは素晴らしい」


「いかがですか?」


「ぜひお願いします」


「よし、行くぞっ! 早く行くぞっ!」


 流石は町に根を張った商人である。


 この様子では精霊殿から信仰を得る日も近いかも知れない。




◇ ◆ ◇




 前向きに町を歩みだした直後、我々は遭遇した。


 何と遭遇したかと言えば、勇者様ご一行と遭遇した。通りの向こう側から、妙な人だかりが近づいてくるなと思いきや、その内側から彼らがひょっこりと姿を現したのである。おかげで現場は一触即発の雰囲気だ。


「じゃ、邪精霊っ!?」


 森の精霊だとか、邪精霊だとか、色々と肩書の多い精霊殿である。


 本人は水の精霊を名乗っているが、本当だろうか。


「あのときのニンゲンかっ!」


 こちらのエルフが面バレしていない一方、精霊殿は彼らと争った経緯がある。伯爵の言葉に従えば、それなりにいい勝負をしていたという。結果的に勇者様ご一行の緊張感も相応のものと思われた。


 勇者と思しき男性が剣を抜いて構える。


 その後ろでは女性二人もまた、険しい表情で臨戦態勢となった。更に彼女たちの間では、何やら慌てた様子で言葉が交わされ始める。精霊殿の姿を目の当たりとしたことで、あわわわわって感じ。


「女神様の加護を出して! あれ無しでこの精霊と戦うなんて不可能だわっ!」「アイツが怪我をしているのに持ってきている訳ないでしょ!? 宿屋に置いてきちゃったわよっ!」「で、でもそうなると、私たちは弱体化していない精霊と戦うことにっ……」


 おかげで居合わせた通行人たちは、蜘蛛の子を散らすように我々から距離を取る。ただ、一定の間隔を取ったところで、彼らは遠巻きにこちらの様子を窺い始める。幅広な通りの一角で、ちょっとしたイベントの体となった。


「どうしてオマエがこの町にいるっ!」


「精霊が人里に来たら駄目なのか?」


「だ、駄目じゃないっ! 駄目じゃないがっ……」


 ちょっと困った顔の勇者様。


 彼らはどうしてこの町に滞在しているのだろう。森の調査なるミッションも終えたはずなのだから、さっさとどこへとも去っていけばいいのに。こう見えて意外と暇だったりするのか。それとも町の人たちにチヤホヤされ足りないのか。


 試しに聞いてみることにした。


「勇者様はこちらの町で何をしているのですか?」


「そこの邪精霊にやられた仲間の療養だ。妙な魔法を使ってくれたおかげで、回復魔法を受けても治りが遅い。自らの足で満足に動き回れるようになるまでは、この町で治療に専念することになった」


「なるほど」


 そう言えばたしかに、以前会ったときは四人パーティーであった彼らだ。それが本日に限っては三人しか見受けられない。精霊殿のところで上げ下げしたときは四人いたので、恐らくあの時点で既に一人が負傷していたのだろう。


 負傷したと思われるのは、二人いたイケメンの片割れだ。伯爵の言葉に従えば、結構な深手であったのだとか。おかげで精霊殿に対する当たりが強い。今も我々を厳しい目付きで睨みつけている。このままでは社会的な死が近い。


 いや待てよ。


 この状況は逆に利用できるのではなかろうか。


「精霊殿、貴方の回復魔法であれば、彼らの仲間の怪我を治せるのでは?」


「はぁ? なんでそーなるんだよ」


「無理ですか?」


「む、無理じゃない! 精霊舐めるなっ!」


「ならお願いします」


「だから、どうして私がコイツらを治してやらなきゃならないんだ!」


 彼らは人類圏内で圧倒的な発言力を持っている。今後も嫌われたままというのは、どこへ向かうにしてもやり辛い。また手配書などバラまかれでもしたら大変だ。今後手に入れるだろう若返り美少女フェイスは、綺麗なままで運用したい。


「勇者様たちは貴方に対して勘違いをしています。貴方が邪精霊などという訳の分からない存在ではなく、歴とした水の精霊であることを彼らに示すのです。その優れた回復魔法を目の当たりにすれば、きっと理解を示してくれることでしょう」


「水の精霊? 邪精霊ではないのか?」


 やったぞ、さっそく勇者様が食いついてきた。


 お仲間の容態が掛かっているからだろう。


「どうして勇者様は彼女を邪精霊だと考えたのですか?」


「あの辺りは邪神の影響下にあると聞いた。そのような場所に精霊のような純粋な存在が、居を構えている訳がない。何かしら良くない影響を受けた存在であると、そのように考える方が自然だろう」


「はぁ? 邪神ってなんだよ! あそこは普通の森だろ!?」


「その理論で言うと、他の生き物についても危うい気がします」


「あの森に住まっているモンスターは、どれも危険な生き物ばかりでないか。全てが全て邪悪という訳ではないが、凶悪なモンスターが多い。その精霊もまた、オマエたちハイエルフに迷惑を掛けていただろう」


 伯爵との会話でも感じたけれど、あの森は彼ら人類にとって、あまり印象の良い場所ではなさそうだ。そのようなエリアで人類に比較的近しい生き物、エルフたちを便利に使っていた精霊殿は、自ずと邪悪な勢力として分類されたのだろう。


 そもそも人の行き来がないと叔父様は語っていた。


「勇者様、北の森についてはひとまず置いておいて、本人の言葉だけでも信じてはもらえませんか? 我々エルフとしても、決して精霊殿を嫌っている訳ではないのです。ちょっとした行き違いから、以前のような騒動になってしまったのです」


 邪神云々については、我らが神様の存在もあるので、一概に否定することはできない。本人もこちらの世界から追放されて地球にやって来たとか、割と普通に邪神っぽい経緯を口にしていた。


 ただ、土地そのものは普通だと思う。住んでいる連中も安穏としたものだ。ミノタウロスたちとグリフォンの痴話喧嘩を目の当たりにした後だと、人里近郊の森と大差ないように感じられる。


 むしろ個人的にヤバイと思うのは山岳部だ。なんせ白いクマがいる。


「……その精霊の魔法でなら、仲間の怪我が癒せるのか?」


 勇者様も精霊殿の力に興味を持った様子だ。


 恐らくは彼らも、一方的な決めつけから動いていた、という認識はあるのだろう。こちらのエルフから説明を受けたことで、勇者様は少しばかり譲歩の姿勢を見せた。お仲間の具合も、我々が考えているより悪いのかも知れない。


「精霊殿、これもまた人里でお酒を楽しむために必要なことです」


「な、なんでそうなるんだよ?」


「彼らは人類の代表と称しても差し支えない方々です。まさか仲違いをしたまま、人里で美味しいお酒を呑める筈がないでしょう。それくらい精霊である貴方であっても、理解できるのではありませんか?」


「ぐっ……」


 精霊殿の表情がこれでもかと嫌そうに歪んだ。


 しかし、お酒が掛かっている為か、断りの言葉は出てこない。


 ややあって、その首が縦に動いた。


「わ、分かった。私が治してやる」


 悩みに悩んでからの承諾。その言動を目の当たりにしたことで、勇者様たちも目前の人物が本心から言っていると理解したのだろう。訝しげな表情こそ変わらないものの、我々からの提案を受け入れると共に、手にした武器を収めてみせた。


「ならば我々に付いてこい。宿屋まで案内する」


「っ……な、なんだよコイツ、めちゃくちゃ偉そうにっ!」


「ここは抑えて下さい、精霊殿」


 勇者様ご一行とは仲良くしておいて損はないと思う。


 上手く行けば彼らのチヤホヤのおこぼれに預かれるかも知れない。


 食べ物の差し入れとかもらえるかも。




◇ ◆ ◇




 結論から言うと、精霊殿の回復魔法は怪我を一発で治してみせた。


「スゲェ、本当に一発で治っちまったっ!」


 町でも上等な部類に入る宿屋。そのお部屋の中でも、比較的値の張る一室のベッドが治療の現場である。シーツの上で横になった勇者様のお仲間に対して、精霊殿が回復魔法を掛けたのが、つい今し方のこと。


 これを受けて患者は、声も大きく吠えてみせた。


 今の今まで苦しそうに唸っていたのが嘘のようである。


「ほ、本当に大丈夫なのか? オリバー」


「痛みもぜんぜん感じねぇ。こいつはスゲェぞ、勇者!」


「……そうか」


 喜びの声を上げるオリバー氏に対して、確認する勇者殿の表情は複雑なものだ。怪我を与えられた相手から、これを治してもらったのだから、当然といえば当然だ。穴をほって埋めたようなものである。むしろ、素直に喜んでいる男のほうが変なのだ。


 ところで今更ながら、彼らの風貌を改めて確認してみる。


 勇者様は黒髪かつ黒目の二十歳ほどと思しき男性だ。勇者カットが極めて勇者らしい勇者様である。金属製の鎧と腰に下げた剣、それに足元まで下がったマントといった、まさに勇者と言わんばかりの姿格好をしている。


 また、彼の傍らには女性の姿が並ぶ。


 一方は地味な色のローブ姿。年齢は勇者様より少し若くて十代と思われる。腰下まで伸びた明るいブラウンの髪が印象的である。手には大きな杖を携えており、一見して火の玉など飛ばしてきそうな出で立ちだ。町では賢者様と呼ばれていた。


 もう一方は宗教色の感じられる神官服の女性。こちらも十代中程。おかっぱのブロンドヘアーが似合うとても可愛らしい娘さんだ。町では聖女様と呼ばれていた。回復担当なのは間違いないだろう。


 女性は共にオッパイが大きい。見ていて大変心地良い。


 そして、肝心の患者はというと、二十代前半と思しきガタイのいい兄ちゃんである。怪我の治療中とあって、上半身には包帯が巻かれており、他にはこれといって衣服を着用していない。おかげでムキムキマッチョなボディーが否応なく確認できる。


 部屋の隅には彼の装備と思しき金属製の鎧やら剣やらが置かれている。勇者様のそれよりも幾分か厳ついそれらに鑑みれば、きっと前に出て身体を張るタイプの戦士的ポジにあることが窺える。事実、町では戦士様と呼ばれていた。


 銀色のロン毛が中分けに垂れる様子は、これでもかとイケメン。もしも現代で生を受けたのなら、北欧でメタルバンドとか結成しそうな雰囲気を感じさせる。オバちゃんもこういうイケメンに生まれたかったと切に思う。


「助かったぜ、水の精霊とやら!」


「別にオマエの為じゃないからな? お酒の為だから仕方なく……」


 邪精霊云々については、先方の認識違いである旨、部屋に入った直後に説明を行っている。果たして信じてくれたか否かは分からない。だが、こうして精霊殿に声を掛ける戦士の表情は、決して感じの悪いものではない。


「なんにせよ助けられたのは事実だ。ありがとうよっ!」


「……そ、そうかよ」


 素直な好意を向けられて、精霊殿がちょっと照れている。


 精霊って割と扱いやすい生き物なのかも知れない。


「だがしかし、オマエに怪我をさせたのもコイツだぞ」


「そりゃお互いにやりあってたんだ、怪我くらいするだろう?」


「し、しかしだな……」


「そんなだから堅物って言われるんだぜ、勇者様よ」


「…………」


 几帳面な勇者様に対して、大らかな戦士殿、といった雰囲気だ。


 残る二名の女性とは、それぞれカップルだったりするのだろうか。美男美女のカップルペアとか、嫉妬からニュートン力学アタックしたくなる。何気ないデート風景の写真一枚でも、きっと馬鹿みたいにイイネが付くのだろうさ。


 キィ、なんて羨ましいんだ。


「俺はアンタたちを信じるぜ。一方的にけしかけて悪かった」


「オマエ、本当にそう思ってるのか?」


「ああ、本当だ」


「…………」


 訝しげな表情で相手を見つめる精霊殿。


 そんな彼女に彼はニカッと気持ちの良い笑みを浮かべて言った。


「聞いた話によれば、精霊ってのは割と真っ直ぐな存在らしいじゃねぇか。そんな相手がわざわざこうして足を運んでくれたんだ。それなら素直に信じるのが、勇者様ご一行の立ち位置ってもんじゃないのかね?」


 その視線は勇者様に向かう。


 堀が深くて怖い顔の割に、人懐っこい笑顔を浮かべる北欧メタル。


 その表情に絆されたのか、勇者様は渋々といった様子で頷いてみせた。


「……分かった。その者たちを信じようと思う」


「そうだ、それでこそ勇者様ってもんだ!」


 この様子であれば、人里での活動も当面は問題あるまい。


 精霊殿の傍らで、オバちゃんエルフはそっと内心ほくそ笑むのだぜ。

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