人里 四

 少女が見せたほんの僅かばかりの身じろぎ。これに応じて露わとなった胸元と、そこから覗いたペンダントは、非常に物騒な代物であった。ザック氏の言葉によれば、隣国に寝返った上、現在進行系で本国に喧嘩を売っている侯爵家のものだという。


「オマエ、コイツのこと苛めるのか?」


 少しばかり表情を強張らせた精霊殿がザック氏に言う。


 どうやら少女のことを守るつもりらしい。


 ただ、こちらのアル中が話の筋を理解しているとは思えない。どれもこれも人間の都合である。精霊である彼女には縁のない話だ。恐らくは急に変化を見せた会話の雰囲気に、自ずと触発されたのだろう。


「いいえ、決してそのようなことはありません。ただ、リヒテンシュタイン家は現在、とても危うい立場にあります。その家柄の方だと世間にバレたら、まず間違いなく攫われてしまうと思います」


「え、そうなのかっ!?」


「そちらの彼女がどういった立場にあるのか、我々は知りません。また、皆さんとの仲を険悪にしてまで、知りたいとも思いません。ただ、もしもご存知でないようでしたら、十分に注意して頂けたらと」


「…………」


 ザック氏の言葉を受けて、副店長の表情も些か険しいものに。


 もし仮に彼女が侯爵家の人間であったとして、それを本国の人たちが知ったのなら、まず間違いなく捕らえて人質にするだろう。その有効性はさておいて、とりあえず的に試してみるくらいはするに違いない。


 流石にそれは可愛そうだ。


「しかし、このタイミングで貴方がリヒテンシュタインの方を連れている、となると色々と勘ぐってしまいますね。もしも彼女を担いで現侯爵を退けたのなら、平民から貴族に出世することだって夢ではありませんよ」


 それは夢のある話である。


 ただ、優先すべきは精霊殿からの信仰だ。


「それはご指摘のとおり夢物語ですよ。そもそも彼女とはつい先程、こちらへ向かう道すがら、偶然から出会ったのです。それも私がというよりは、こちらの精霊殿が彼女のことを気に入って、一方的に食事に誘ったのが理由です」


「そうでしょうか? てっきり私はそこまで踏まえた上で、そちらの彼女と一緒にいらしたのかと考えてしまいました。リヒテンシュタイン家の誇る農耕地帯は、本国において非常に重要な食料庫ですから」


 ザック氏、思ったよりも野心的な人物なのも知れない。


 それとも商人をしている人は、誰もがこんな感じなのだろうか。背景的には雇用の安定や社会保障なんて望めない世界観だし、常にハングリー精神を持って生きていかなければならないって気はする。


 そして、いずれの場合であったとしても、自分の力で何かを成し遂げようと頑張っている人は格好良く映る。勤め先では役員にゴマをすって出世する人ばかり見てきた。というか、すらないと出世できない。役員もまたゴマすりで出世してきた人たちだ。


 おかげで社内はゴマだらけ。誰も掃除をしないから。


 その反動だろう。


 腕っぷし一つでご飯食べてる人って、やっぱり格好いいと思う。


 素直に憧れる。


「……あの」


 そうこうしていると、怖ず怖ずといった様子で少女が声を上げた。


 視線はこちらのオバちゃんエルフに向けられている。


「今の話って本当に、じ、実現できるのでしょうか?」


「…………」


 さて、どうだろう。


 できるかできないかで言えば、やってやれないことはないような気がする。侯爵様の兵がどれくらいの規模だか知らないけれど、飛行魔法で上げ下げすればどうにかなるんじゃなかろうか。


 精霊殿のような物理無視の相手がいなければ、数分と要さないで制圧可能。


 そして、自分はそういった行いに割と抵抗がない。


 十代の少年であれば、他人を害することに葛藤など持ったかも知れない。二十代の青年であっても、倫理観やその先に待っている人間関係の変化を想像して、色々と考えることがあっただろう。


 ただ、二十代も後半のアラサーとなれば、他人とか割とどうでもいい。


 人生も折り返し地点が近づいてきた昨今、大切なのはチヤホヤされること。年をとって現役から退いた経営者や実業家が、その資産を使ってはっちゃけたり、自身の名前を世に残そうと慈善事業に精を出したりするのと同じである。


「私、家を取り戻したいのです。お父様とお母様がいらした頃の、とても暖かで穏やかだった家を。二人はもうこの世にいませんが、でも、せめてあの家だけは、私が守っていきたいと強く思うのです」


「なんかよく分からないけど、オマエは家に帰りたいのか?」


「はい」


「よし! それなら家に帰るぞっ!」


 ここへ来て精霊殿の拾った少女が炎上の気配。


 この子、確かに炎属性かも知れない。


 おかげで精霊殿に火が付いてしまった。


 っていうか、そうした危ういお話をザック氏やミレニアム氏の前で行ってしまって大丈夫なのだろうか。もしも通報されたら大変なことになるような。いいや、通報されなくとも、万が一の際に彼らの身の安全とか、不安になってしまう。


「ザックさん、私は今回のお話、聞かなかったことにさせて下さい」


 しょっぱい表情でミレニアム氏が言った。


 彼ほどの立場にあれば、避けて当然の流れである。年齢的に考えて奥さんやお子さんもいらっしゃることだろう。そうした身の回りの全てが破産しかねない企み事である。万が一にも失敗したら、碌な目に遭わないだろう。


「乗らないのですか? ミレニアムさん」


「い、いえ、流石にこれほど大きなお話は……」


「私はお二人に協力させて頂きたく思います。このまま一介の商人として終わるつもりはありません。そこに機会があるというのであれば、どうか私のことも巻き込んでは頂けませんか? 覚悟も既にできております。必ずや役に立ってみせます」


 ザック氏とミレニアム氏の間では意見が割れている。


 水の精霊殿と炎属性の女児はやる気満々だ。


 そうなると自身はどうだろう。


 これといって否定する材料はない。


 何故ならば貴族、貴族なのである。


 貴族になれば、大勢の平民から平伏されることだろう。街を歩くにしても、お貴族様の御威光から、誰彼構わず大きな顔ができる。当然、それはチヤホヤされるに等しい行いではなかろうか。


 誰もが口々にお貴族様、お貴族様と、我が身を特別扱いしてくれるに違いない。


 そう考えると取り組まないという手はない気がする。


「……分かりました」


 厳かにも呟かせて頂く。


 すると、応接室に居合わせた皆々の視線が、一斉にこちらへ向かった。


 とても気持ちいい。


 会話の場を制した感じが、これでもかと気持ちいい。


「リヒテンシュタイン侯爵を討ちます」


「お、おぉ……」


「そんな、まさか本当にっ……」


 男性二人から上がった感嘆の声が、五臓六腑に染み渡る。


 なんという快感。


 これこれ、こういうのがやりたかったんだよ。




◇ ◆ ◇




 同日、我々はザック氏のお宅にお邪魔する運びとなった。


 なんでも賃貸だそうで、気になる間取りは居室二間のダイニング付き。現代日本風に言うと2DK。バブル期のファミリータイプのマンションを総石造りの西欧ファンタジー仕様で実現したような物件だ。


 建物そのものは繁華街から通りを一本挟んで、賑やかな界隈にほど近い所在となる。年若い独身男性が一人で暮らすには絶好のロケーションだろう。主に異性を連れ帰るのに適した位置関係である。


 彼曰く、二つある居室のうち一室、物置兼客間として利用しているお部屋を我々にご提供下さるそうだ。ベッドが一つしかないのが難点ではあるけれど、他に宿を取ることも難しいという話であれば仕方がない。


 本音を言えば、ヤリ部屋っぽい感じがちょっと嫌である。


「どうぞベッドは使って下さい。私は床で寝ますので」


 先制して少女に告げる。


 シーツに妙な汁とか染み付いていそうだし。


 こちらのオバちゃん、身体はメスだけど、心はオスなんだよ。


「え? い、いいのですか?」


「ええ、構いません。ゆっくりと休んで下さい」


「ですが、この家の方とお知り合いなのはお姉さんですし……」


「若いうちから硬い寝床で生活していると、身体を歪めますよ」


 自らの意志を主張すべく、率先して床へ身を転がせる。


 一見して汚れてはいないが、気分的に嫌なのだから仕方がない。ここ数日で硬い寝床にも慣れたものだ。昨晩も洞窟の地べたに寝転んで一晩を過ごした。おかげで抵抗なくゴロンとなれる。枕代わりのバッグも段々と馴染んできた。


 欲を言えば、ミノタウロスたちが作った座布団が恋しいけれど。


「……ありがとうございます」


「お礼は結構です。明日からの貴方の働きに期待していますよ」


「は、はいっ!」


 少女は素直に頷いて、ベッドに腰を落ち着けた。


 一方、まるで眠る様子がないのが精霊殿である。


「このお酒、なかなかイケるぞ!」


 ザック氏からせしめたお酒のボトルを抱えて、ご満悦の表情である。小柄な身体に対して大きく映るボトルを両手に、ゴクゴクと喉を鳴らしている。しかも、寝転んだエルフの枕元で呑んでいるからタチが悪い。


 酒臭い息が鼻先まで漂ってくるぞ。


「明日は朝から活動しますよ? 大丈夫ですか?」


「大丈夫だって! 二日酔いになっても回復魔法があるし」


「……回復魔法?」


 なんだそれは、初耳なんだけど。


 めっちゃ便利そうな気配。


「回復魔法で二日酔いが治せるのですか?」


「当然だろ? 私の回復魔法はすっごいからなっ!」


「っ……」


 なんということだ。


 まさかこのアル中は、二日酔いの辛さを翌日に持ち越すことなく、毎晩お酒を美味しく頂いているというのか。思い起こせば本日も随分と元気だった。こちらのエルフが頭痛を抱えつつ昼から起き出していたというのに。


 なんて羨ましい。


 同じアル中として、血が騒ぐ。


「……な、なんだよ? 睨むなよっ」


「信徒の晩酌に付き合うのも教祖の務めです。寝酒としましょう」


 横になったばかりの身体を起こして、精霊殿の前に座る。


 床にどっかと胡座をかく。


「代わりと言ってはなんですが、明日は回復魔法をお願いします」


「オマエって分かりやすいニンゲンだよな……」


「さぁ、早く私にもお酒を」


「別にいいけどさ」


 これは便利な生き物を手に入れてしまった予感。


 信仰の是非はさておいて、当面は仲良く過ごしていきたいと思う。




◇ ◆ ◇




 同日の夜、お酒をたくさん呑んだ為か、夜中に尿意で目が覚めた。


「…………」


 少女はもとより、精霊殿もぐっすりと眠っている。


 後者など抱きまくら代わりに酒瓶を抱いている。


 おかげで部屋は静かだ。


 当然、明かりも落とされている。


 床から身体を起こしたエルフは、カーテン越しに差し込む夜灯を頼りに廊下へ向かう。トイレの場所は事前にザック氏から説明を受けていたので問題ない。以前まで止まっていた宿屋もそうだったのだけれど、こちらの町には下水道が整備されている。


 おかげで夜中であっても、屋内で用を足すことができる。


「…………」


 廊下に出た直後、ふと向かう先に灯った明かりに気づいた。


 それはもう一つある居室から漏れていた。


 ドアと壁の隙間から廊下の暗がりへ差し込むようにして、照明より発せられた輝きが一筋の線となって窺える。どうやらザック氏はまだ起きているようだ。こんな時間まで仕事だろうか。


 疑問に思いながらもトイレに向い足を進める。


 すると、ちょうど部屋の正面まで至った辺りでのことである。


「ロリロリ、ぷにぷにっ! ロリロリ、ぷにぷにっ!」


「え……」


「かわいいよ! かわいいよ! リヒテンシュタインちゃん!」


「…………」


「でもでも、精霊さんもかわいいよっ! かわいいよっ!」


 何かを激しく擦るような音と共に、その声は聞こえてきた。


 ザック氏、ロリコンで確定な。

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