第36話 爺、仇敵と面を合わせる

 通路を駆けるイリヤの背後から、激しい剣戟の音と震動が伝わってくる。


 いかに稀有な才能を有していようが、シリウスが未だに発展途上には違いない。将来的にはともかく、今のシリウスにミノタウロスは荷が重たすぎる。ゆえに最初は『足止め』に徹するように言ったわけだが。


「死ぬなよ、シリウス」


 後ろを振り返ることはせず、だがシリウスは祈るように呟いた。


 シリウスが見せたあの顔には覚えがある。


 別の誰かが浮かべたもの。


 自らの限界に命を懸けてでも挑もうとする、戦士の顔だ。


 あんなものを見せられて首を横に触れるはずがない。いかなる危険があろうとも、もし拒絶などすれば、たとえその場を生き残ったとしても、今後は一生恨まれるに違いない。


「……どちらにせよ、儂は儂の仕事をきっちり終わらせにゃならんか」


 シリウスがどのような形で生き残ろうとも、イリヤが仕損じれば全てがご破算だ。心配する気持ちはあれどそちらにばかり気を取られているわけにも行かない。断腸の思いでシリウスのことを思考の片隅に追いやると、イリヤは目の前のことに集中する。


 しばらく走ると、広い部屋にたどり着く。


 やはり人工的な作りであるが様相はかなり異なっている。部屋の至る所にパイプが張り巡らされており、壁には大小さまざまな、円柱状ガラス容器のようなものが並んでいる。内部は液体で満ちており生物と思わしき何かしらが収まっていた。


「……旧文明時代の遺跡か。まだ稼働してるモノが存在しているとはな」


 この迷宮──あるいは遺跡──は、イリヤの前世よりも更に大昔に建造されたものだ。過去にイリヤも何度か目にしたことがあり、だからこそこの遺跡がどのような意図で作られたのかも知っている。


「……やはり来たか、魔法使い」


 言葉を発したのは、その深奥にいる人の姿。


 否、見てくれこそは人間に近しいがそれは人と似て非なる存在だ。


「──っ」


 ズキリと右目が痛む。頭蓋の中央に突き刺さるような痛みだが、半ば予想していたことでありもはや動揺はなかった。


「仲間を置いてきたのは以外だ」

「あのミノタウロスと戦っている最中にお前に割り込まれちゃ敵わんからな」


 自身からは見えないが、おそらく右目は再び金色に変じていることだろう。間違いなく、目の前にいる存在が起因している現象。これまで己が辿った軌跡を顧みればそれが何を意味しているのかを推し量ることは可能だ。


「まさかこの時代でツラを合わせることになるとは思わんかったよ──『魔人』」


 それはかつて、『魔王』が率いていた尖兵の一つ。姿形は人にこそ似ているが、うちに秘めた力は強大。中にはたった一人で当時の人間戦力一個師団と同等とされるほど個体も存在していた。


 無論、それも過去の話。かつての戦いにおいて魔人は、勇者を筆頭にイリヤを含んだパーティーによって全てが打ち滅ぼされていたはず。


 はず──なのであるが、イリヤの目の前にいるのはやはり魔人に相違なかった。


「昨日、儂らの戦いをこっそり見てたのはお前か」

「然り。これまで観測した人間の平均値から大きく逸脱した魔力を二つ感知した。故に、モンスターを放って観察した」


 二つ──イリヤだけでなくシリウスのことを指しているのだろう。口ぶりからするに、あのオーガを放ったのもこの魔人。イリヤたちの能力を把握するための当て馬だったと考えられる。


「とりあえずあれだ。一応は確認しておきたい」

「なんだ?」

「お前たちの親玉であった魔王はもうこの世に存在していない。その辺りは理解してるか?」

「ああ。我ら魔人は魔王様の存在をどこからでも知覚できる。故に知覚できていない時点で魔王様が消滅しているのは当然の帰結だ」

「ってことは、お前たちに命令を下していた者はいないわけなんじゃが──」

「我らの存在意義は魔王様のご意志に沿うこと。そして魔王様の意志は人間の殲滅だ」

「だよなぁ。お前らはそういう存在じゃもんなぁ」


 一縷の望み──むしろ0.1ほどの望みではあったが、予想通り取り付く島もないようだ。判り切っていたことではあるのだが。


「こちらからも質問だ」

「まぁこっちの疑問には答えてくれたわけだし……なんじゃ?」

「どうして貴様がその目を持っている」


 魔人の言葉がイリヤの金眼を指しているのは聞き返すまでもなかった。


「あー、これな。とばっちりというか事故というか。正直、神様の悪戯とかそのレベルの偶然じゃな」

「その目を持っている貴様に対して私は激しく苛立ちを感じている」

「気持ちはわからんでもない。儂だって逆の立場だったらキレ散らかしてるじゃろうしな」


 タダでさえ張り詰めた緊張がいよいよ昂っていく。


 パチンッ!


 イリヤは短く息を吐き指を鳴らして、魔法陣を展開。解き放たれたの数多の鋭利な氷の礫。弓から放たれた矢の如く、魔族に向けて殺到する。


 けれども魔人が振るった腕によってその全てが破砕された。


「そりゃそうなるわな」


 魔人の腕はそれまでの人型とは違った形状に変貌していた。筋肉が異様に肥大化し、まるで肉でできた鎧のようなものへと変じていた。


「卑怯とは言ってくれるなよ」

「我らと貴様ら人間とは元来そのような関係と認識している。是非を問うつもりもない」

「お前ら、エセ貴族とか腐った王族とかよりも本当に潔すよすぎる。愛憎交々の戦いの方がまだやりやすいんじゃがな」


 自身に定められた仕事を当然のように行う。まるで熟練の職人が口にするようなセリフに、イリヤは苦味が走った顔になる。感情の伴わない行動原理を前にするといつもこうだ。


 しかし、だからと言って手心を加えるつもりもない。

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