6−10
──夜更しの夏はまだ覚めず、静寂の世界にはふたりきり。朝陽に白む街は薄青色のベールで覆われていた。
夢の延長に続けた現実へのバージンロードを歩むのは、手を繋いで歩くふたつの影だった。
◆◆◆◆
「この人はネイルスクール卒業の既婚子持ち、この子はハタチで美容専門学校卒業予定者か。昔の私みたいな子がひとりはいるものね」
莉子は独り言を呟きながらソファーの背にもたれた。
9月に入ってもまだまだ暑い。ほどよく冷房の効いた室内を見回せば、傍らのテーブルに散らばる書類が目に留まる。半年後にオープンするネイルサロンの完成予想図と数枚の履歴書だ。
ここに並ぶ履歴書は職歴の欄が真っ白も同然な、新人ネイリスト達のものがほとんど。その理由は経験者のみの募集条件で就職活動に苦しんだ自身の経験に起因する。
ようやくここに辿り着いた。これを幸せと呼ぶのなら、おそらく今の莉子は幸せだ。この先、もしかすると幸せではなくなるかもしれないが現状は満ち足りている。
静かだった部屋に呼び鈴が鳴り響く。宅配業者の配達だった。莉子宛に届けられた荷物は真紅の薔薇の花束だ。花の数を数えてみると、40本ある。
彼に初めて貰った薔薇の花束の本数は11本。次に貰った花束は12本の薔薇だった。
11本の花束の意味は最愛、12本はダズンローズと呼ばれる特別な数の花束。40本の意味は後で調べなければ。
「顔を見て直接渡してくれてもいいのに。昔から肝心な時に照れ屋よね」
独り言を呟いて彼女は花束に添えられたメッセージカードを黙読する。
昔受け取ったメールの返事と同じ、相変わらず文章に飾り気が無いメッセージが彼の直筆で綴られていた。薔薇の花束の送り主は、口では甘い言葉を恥ずかしげもなく言えるくせに文章となると素っ気なくなる。
誕生日を祝うメッセージなら、せめて語尾にハートマークやエクスクラメーションマークくらいはつけられないものか。ニコちゃんマークでも面白そうだが……、そう考えたところで、こんな飾り気の無さが彼らしいなと莉子は微笑んだ。
メッセージカードを持つ莉子の左手薬指に嵌まる指輪が、窓から射し込む陽光を反射してきらりと煌めいた。
〈初恋は実らない〉だなんて、一体誰がそんな悲しい諦めのフレーズを最初に言い出したのだろう?──。
END
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