5−3

 日に日に肌寒さが増す11月第2週の金曜日、竹倉純は市内に所在する実家への道のりを車で辿っていた。

 ハンドルを操作する手がやけに重たく感じる。見慣れた風景が車窓を流れ始めると急に胃の辺りが痛くなった。


 純は実家には滅多に帰らない。年末も実家ではなく独り暮らし先のアパートで新年を迎える生活をもう何年も続けている。

 自発的に彼が実家に出向くのは年始の挨拶くらいだ。


 しかし何かの契約の書類だとか役所への手続きだとか、そうした雑多な面倒事だけは事あるごとに父も母も純に押し付ける。

 そのためこうして休日に呼び出される事態は間々ままあった。


 父は出掛けていて不在だった。顔を合わせずに済んで安堵した純はやはりまだ、心のどこかで父親を怖がっている。

 虐待された者が負った心の傷は簡単に癒えるものではない。


 純の実家はこの一帯では比較的大きめな戸建て住宅だ。部屋数だけは無駄にある広い家にひとりでいる母と交わした言葉は、挨拶と用事に必要な会話のみ。

 純がどんな仕事をしてどんな生活をして、日々何を思って生きているかなど、純をネグレクトした母親には興味も関心もないことだった。


 兄の仏壇には兄が幼い頃に好きだった菓子類が供えられている。兄が自殺をしたのは高校生の時で、その頃には当然そんな菓子類は好んではいなかった。

 母の時間は一体、いつの頃で止まっているのだろう。純のことは放っているくせに、死んだ兄にはいつまでも過保護な母親だ。


 用事を終わらせて帰ろうとした純は玄関先で親戚の叔母と鉢合わせてしまった。彼女は純の父親の実妹、親戚連中で彼が最も苦手とする人だった。


 叔母に会ってしまった以上は話をしないまま帰らせてくれるはずもない。

 心の中で盛大な溜息をついた純は、みずから応接間の和室に案内して叔母をもてなした。母は叔母の来訪を告げるやいなや居間に引っ込んでしまった。


 母も義理の妹に当たるこの人の扱いが得意ではない。詮索好きの噂好き、皆が手を焼く暴れ馬の扱いが得意な人間がいるのならぜひ派遣してもらいたいものだ。


 純が淹れた温かいほうじ茶で一服ついた叔母がさっそく詮索を始めた。


「純くんも36だろう? そろそろ決まった相手を見つけて兄さんと義姉さんに孫の顔を見せてあげないと兄さん達が可哀相だよ。うちなんか孫が7人もいて7人分のお年玉と誕生日の出費が毎年大変でねぇ」

やす兄さんの家は子沢山ですからね」


 従兄の泰之やすゆきの家庭は総勢5人の子供がいる。上ふたりは双子だ。

 泰之の妹の家庭にも2人の子供がおり、7人の孫に囲まれた叔母には、いまだに孫がひとりもいない自分の兄が不憫ふびんでならないらしい。


「で、どうなんだよ。今までもそれなりに女は居たんだろう? 泰之が羨ましがっているんだよ。純くんは泰之と違って見た目がシュッとした二枚目だからねぇ。今はいいヒトはいるのかぃ?」


 叔母の追及を無言の微笑でやり過ごす。莉子の存在は両親にも叔母にも明かしたくなかった。

 恋人の存在を明かせば、まず莉子の年齢に驚かれる。


 挙句の果ては援助交際ではないのか、若い女に騙されているのではないか、莉子の親への挨拶は済ませているのか、結婚するつもりなのか等、要らぬ心配や詮索をするに決まっている。そのすべてが純には鬱陶しかった。


「親だって老いていくもんだよ。将来的に兄さん達の介護はどうするのさ。お嫁さんがいないなら純くんが全部やるの?」

「介護をさせるために嫁を貰うのは目的が違うでしょう。叔母さんだって、あちらの親の介護をする気で、旦那さんに嫁いだんですか?」 


 純の切り返しに常に饒舌じょうぜつな叔母が初めて口ごもった。


「それはまぁ……そんな決まりごとは聞いてないわっ! と言いたいのよ、私も。若い頃はそんなことも考えずに勢いで結婚するものだからね。でもあちらの親の介護が嫌とは言えないんだ。嫁って言うのは嫁ぎ先で一番立場が弱いからねぇ」


 女ではない純には嫁の立場の弱さや叔母の苦しみは察することしかできないが、嫁ぎ先であっても他人の親の老後の世話を、人様の家で大切に育てられた女性が行うことが当然とされる社会の仕組みは、理解に苦しむ。


 自分も同じ葛藤を抱えているくせに、純の親の介護のために嫁が必要だと叔母は考えている。理不尽の連鎖を止めようとは彼女は思っていない。

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