For what purpose do people have to die?➁

 武蔵の自殺は、それが屋敷の人間に与えた影響は大きかったと思う。

 残された家族は、一度リビングへと集まった。

 それには、もちろんハルミも入れて。


「皆さん、落ち着いてください」

 千尋の悲痛な叫びは、瞬く間に家族の混乱に拍車を掛けた。

 一番の混乱の原因は、夏樹であった。彼は、誰の声も聞こえないほどにおろおろと歩き回っては、急に崩れ落ち、叫び声をあげた。僕とハルミはとにかく自分たちが落ち着こうと精一杯で、ミミと理恵は夏樹の混乱を浴びて、発狂寸前というところだった。


「もう死ぬんだ……死ぬんだ……」

 と言って笑い始めた夏樹は、叫びながら理恵にしがみついた。

「ヒッ――」と理恵は短い悲鳴を上げ、夏樹の異常な興奮を一身に受ける。


 狂気が彼女に伝染する前に、「失礼します」と千尋がガラスの灰皿で夏樹の後頭部を殴った。

 すぐに千尋は、白目を剥いて倒れた夏樹の首元に手を当て、脈を確認する。

「大丈夫です。気絶しました」


 皆を落ち着かせるためとはいえ無茶をする。

 僕も夏樹の脈をとり、後頭部の打撲を見て、大丈夫そうなだと確認した。


「では、少し落ち着いて話を聞いてください。ここから脱出する方法を考えましょう」

「じゃあ、一つ質問が」

 と僕は挙手する。

「島の入り口を守る電子ロック――あれを解く方法が他にあるんですか。あれさえ切ることが出来れば、何らかの方法はあると思うんですが」

 何とか電流を切れないものか。

 それに対する、千尋の答えは「NO」であった。

「簡単に切れるものであるなら、すでに私が切っています。もちろん鏡花さんも同じ考えだったと思います。ですが、そんなに簡単に電流が切れるものなら、泥棒も入り放題ですよ」

「じゃ、じゃあ、助けを呼ぶ方法は……」


 明らかに尋常じゃない量の汗を搔いて、喚く理恵。

 それに関しても、首を振る千尋。


「電話線自体は、屋敷の地下から海中を通って本土まで引かれています。かなりの距離ですし、大工事だったでしょう。出来る限り安全に、切れにくいように作られているはずです。よって、それが切れたとは考えにくいのです。何らかの理由で送信がストップしたと考えるべきでしょうね」

 切れたのではなく、繋がらないのだと説明した。

「なら、その接続を回復させることは?」と僕は再び挙手。

「無理です。アタシにそんな才能は無いです。難しい仕事の多くが鏡花さんの仕事でしたから、アタシはその下で働くしがない弟子です。まだ教わっていないことばかりで」

 なら、完全に脱出は不可能。


 あとは、殺される運命を待つだけだ。

 神の御導きなんてものは、子どもの迷路遊び程度の心許ない適当な結末でしかない。物語の後の結ばれるENDは、HAPPYではないらしい。もっとも悲惨なBADENDでしかない。

 それを後の世の人は、こう言うのかもしれない。

『幸福な人間に幸福な死は訪れない。人生は±0(ゼロ)となりえる』と。


「僕は認めない」と心の中で呟いた。



 1人、また1人と去っていくリビング。

 残るのは僕と倒れた夏樹だけ。

 武蔵の死からも分かるように、屋敷がある側の高さはかなりのもので5階建てのビルほどの高さとなっている。これは岩が滑らか過ぎて、手足で降りることは不可能だし、そんな長さのロープは屋敷にない。島は、入り江の方に下るにつれて、山を下りるように低くなっていくのだが。取り囲むような崖の高さは変わらない。

 島を取り囲むのは、普通の山ではない。

 これは城壁だ。

 自然の城壁。

 周りからの脱出は不可能。このまま全員が殺されるのを待つか。それとも以上に気付いた誰かが助けに来るかの勝負になってしまうだろう。これを防ぐ手立てはない。あとはこの事件を解決するという最終手段しか残っていない。

 袋の中に残ったドロップは、とても辛いハッカ味。

 それを食べるのは、なかなか骨が折れる気がする。

 この最大の設問を僕は、完全な形で解決することが出来るのだろうか。

 殺人事件においては、その犯人を当てることが最大の命題。


 問Ⅰ:誰が深雪と鏡花を殺したのか? 同一犯なのか?

 問Ⅱ:ミミとは何者か?

 問Ⅲ:晶人や武蔵が自ら死を選ぶきっかけは?


 この3つが絡む3つ編み状態で、固まっている。

 それを解くための簡単な方法がまだ見つかっていない。それこそが現状一番の問題点である。それを解くための鍵が、どこにあるのかが分からない。

 問いと、適する回答と、強い論理。

 この世界に必ずある3点セットは、見つけて揃えるのは至難の業。

 ましてや、人並みの僕には遠く及ばないものなのかもしれない。



            ◇



 そのあと、調理室を見せてほしいと千尋に頼んだ。

「零さん、どうぞ案内します」

 彼女は手招きして僕を調理室へと招き入れた。重々しい電子ロックの錠が、ここのドアにもついていて一部の人間しか入れないようになっているようだった。湧いていたお湯をポットに注ぐと、紅茶の香りが室内に広がる。フレッシュなダージリンの香りだ。

「どうです。何か見つけられそうですか?」

 僕がうろうろとみている間にも、彼女はお茶の準備を続けて紅茶をカップに注いでいた。

 白と銀色シルバーに統一された調理室は、プロ仕様のガスコンロや調理台が並んでいて、どれも綺麗に素晴らしく磨きこまれた光沢は、とても眩しいくらいだった。鍋もフライパンも、何もかもが新品同様の美しさまで丁寧に使われていた。

「スゴイな。で、向こうが?」

「冷蔵庫と仮眠室ですね。紅茶に砂糖は?」

「ああ、少し欲しい」

 硝子のシュガーポットを受け取って、小匙の先に少し乗るくらいの砂糖を入れて、貰った別のスプーンでかき混ぜる。立ち上る湯気が少し甘く変わり、フレーバーの新鮮味が増して、まるで果実のようだ。

 食堂が十分広いので、その奥にあるこの場所は少し狭いだろうと想像していたのだが、二人で使うには十分すぎるほどのスペースがあった。仮眠室にも入って、奥まできちんと確認した。ちゃんと千尋と鏡花の個室も別れている。その隣は、部屋と言って差し支えないほどの大型冷蔵庫がある。

 ここは、屋敷の右奥の角。

 重要な施設として、鎮座する。

 部屋の端から端まで歩いて調査する。 

 でも確かな違和感を抱いてしまう。少し何かが違うことは感じ取れるのに、何が違うのかという具体的な違和の正体は分からないでいる。僕は続いて調理室の端から仮眠室に歩いて、扉を開けて奥まで向かう。

 どこか存在する違和感を思い出そうとする。

 うろうろと歩き回りながら考えていると、後ろから声を掛けられる。


「ねえ、探偵さん。貴方の意思を聞かせてください。貴方の想いは、彼女と共にあると言うことでよろしいですか?」

「ああ、その通りだ」

「では、先にもう一人の彼女を『犯人』であると証明してください。誰にも納得する形で」




 彼女の犯行の証明と言われても。

 重石を乗せられたように、回らない頭脳。

 悩んでも、悩んでも、問題に答えは出ない。

 食堂を出てエントランスの真ん中まで来たところで、立ち止まる。

 南に位置するこの島で、昼時の太陽は本土よりも高く、まるで真夏のよう。

 八月の昼のように強い日差しは、玄関の真上にあるステンドグラスから差し込んで、絵を踊り場の上にあるカンバスへ映していた。硝子の像の真上に掛けられた真っ新なカンバス――古い屋敷だと先祖の肖像画などが駆けられていたりするのだが――に映っていたのは紛れもなくキリストの像であった。隣に並ぶように描かれたのは、12人の弟子たちの姿。

 紛れもなく、ボクの救いだった。

 この状況を救ってくださるよう、僕は初めて神に祈った。


「お祈り?」とミミの声。「私がアナタを、助けてあげましょうか?」

 彼女の顔は笑っている。こんな状況でも。

「君は何をしてくれると言うのかな。こんな地獄から救ってくれるとでも、そんな力があるとでも言うのかい」

「ええ、アナタの頭脳さえあればね」

 だから――と彼女は僕に近づいて、腕を体に回しキスをする。

 甘い唇と薔薇の香り――酩酊するようなフェロモンを感じる。

「私のモノにならない?」

 紅が笑う。

 でも――僕は強く言った。

 明確な拒絶の意思。

「ならない」

 僕はハルミのモノだ。

「君のモノには、ならないよ」

 突き飛ばす、身体からだ

 突きつける、解答こたえ

 彼女は「フッ」と笑って、去って行った。

 僕は見なくても分かる。彼女の悔しそうな顔が、後ろ向きでも分かった。


 

 問題を整理してみる。

 一人リビングのソファに座りながら、ゆっくりと思考を巡らしていると、僕の後ろの方から声が聞こえてきた。

 僕の思考を邪魔するようなそんな声。

 それはどこか、必死そうだった。

 僕は思考の海から浮上するように、脳を現実へと切り替える。

「探偵さん、ちょっといいかな」

「なんですか、夏樹さん」

 慌てていて額に汗を浮かべる夏樹。どこか挙動不審気味な彼は、手を擦り合わせて言動はどこか怪しい。僕は彼の眼をじっと見たが、彼は始めに数度目を合わせただけで、じっと僕の眼を見つめることなんてなかった。

「ねえ、探偵さん。もう事件は解けたかな?」

「まだですよ。何かあれば、皆に話していますよ」

「ああ、そうか。なら、俺の部屋にヒントの紙を用意しておいたよ。僕なりに伝えたいことを書いたつもりだ。だから、僕がいなくなった後で、それを読んでみてくれよ」

「えっと、アナタはどうする気なんですか?」

 彼は微妙に引きつった笑いを浮かべた。

「僕は逃げられないか確認してくるよ。無事に逃げることが出来たら警察を呼んで来よう。どうせ門の電流なんて嘘だろうし……」

 僕はその根拠のない自信に反論しようと思ったのだけど、話す前に彼は走りだしてしまった。僕は慌てて追いかけたのだけど、彼は持ったよりも速く、追いつくことは出来ない。僕らは見たのだ。実際に電流が流れているのを。ここからは出られない。

 家に戻ったら鍛えようと思うほど、自分の体力の急降下を感じる。

「待って――」

 玄関を出て彼が見える。もう森の中まで入っていくところ。

 

 彼は森をまっすぐに突っ切ろうとしたのだ。獣道を外れて、我が道を進もうとした。小さな獣道が、真の命綱であると知らずに。

 獣道を外れて、彼が草むらに足を入れるのが見えた。

 その瞬間に――

 一瞬の炎と、強い風。

 肌が焼けるほどの熱風を浴びながらも、彼のいた場所からオレンジの炎が立ち上るのが見えた。僕も森の外まで吹き飛んだが、怪我はなかった。火傷を負うほど近くにいたわけではないから。

 だが、彼はダメだった。

 爆発の中心にいた彼は、一塊の肉片さえ残っていない。それは見るまでもなかった。

 すべてが黒焦げた墨に変わったのだ。


 それでも僕は森の奥まで進み、持ってきた音楽プレーヤーをぶつけてみたのだが、それは一瞬で黒く焦げて使用不能になった。裏から確認したが完全に入り江と森を遮断している。これを超えるための高い木は近くにない。

 もう駄目だ。

 僕は全てを報告すべく、屋敷へと戻った。

 先に夏樹の部屋へと行ってみたのだが、鍵が開けたままの彼の部屋には先に誰かが侵入していた。部屋は無残にも荒らされて、彼が残したヒントは持ち去られた後のようだった。

 誰も出ることの出来ない島で、僕は地獄を見る。

 どこにも地上の楽園など存在しない。


 

 残りは5人。理恵・千尋・ハルミ・ミミ・そして僕。

 答えるべきは、ミミが嘘吐きであることの証明――それを披露する準備は、まだ整っていない。焦りは狂気のように迫ってくる。

 彼女に一目逢いたくて、僕は3階へと上った。

 ドアの隙間から一枚の紙。紙には、ただ英語で文章が書かれていただけだった。それは見たこともない名前で調べなければいけないものだったが――何とか解決に持ち込めそうだ。


『I am Judas.

 But, I was forgotten.

 I am Judas Thaddaeus.』

 

 しかし、実際は何のことはなく聖書にまで出てくる名前と地名であることが分かった。『Judas.』と書いて『ユダ』――これは、深雪の記述に由来するメッセージであると感じた。そして、それが出来るのはハルミ一人。

 何が関係するのか。そのヒントを探すためにもう一度携帯電話を開く。

 スリープを解除すれば、画面の電池の目盛はあと一つ。


「うわっ」

 あまりに焦ったせいで、戻るのボタンを押してしまう。それがもっとも悲しいヒントであり、直接的に黒幕へと結びつく決定打となった。映し出されたメールの履歴は、多種多様なアドレス帳の名前で埋まっていた。

 ミキ・リナ・コトミ……一番上のメールを開く。


 

 ミキという人間のメール。

『あなたのこと、書き込んでおいたから。

 苦しく死んでね。

 一生会うことが無いって思うと、

 めっちゃ楽しい~』


 そのあとに残酷な文言と、怪しげなURLが添付されていた。

 僕は、それを押す。

 開いたのは、パンドラの匣だった。

 これを見て、深雪がどう思ったかは想像に難くない。

 あの体の傷は虐待ではなかった。イジメによるもの。そして、書き込んだというワード。答えを探して、もっとメールの履歴を遡り続けた。胸が苦しくなるような誹謗と罵声の数々が淡々と画面に映し出される。


 そして、やっと答えに辿りつく。

 お気に入りとして保護されていたメール。

 同じ人間の名前がそこにはあった。アルファベットで『Aki』。それが彼のことなのかまでは分からない。でも、ひとつの関係あるキーワードが何度も頻出している。


『レオナルド』と『自殺』と『事業』。

 謎は、もう明白だった。

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