Who killed her for what purpose?③

 食堂に全員が集まり事件を簡潔に説明した。

 室内の状況はまさに、密室。部屋の鍵は、完全に掛かっていた。内鍵は、鍵の滑りがあまり良くないために外側からの仕掛けは出来ないだろう。古典的な仕掛けは不可能だと思う。サムターンを回して掛ける内鍵だが、鍵の回す部分にも装飾が施され、滑らか構造になっていた。たとえば、天蚕糸テグスなんかを引っ掻けたところで仕掛け自体がすっぽ抜けることになりうそうだ。かといって、ワイヤーなんかを無理に結んだりすれば、傷が付きかねない。

 

 それをハルミはピッキングという方法を用いて開けた。

 返事がされなかったからという動機としては不十分な物だったが、開けてしまったことで殺人が発覚したと言える。だが、彼女にとって不利な状況であることは変わりない。

 証拠を残さず開けたのは、やましいことがあるからではないかと。


「何故、返事がないだけで鍵を開けようと思ったんですか?」

 聞いたのは鏡花だった。

 彼は悲しみを見せることなく、冷静な態度で部屋の隅に立っていた。

「ここ数日は毎日ピアノを弾いていました。今日はそれを間近で聞きたくて、早く起きたんです。でも、起きてくるのがあまりに遅いと思ったので様子を見に行ったんですが……長い時間ドアを叩いていたんですけど、それでも返事が無くて」

「だから、自分の手で開けたと」

「ええ、昨日のこともあって心配だったんです。と同時にびっくりさせることが出来たらと……馬鹿な期待でした」

 ハルミは涙を落とした。


 彼女は人を殺すような人間ではない、と僕は信じている。

 でも、ここにいる誰もがハルミを疑っている。彼女に不利になる状況が有り過ぎた。ハルミを弁護するのは、かなりの危険が伴うことだ。信じるものを受容し、違和を拒絶するという気持ちは、人間の持つ危うい蜘蛛の糸。人間の本性は、正しいものに縋り付いて落ちたくない罪人と同じだ。

 状況を冷静に推察する。

 凶器のナイフは、リビングのバーカウンターに置いてあった物だから、誰にでも入手可能な状態であった。それだけ見ると、誰もが容疑者になり得るということだ。つまり、ハルミでも包丁を奪って、深雪を刺すことは可能である。

 ただし、ここで大きな問題が発生する。犯行時の深雪の部屋は状況だ。


 入り口の鍵は閉まり、窓から出入りは不可能。隠れている人間もいなかった。もっとも出入り口は、鍵のかかったドア一つしか考えられない。つまり、鍵を開け閉めできる人物が最も怪しいということになる。

 その方法としてあげられるのが、ピッキングだった。それに関しては、今の時点で家族に出来るということが提示されているのは、ハルミだけだ。しかし、僕も出来るのだが、明かすのは得策ではない。この状況で僕が出来ると話せば余計に彼女の疑いが増すのは確実。僕と彼女がグルとされて、反論もままならない。

 ハルミの疑惑は、すでに現時点の証拠では覆せない。


『空閑美美』が2人いる時点で、どちらかが殺したのだろうという意識が家族にはあるのは仕方ない。

 だが、1つ言いたい。

 同一人物が2人いるという、この状況。

 この悪意を持ってやってきた『ミミ』は、ほぼ泥棒か快楽殺人犯だと推測できる。


 どちらかが宝を盗もうとしてやってきた泥棒だろうとする考え方と、深雪を殺すということは結びつくようで結びつかない。犯人が皆殺しを狙っているというのなら説明できなくもないが、逆に宝を盗もうとすることとは繋がらない。

 殺人と窃盗は、手段としてはとても非効率的である。

 深雪を殺して増えるデメリットと、皆殺しにおける面倒な手段が宝を盗むという行動に暗い影を落とすのは確実だ。それらならば、武蔵を直接一人を殺して彼のネクタイから『涙』を盗んで逃亡するのが得策だ。

 1人ずつ的確に殺していくことで上がる成功率は、上昇するように見えて上がっていない。それは同時に疑いの眼が向く人物が限られていくことで、犯人を闇雲にマークしただけで的中する確率も上がることになる。さらには、犯行を重ねた分だけボロも出る。


 何故、殺す必要があったのか、なんてことは理解できない。

 僕は、ひとつの疑問を思いついて、口を開こうとした瞬間――


「殺したのは貴方じゃないの?」

 ミミの声が僕を遮った。

 皆が自身の考えを発言するのを逡巡している中で、彼女は堂々と口火を切っっていた。静かに腕を組んでいたミミは、我関せずとばかりに他人事のように、薄ら寒い音で言い放った。

 それで食堂に揃っていた全員がミミの方を見て驚いた。

 ハルミの眼から溢れる涙が増えた。


「その利点は何だ。何があって、深雪を殺す必要がある」僕は吠える。

「簡単じゃない」

 彼女は立ち上がる。

 躍るようなステップで語りだす。

「彼女こそが、ここに遣って来た泥棒だとしたら。そして、その宝を盗むためなら皆殺しも厭わないとしたら。そうだとしたら、深雪を殺さない理由は無いでしょう」

「非効率的だと思わないのか」僕の反論も無意味に彼女は続ける。

「効率だとか、非効率だとかっていう問題かしら? バレない方が重要じゃないの。ここは絶海の孤島なのよ」

「――ッ」

「そして、最強のカードは自白よ。彼女は言ったわよね。『自分の手で開けた』ことを認めたでしょう。ということは、彼女はピッキングが出来ることを意味している。なら――」

 彼女は不謹慎にも笑っていた。

「開けることも出来るなら、鍵を掛けることも出来るでしょう?」


 形勢逆転。

 流れは僕らを追い込む一方だ。彼女の言葉は何も解決しようとせず、僕らを穴へと陥れる的確な一手だった。何もせず、臭いものに蓋をする。そして、科学的な香料を上から降り掛ける乱暴なもの。

 だが、ミミの発言のせいで、家族の疑いの目が僕らに向いてしまう。これ以上、反論する術は無いのだ。この事件の犯人を突き止めない限り、僕らが無実であることは現段階では不可能である。

 それをハルミも痛感したのだろう。だから、彼女ははっきりと、


「なら、私を閉じ込めておけばいいわ。どこにでも、クーラーさえあれば何とかなりますから。でも一つだけお願いです。彼は、私の探偵は見逃してもらえませんか? 彼なら私の無実を証明してくれますから」

 僕は強く頷いた。

 ハルミは、三階の物置に隔離されることになり、僕にはミミの監視が付くことになった。

「よろしくお願いしまーす」

 そう言って笑うミミの瞳に、無能な自分への後悔と、畏怖を覚える無様な人間がここにいた。




 すぐさま、僕は深雪の部屋をさらに捜索しようと戻った。

 現場は遺体の発見時、密室だった。それは確かだ。鍵を掛けられ、窓からの侵入と脱出は不可能である。部屋の中に他の人物が隠れていたということは絶対にない。なら、どのように密室にしたのだろうか。

 そもそも、何故?

 密室にするのは、何故かという疑問。

 解答としてよく挙げられるのは、自殺に見せかけるためというものだ。でも、今回のケースでは、明らかに無理がある。理由づけとしては、不適当すぎる殺人の手段なのだ。深雪の死に方は自殺では有り得ない。彼女の年齢は13歳と幼く、さらにか弱い女の子ということを鑑みれば、自分で何度もそれも死に至るまで腹を刺し続けるなんて……。

 女性は元来『痛み』に強いとはいえ、これだけの刺し傷に他えら得るわけもない。

 自殺ならば、もっと単純で楽な死に方があったはずだ。

 またもう一つの根拠は刃の向きだ。かなり乱雑に刺したのか、刃の向きは狂っているが下を向いている。それも血で滑ったと言い訳すればまかり通るかもしれない。でも、刃の向きはそうはならない。

 自分で腹を指すなら包丁を逆手に持って、刃を横に向けて刺す方が楽なはずだ。

 だが、実際の傷跡は刃が下向きになっていた。よって、他のものによって刺された傷だと推測できる。

 もしも自殺に見せかけるならば、違った殺人方法もあったはずだった。


 分からない。

 なぜ密室状態で深雪を殺さねばならなかったのか……そもそも鍵はどうしたのだろう。ミミの言った通り、ピッキングの真逆に鍵を掛けたとでも言うのか。まったく意味のない行動をした意味は?

 鍵を掛ければ、他の人間に疑いが向くとでも思ったのか。

 他の利点があったのだろうか――もしくはハルミに……

 と、思って考えるのを止めた。

 

 何か証拠でもあればという半ば神頼みじみた行動だった。でも、何も見つからない。すでに執事が探し終わったのか。ここに彼女が生きていたという痕跡すらなくなっている。遺体もすでに別の場所へ移されていた。

 彼女の死んでいた場所に祈りを捧げると、僕は部屋を出た。

 深雪の謎を解き、魂を救うことが、ハルミを救うことになるのだから。


 リビングでずっと座り込んで、考えていた。自殺の理由。殺人の動機と犯人。解かなければならない謎は、いくつも山積している。

 横には、ミミが珈琲のカップを傾けている。


「それで、解けたのかしら。問題の方は」

「……」

 彼女は笑う。

「無視するのね?」

「当り前だ。お前の証言が全員の心証を悪くしたからだろう」

「フフ」

 ただ口元を綻ばせるだけで、それ以上何も言うことはなかった。


 そしてミミは席を立つと、リビングのグランドピアノの前に座った。すっと細い指が白い鍵盤を撫で、静かに指が置かれた。

 凛とした一音。

 奏でていく、清廉な音楽。

 清らかな音楽は、清廉な小川のように流れる。

 紡がれる鎮魂歌レクイエムは、まるで弟と妹を慰めるようだった。心まで本物にする彼女の気持ちまで嘘なのか――ミミという人間が分からなくなる。美しいピアノを弾くことすら嘘の上塗りならば、この世界に本当の真実など何もないかのように。

 ピアノは、まだしばらく鳴り止まなかった。



            ◇



 太陽が南に高く昇るころ、僕は彼女の昼食を持って、彼女の閉じ込められている三階の物置へと向かった。

 元々2階の部屋と変わらない普通の部屋だったこともあって、クーラーも家具も揃っている。大量の不要な物を入れた段ボールが天井近くまで積まれ、生活スペースを狭めている。小さな1人用のベッドの周り、約5畳だけがこの部屋の生活空間だった。

 彼女が持ってきてほしいと頼んだ本と着替えもついでに持ってきた。

 床に座れる場所も少ししか残されていないので、僕らは2人で使えるサイズの折り畳みテーブルを出して、ここで昼食をとった。

 彼女は何も言わず、ただ微笑みながらご飯を食べるだけ。

 昼は立派な和食で、メインは白身魚を味噌に漬けて香ばしく焼いたもの。甘味と香りが中までしっかりと染み込んでいて、魚の脂とともに噛むと溢れる。副菜は、ほうれん草のおひたしと、卵焼き。それに布海苔の味噌汁がつく。素朴でありながら、上品な味がする。

 

 ただ気になったのは、卵焼きだった。

 砂糖の味が濃く、焼色も美しいとはとても言えない。それだけが浮いていた。

 ぐるりと周りを見回せば、大きな地震が起これば一気に崩れてしまいそうなダンボールの山、元々が客間であるこの部屋のトイレとバスルームへの入り口を開けるために、無理に物を寄せたためだ。

 しかし、ゆえに最低限度の生活は保たれている。


 入り口のドアのサムターンは前から外されていて、中から鍵を開けることは出来なくなっていた。物置なのだからしょうがない。彼女は隔離されているのだから。それに人の想いは不要なのだ。

 鏡花の作った夕食を食べながら、彼女は呟いた。


「これを望んでいたのかもしれませんね」

「え?」

 僕は彼女を見た。

 微笑む彼女の後ろには、昼の太陽が指す。

 それが聖人の光輪のように光る。

「私が望んでいたものは、これなのかなと思っただけです。こんな状況ですけど。普通の小さい家で、普通に二人でご飯を食べて」

「なら、捨てるよ。何もかも。君の為なら」

「私は捨ててほしくない。そして、貴方はそれが出来る人間じゃないから」

「そうかも、しれないけど……でも」

 僕は、それだけしか言えなかった。強く言い切ることなんて出来なかった。

 彼女は笑った。

「好きですよ。アナタのことが――そんなアナタが」

「僕も」

「だから、この家に来て良かったのかもしれないですね」

 こんな悲しい場所に、何の意味があったのかなと僕は思うのだけど。

 残酷とも言える状況で、彼女は何故笑えるのだろうか。



 僕は昼食の食器を片づけて部屋を出た。

 ドアの脇には、ミミがいて笑っていた。不敵に、唇を釣り上げている。

「ラブラブね」

「嫌な趣味だね」と僕は苦笑いでに言い放つ。「ストーカーだなんて」

 彼女は僕に近づいて、顎を指でなぞる。僕を撫でながら、うっとりと呟く。

 言葉にせずとも僕を『自分の物』だとでも言うように。


「僕は君のペットではない。君が彼女を陥れても、僕が君の物になるわけじゃない」

「フフ、ダメな犬ね」

 彼女の眼が、青く光る。

 手が僕の首にゆっくりとヘビのように巻き付いて――

「誰が主人なのかも分からないのかしら」

 ――力が入り締め付ける。

「君では、ない……」

 僕は何とか手を振り払って逃げた。

 でも、体の震えが勝てないことを知っていて、その精神的な差異が途方もない大きさであることが身に染みて分かる。彼女は捕食者で、僕はそのエサの小さな鼠だ。

 僕がただの愚かな人であることが解った。


 

 食器を片付けに食堂へ戻ったところで、鏡花と千尋が騒いでいるのが聞こえた。僕はたまらず足を踏み入れたのだが、彼らは一斉に僕らを見た。だが、僕の顔が何も解っていないというような顔をしていると、彼らは説明した。


「実は、電話線が切られまして。警察にはまだ連絡できていません」

「一応、僕は衛星電話を持っていますけど?」

「持ってきてもらえませんか?」


 僕は部屋に戻りクローゼットの中の上着から、衛星電話を取り出そうとしたのだが、どこにも入っていなかった。部屋中を探し回っても、見つからない。緊急を要すると言うのに、それは部屋のどこにもないのだ。

 どういうことだ。

 僕は叫びだしたくなる衝動をなんとか抑える。

 でも、考えれば簡単なことだ。犯人が持ち出して、隠したとしか考えられない。最悪、壊されて海に捨てられているに違いない。ここから脱出する手段は、今のところ船で逃げるという道以外に残されていない。

 僕がノブの傷をチェックしてから、報告しようと食堂に戻ると今度はリモコンまで無くなっているという。


「リモコン?」

 先ほど以上に慌てている。ただ電話だけならまだ何とかなったとでも言うような慌て方で、声のテンポとトーンが明らかに上がっていた。

「それに何の問題が?」僕は、リモコンというものがまだ理解できていない。

「入り江の電子ロックが解除出来なくなります。電流が解除できないと、この島から出ることは不可能なんです。島の周りは切り立った崖になっていますので、飛び降りることも不可能ですし」

「では、何か方法は?」そして、電話の無いことを告げる。

「誰かが助けに来るのを待つしかないでしょう。ですが、アナタの迎えの便があるはずですよね?」

「ええ、あと2日後の昼です」

 そうですか、と執事は胸を撫で下ろした。

 だが、こちらから連絡を取る方法は、もはや皆無。完全に閉じ込められたと悟った。


 完全に外から疎外された空間になった今、殺人犯を止める外的圧力は一切存在していない。警察にさえ連絡できなくなった現在の状態では、もはや推理力で犯人を突き止める他はない。

 では、誰が犯人か。

 現状ではそれを絞り込む方法はない。根拠がない。たとえば、一番の有力候補はミミだ。彼女が偽者で、この家の財産が欲しいというのは推測はできる。でも、それさえ証拠はない。彼女が何らかの目的を持っていて、この島に『空閑美美』として潜り込んだと言えるが、それが泥棒するためとも言い切ることは出来ない。

 現状では、執事の意見だけなのだから。

 同様に殺人犯と泥棒を直に結びつけることもまだ出来ない。

 そして、晶人の自殺が、この島での謎をより不可解にしていた。

 まだ分からないことが多分にある。

 謎を解くか、2日を耐えるか。



 屋敷の中を歩き回り、遊戯室を開けてみた。

 スロット台にルーレット、ブラック・ジャックの台などが並んでいる。すでにそこには夏樹がいて、一人でビリヤードに興じていた。

 細い腕にキューは良く似合い、人見知りするの激しい覇気のない目もこの時ばかりは鋭くなる。キューを右手で思いっきり撞く。勢いよく弾き飛ばされた手玉に、九個のボールが一気にはじけ飛び、その内の四つがポケットに落ちた。素晴らしいブレイクショットだった。


「見事……」

 思わず漏れた感嘆に、夏樹はいきなり振り向いた。

「ああ……、君か。まあ、褒められたことじゃないよ。誰も付き合ってくれないから、一人だけこんな技を身に漬けちゃっただけ、だよ」

「でも、ほら――」

 僕が指さしたのは、台の上のボール。

「――9番が落ちてますよ、ナインボールなら一発勝利じゃないですか」

「……それだけだよ。何も出来ていない。力はない」

 初めてまともに喋った夏樹の声にまったく張りがない。覇気がない。

 光のない目は、この世の何もかもを諦めているかのように暗い。深い沼の泥のように濁り切ったままだ。

「人は」夏樹は呟く。

「虚しいだけ、だよ。でもいつか花開くことになる日がきっと……」

 それは、本当に自分が望んでいたこと。

 自分に言い聞かせる言葉。

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