Which is right?⑦

 鏡花から当主・武蔵へ捜査依頼が伝わり、家族の了解が取れた。全員に話を聞くことも了承してもらったために、家族の部屋を訪ねる。もうすでに、晶人の死から3時間も立っていた。


 最初は、院宣家当主・武蔵。彼の部屋を訪ねた。

 家族全員の部屋をこれから訪ねて行こうと思う。

 彼の寝室は他の家族同様2階にある。僕が話を聞こうとしていた頃、彼は自分の部屋ではなく書斎にいた。彼は食後すぐに3階へと上がり、そこで本を読んでいたらしい。武蔵の書斎は天上まで本で埋め尽くされ、まるで図書館のようであり、また数々の宝石がガラスケースに入れられて保管される美術館だった。

 もちろん振動ですぐさま通報されるような仕組みが取り付けてあるらしい。


 晶人が死んだことは、もう執事の鏡花によって全員に知らされているらしい。晶人は、理恵と年の離れた兄弟である。しかし、理恵の母親と彼の母親は違う人物で、異母兄弟であるという。ちなみに、ハルミは晶人と同じ母から生まれた子どもだ。

 武蔵からすれば、50歳の時に生まれた我が子が自分よりも先に命を絶つなんて信じられないことだろうと思った。彼の書斎のソファに座り向かい合う。

 例の如く、彼の胸には燦然と宝石が付いている。


「まずは事情聴取を受けていただき、ありがとうございます。何かこの数日で気付いたことなどありましたか?」

 彼は普通の声で、何の感情も見せず言った。

「いえ、何も普段と変わらず静かに過ごしていましたから。そして、彼はあまり私に対して素直な感情を見せることがありませんでしたから。正直な話、彼は自殺してもおかしくないと思うんですよ」

「それは何故?」

「晶人は少しナイーブでしたし、ここのところ塞ぎ込むようなことが多かった。特にあなた方が来てからはね。どこか元気もなかった」


 そうだろうか。

 僕は普通の同年代の友人のように思えた。

 ナイーブというのも理解しかねる。そして、そんな態度でものを話す目の前の彼のことが一番理解できなかった。

 僕は怒りを込めて聞いた。


「じゃあ、武蔵さんは、自殺で納得するというのですか」

「ええ、別におかしなことではないでしょ。なにか悪いことでも?」


 僕は、机を叩いた。

 いきなりのことに武蔵は目を丸くしている。


「息子が死んだんですよ。そんなことを言うんですか」

「いえ、あっ、その……」


 彼の眼は泳ぎ、言葉もまとまりきれていない。

 彼の中の何かが狂った。まるで歯車で動いていたのもが、急に壊れてしまったかのような、そんな印象を彼からは受けた。それが回復することのなく、彼は傷心に暮れたまま両手で頭を抱えた。

 その様子で、この事件に何かの裏が存在することは理解できた。


「では、もう一つ。晶人をどこかに安置できますか? さすがにあのままでは可哀そうでしょうから」

「あ、ああ……」

 彼は崩れるように頷いた。

 それと――僕は気になって訪ねた。

「それが例の……」


 僕は、自分の胸ポケットを触りながら、武蔵の胸に燦然と輝く宝石を指した。

 急に言われた言葉に彼は嬉しいような、困ったような複雑な表情をした後、こう言った。

「ええ。これが『ティアー』です。我が家の家宝の」

「そんなサイズのブルーダイヤなんて存在するんですね」

「まあ、泥棒が目当てにするなら、これが目当てでしょう。これほど見事な宝石ですから」と言って、彼は誇らしい顔をする。

「あと聞きたいことは?」と武蔵。

「いえ、以上です。ありがとうございました」


 そう言って、僕は武蔵の部屋を去る。

 一度だけ、後ろを振り返る。まるで、何があったわけでもない。でも、なんだか自分でも言いようのない奇妙さに肩を叩かれたような気分がした。



            ◇



 次は理恵である。

 二階にある彼女の部屋は、異常なほどファンタジック。ホワイトピンクを基調としたオンナノコらしい部屋だった。ハッキリ言って、その年でこれは似合わない。

 女性とはいつまでも少女ということなのか。

 彼女は家族関係から見ると、晶人の姉ということになる。それにしてはあまり大きく感情を動かすこともない。

 ただ憮然としている。

 いや、呆然としているのか。

 ただ母親が違うということも考慮に入れれば、それも解決するのかもしれない。

 さらに、理恵が次の母親〈彼女からすれば継母〉に対して嫌う感情があるならなおさらだ。そして、その子供であるハルミや晶人を嫌っているということがあれば特に顕著になるだろう。

 だから、それを聞いてみる。


「あの、ハルミや晶人君とは母親が違うらしいですが何か不都合はありましたか?」

「いえ、ありません。優しい人でしたよ」

「いや、それにしても――」


 僕の言葉に彼女は目の色を変える。

 彼女の眼に赤い火が灯る。


「『それにしても』、何なんです! それとも私が何も思っていないように見えるからですかね。嫌っているとでも思っているんですか。何も思っていないわけがないでしょう。大切な弟ですよ」

「なら、死ぬような悩みでも知っていましたか?」

「ええ――」少しだけ目が泳いだ。「――知っていましたよ。弟は外の世界に憧れてました」

「それで死んだと?」

「恋とは身を焦がすものですよね。それで翼を焼かれて、太陽に落ちることさえあると。まるでイカロスのように、誰でも狂うことが出来る人生の麻薬」

「恋は堕落ですか?」

「いいえ、純潔を貫き死を選ぶのは、もっとも尊い行為です。彼は天使になったんです」


 そう言って、彼女はまた黙った。

 天使か。

 救世主の元に集う宗教に自殺はタブーとされているのが、世の通例だ。神の御許に行くかは知らないし、誰も知りえない。人々を赦し給うはずの神でも、自ら苦難から逃げることをさせてくれないらしい。神はそれを乗り越えろと言うのだ。神という存在は、どこか旧式の固い頭の持ち主らしい。


「なら、理恵さんは外に出ようとは思わないんですか」

「外の世界って楽しいんですか?」

「人それぞれでしょうね」

「なら、行きたくないです。それぞれの幸福に不平等がある世界に私はいきたくはありませんよ。どうせ、私のような者には居場所なんて無いんですから」

「え?」

「いえ、何でもありません」


 ハッキリ言うと、居場所なんて金で買える。

 金を出すだけで人はいたい場所にいる権利を買うことが出来る。居座ることが出来る。

 でも、それをしないのは虚しいと気付いた時が怖いからだろう。人々がハリボテの居場所を悉く嫌うのは――いや、嫌うことが出来るわけがない――居場所がなければ、ならない時があるから。まるで、理恵はそれを知っているかのようにこう言ったんだ。


「でも、居場所を持っている人って馬鹿ですね。居座り続けることが出来ない所に必死で捕まっているなんて疲れるでしょう?」

 僕は笑った。残るのは、虚しさだけだった。



            ◇



 次は夏樹に話を聞く。

 彼は入り婿だから、晶人に特別な感情を抱いているわけでもなさそうだった。けれども、部屋に呼んだ彼の眼は真っ赤だった。泣いて目を擦った跡が丸分かりだったし、まだ少し声が涙で震えていた。

 そんな彼に対して僕は何も言うことが出来なかった。


「えっと、夏樹さんは14年前に結婚して、この家にいるんですよね?」と静かに聞く。

「はい……結婚した頃はあまり家になじめなかった僕ですが、晶人君はずっと僕に懐いてくれていました。まるで、友だちのようでした。息子や甥のようだとも思っていたのですが、成長するにつれ唯一無二の友だちのようにとなっていきました……それなのに」

 再び彼は泣き出した。

「そうですか」


 まあ、おかしくはないか。

 別段、そういうことを知りたいわけではない。彼になぜ死ぬ必要性があったのかが知りたいのだ。僕は、それだけを考える。


「では、晶人が何か死ぬほど悩んでいたのかというのは知っていましたか?」

「ええ、彼は恋の悩みを抱えていました」

「恋? それはどこで?」


 外の世界に出たこともない人間が何故恋なのだろうか。


「インターネットの世界の話ですよ。今はそういうことが出来る世の中ですからね。ネット環境がこんな島でもありますし、まあ、携帯電話は圏外ですが。ネット回線は海の下を通って届いています。

 そういえば、SNSで知り合った子がいるのだと彼は言っていました。でも、会うことは出来ないと嘆いていましたし、それが追い詰めたのかもしれません」

「でも、それだけで死にますか。それなら無理にでも外に出ようとするのでは?」

「いや、こんな島ですし、あの年頃の恋はそう簡単に消せるものでもない。探偵さんも分かるでしょう。でも、この島を出るには、誰かの手を借りねば出ることは出来ません。ましてや、武蔵さんや鏡花に知られることになりますから」

「彼らはそう言うことには反対んですか?」

「理恵さんの時だって苦労したんですよ」


 その言葉に納得する。

 おかしいことは何もない筋が通る。


「ありがとうございます」

 僕は次の調査の相手を考える。

 次は……深雪か。

 しかし、僕は深雪に聞くと言うのは考えてしまう。彼女に辛い現実を思い知らせていいのだろうか。そう思ってしまった。でも、僕は真実を知りたい。

 心を鬼にする。

 いや、何の温度もない白い紙にする。――しようと努める。

 全てを染み込ませるみたいに、真っ新になろうと。



            ◇



「やっぱりですか」

 晶人の言葉を、ただそのままに伝えた。

 深雪のことを頼むと言ったことを。

 その真意を確かめるために。

「そう思ってはいました。でも、私は晶人さんが死んだ以上、逃げるつもりはありません。何事からも逃げません。何があっても」

「ねえ、何から逃げないの?」


 僕は聞いた。

 聞いてみたかった。


「何か逃げないといけないことでもあるの? 彼や君が危険視するほどに」

「……」

 彼女は答えてくれない。

「まあ、言えないことなんだね。彼も何も言えないと言っていたよ」

「晶人さんは、それでも私のことは言っていたんですか?」


 彼女の声は震え、瞳は潤んだ。

 深雪の手には血が集まってうっすら赤くなり、ギュッと力が込められていた。そのあまりにも小さすぎる手に、大きな悲しみは包みきれないでいる。

 細かく震える幼い手に、僕は無力だった。

 約束があっても。

 それに触れ、気持ちを支えてあげることなんて出来やしない。惨めな僕にはあまりに役不足で、釣り合わない大役だ。


「私からは何も言えません、なんにもです。でも、少しだけヒントです。中庭の石碑を見てください。それに『嘘』が掛かれていますから」

「ねえ、君の言葉は正しいのかな?」

「ええ。でも、正しくないのは、私の存在です」


 彼女の頬を涙が一筋流れた。あまりにも清らかな滴に、僕はふと我に返った。清らかさの前に人は何も出来ない。人が現世に求めたルールなんて意味がなくなるんだ。手さえ届くことのない聖域――楽園エデンに人はもう戻ることを許されない。

 僕は振り返ることなく部屋を出た。

 何か無性に悲しくなったから。



            ◇



 深雪の心を想う。

 心の中にあった想いに、僕は思い至った。

 あれは「恋」ではなかったか。僕の思い過ごしならそれでもいい。

 そう思いながら、階段を降りる。

 階段の途中にあるガラスの彫像。タイトルは『許しと救い』と台座に書かれていた。透明なガラスの聖女。肩には小さな翼を持ち、胸に子供を抱いている。親子の透明な顔は不鮮明だがやはりどこか笑っている。

 これは、何だろうか。


聖母マリア像?」

 そうかもね――若い女性の声。

 答えが返されたようだ。

 声の主は一階の階段の正面に立っていた。

 ミミだ。さっき訪ねようと思ったのだが部屋にはいなかった。

「これは聖母・マリアの像かもね。子を抱いて、『許しと救い』なんてね。まあ、羽があったりはしてるけれど、そう言うことなんじゃないかしら」

「ミミ――」

 彼女は階段を上がってくる。

「何か聞きたいことがあるんでしょ? 執事もメイドも晶人が死んだとか言ってるのだけど。で、アタシが殺したとでも思っているのかしらね。もしかしたら、アナタもそう思っていらっしゃるのかしら?」

「いや、あれは自殺だよ」

「へえ……で、何が聞きたいの。そこまで分かっているならいいじゃない」

「でも、何故自殺したのかを知る義務はある」

「義務なんてないわ」


 彼女は僕にキスできるほどに近づいてきて、体を密着させてくる。

 僕はそれを振りほどけられずにいた。


「知る義務なんてないのよ、自殺には。あるのは理解する責任と、悔い改める精神よ。知るとは冒涜なの。自殺者に対して行う非道な辱めでしょ」

「じゃあ、それをどうやって受け止めるんだ。何も出来ない」

「知らないわ。時がそれを解決するだけ」


 彼女は言った、僕から離れて。

 空に向けて言い放つ、まるで神に捧ぐように。


「死も、人もそういうもの」

 それはステンドグラスから差し込んだ日の光に溶けて消えた。空気に温かさに溶け込んだ優しい声。空気中の嘘が瞬く間に真実を埋没させる。

 僕は何も言うことが出来ず、ただその日差しを見ていた。


「ねえ、死ぬのに必要な要素って何か分かる?」とミミは言った。

「――」僕は何も言わない。


 彼女はクスリと笑って言った。


「それは『愛』よ」

 彼女は笑って、自分の部屋のある二階へ去って行った。

 嗤うことは出来なかった。ただ釈然としない気持ちだけが残り、気持ちが沈んでいく。周りにある藍の海に沈んでいくような悲しみだけだった。



 愛とは何だ。

 愛とは何か。

「愛している」の言葉で、その愛は陳腐に具現化する。相手とキスをして、ハグをして、その間に愛は存在するのか。見えないながらどこかに存在すると信じている物質に、人は闇雲に名前を付けて安心したい。


 そして、それをできれば手に入れたい。

 一つでも、いくつでも。


 博愛の父なる『神』の子が分け与え給うた言葉を、僕は信用したくはない。雛形である『愛』というものを信用したくない。愛するが故に人を殺す。人はこれを愛とは呼ばない。エゴだというのだ。弟ならそういうだろう。

 でも、それは違うと僕は思う。

 愛とは人の数だけ存在する。

 個人の想いで存在する。

 なら、それはどんな形だろうと愛だ。

 人を殺しても「アイ」は「アイ」だ。


「愛している」

 このエントランスに残された僕は、そう空気に言葉を吐きだした。正しい言葉は、光に一度輝き屋敷の空気に飲み込まれて消えた。ハルミに贈る言葉は、静かに隠れて行った。

 不思議な人だ。

 それがミミという女性に送る言葉。

 僕が彼女を見て思う感情。

 プラスでも、マイナスでもない。

 これは、愛ではない。

 ただの興味だ。

 僕はハルミを悲しませる気はないし、ミミに恋しようなんて思わない。でも、面白い人物だと思った。愛は罪だと言った彼女に。

 そして、僕はようやくフウと息を吐いた。溜まり賜ったものを吐き出した。

「フフ」とはにかんで、僕は自分の気持に整理を付ける。

 これは疑いようもなく自殺だ。何の考える余地もない。

 ハルミの言う通りにしよう。

 僕は自分の心の憤りを、嘘で隠した。


           《 Not true in this World. 》

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