Which is right?➁

 ピピッ――と門から電子音が聞こえ、先ほどまで微かに唸るような音がしていたのだが、それがいきなり止まった。門の方を見ると、音もなく鉄門が横に開かれるところだった。


「ミミ様でしょうか? 連絡をいただきましたので、飛んで参ったのですが」


 白い髪が多く混じった髪の毛をオールバックに固め、執事服を着た男。

 髪を見れば六十、いや五十は確実に過ぎているころだろう。でも、その男の年齢を推量するのは、あまりに難問だ。男の眼は狼のように鋭く吊り上り、シャープな顎、整った目鼻立ち――彼は年の割に若くみえた。


「えっと、すみません。名前間違ってませんか?」

 と先に僕が気付いた。


 執事は、眼を見開いて驚く。

 ミミじゃなくて――と続けようとしたのだが、それは隣にいたハルミに搔き消された。

 彼女は、走り寄って彼の手をグッと握った。


「鏡花さん。久しぶり! ここを出て以来会ってないのね。もう二十年以上も」

「えっ?」

「ええ。ハルミです。二十年前にここから養子に出た……」

「でも――」


 と、執事の眼は明らかに泳いだ。少し離れた僕からも見間違えることなどないほど、確実に。そして、彼はよく分からないことを口走った。


「すでにミミと名乗る方は到着しておられますが……アナタは一体、どちらさまですか?」


 訳が分からない。

 屋敷には、もう一人のハルミがいた。


 

 

 彼が懐から手帳を取り出すと、ハルミに対してあれやこれやを聞き出した。それは確かにハルミのデータで間違いなく、僕は途中で彼らから離れて入り江に置かれた小型船を眺めていた。買い出し用に使うには高性能な船だった、周りに島がないため長距離を移動しないといけないためだろう。

 急に二人の声が静かになったかと思えば、急に執事は大声を出した。


「で、では……」


 僕も二人の元に戻る。執事の顔は思った以上に慌てていた。


「あの『ミミ』というのは、一体誰なんでしょう。ですが、まだ私もどちらが本物かを決めかねているところです。けれども、御二人をこのままにしておくわけもいかないでしょう。とりあえず屋敷へ行きましょう」


 静かに門をくぐって、森の中へと分け入っていく。

 全員が門をくぐり終えると、勝手に門は閉まり始めた。2匹の鮮やかな黄色の鳥たちが門の小さな隙間をするりと通り抜けた。だが、遅れてきた一回り小さな小鳥は、既に閉まってしまった門に体をぶつけてしまう。瞬間小鳥は跳ね飛んで、僕の足元に落ちた。

 さっきまで美しかった黄色は、見事なまでにローストされていた。


「電流ですか?」

「ええ、そうです。ここは本土から遠く離れた土地とはいえ院宣家の所有地ですから、警備を怠るわけにもいきません。神園家の御方に述べることでもないでしょうが……」

「申し送れました。神園零です」

「いえ、神園零さまのことはハルミ様が帰ると言われた際に聞いておりますし、いくつもの経済紙やネットのニュースなどでも存じ上げております。申し送れたのは、こちらの方です。私、院宣家の執事をしております、時坂鏡花と申します」


 彼は美しく腰を折り、頭を下げた。その気品と醸し出される恭しさは、一流の執事として完璧な姿と言えた。先ほどから汗一つ搔くいていないようで、こんな暑い中でも上着を脱ごうともしない。

 彼は美しくターンして、僕らの前を歩きだす。

 そして、いつの間にか僕らの荷物も彼の手に握られていた。


「それでは、お屋敷までご案内します」


 そう言って歩き出したのだが、屋敷までは森を突っ切るだけの簡単な道であるはずだ。だが、彼はあらぬ方向に足を進める。彼がその目安にしているのは、舗装された道でも、変わった目印でもなく、草の抵抗のあとが残る心もとない獣道だった。よく見れば、それが一応道であると分かる程度の道。

 それを彼は足もとを見ながら辿っていく。


「鏡花さん、これを辿るんですか? 他にちゃんとした道は……いや、道じゃなくとも、まっすぐ行けばいいのでは?」

「いけません。ここは危険な島なのですよ」

「何かあるんですか。足を踏み入れてはならない危険が」

「ええ……もちろん」


 彼はそこで言葉を切って、情感を含めた口調で語り始めた。


「この島の名は、吉備島。今ではそう呼ばれてはおりますが、かつてあった名前ではございません。ここは、本来『忌避島』と呼ばれていたのです。江戸のころからこの島の存在は知られていたようで、ここは多くの罪人を置き去りにした流刑の地でした。漁師もたまに、この島の周辺に漁をしに来たようですが、先ほどの入り江には餓えて死んだ白骨が散らばっていたので近づきもしなかったようです。それが島の名前、『忌避』となるわけです」

「そんな幽霊話で、道から外れるなと?」


 そんなもので僕は怖がらないが、ふと見るとハルミの顔は青ざめていた。

 僕はハルミの後ろに下がり、肩を悪戯心で叩いてみた。


「――ひゃあ!」

 と飛び上がり、僕を思いっきり叩いた。

「え? ああっ、すみません。ごめんなさい」

「いや、僕も悪いんだけど、怖い話は苦手だったね。でも、大丈夫だよ。幽霊は存在しないし、本当に信じないものには見えないしね。中途半端に怖がってはいけないんだよ」

「そういうものですか。なら、私、大丈夫です」

「しかしながら」


 執事は急に言葉を挟んだ。


「そういうわけではないのです。本当に気を付けなければいけないのは、この森の広さです。先ほど上から見ていただけたでしょうが、この島は思ったよりも大きいのです。それに携帯電話の地図機能は勿論圏外なので使えませんし、方位磁石もこの島では効きにくく使いものにならないのです」

「磁石もですか?」

「ええ、神園さまにはちゃんと説明した方が宜しいですね」


 そう言って、執事は荷物を地面に下すことなく片手で二つの荷物を持つと、近くの石を拾って自分のネクタイピンへと近づけた。ゆっくりとそれらは引き合って、ネクタイピンは石にくっ付いてしまう。


「というように、ここの石は磁力を持っています。これが磁石を狂わす理由です。御二人の荷物にも大事な物が入っておられると思うので、ここは島に詳しい私が持たせていただきました」

「はい、納得しました」


 では――と再び歩き出す。



 ずっと歩きながら、最大の異常について考えてみる。

 異常なほど大きく不可解な難問。

『ミミ』という人物は、一体何者だというんだろう。この家に空閑美美として忍び込む理由が理解できない。考えられるのは、金・身分・殺人……さまざまな理由があるとして、まだそれがはっきりと分かることはないけど。

 それをどうにかしないと、結婚の挨拶どころではなく面倒なことになりそうだ。


「零さん、どうかしました?」

「ん? 何が」

「仕事で悩んでるとき以上に、眉間にしわが寄ってます」


 東京に住んでいても感じることがない別種の暑さに、体はどうしても不快感を覚え、眉根を寄せるしかない。だが、それだけでないのはハルミにだって分かっているだろう。


「あの、鏡花さん。聞いてもいいですか?」

「鏡花で結構ですよ。何をお聞きになりたいのですか」

「『ミミ』という人間の正体に関する推測と、なぜその人物を屋敷に入れてしまったのかということですよ」

「『ミミ』という人物は、この屋敷に娘であると名乗り、疑うこともなく屋敷に入れたというだけです。それで何がおかしいのですか?」


 僕は頭を捻り、首の汗を拭いてもう一度聞き返す。


「『ミミ』と『ハルミ』――どっちも美しいを二つ書いて読めてしまう名前。でも、音として覚えていないというのは、おかしくはないですか。二十年の時間で、実際の家族が実の娘の名前を忘れますか?」

「そんなこともありえるでしょう。何の問題が?」


 いや、おかしい。

 でも、それを完全に否定はできない。


「まあ、良いでしょう。ならば、それをしようとする人間に心当たりは?」

「院宣家は少しなりとも、お金があります。神園家と比べるのは失礼なレベルですが、でも最近は国宝級とも呼べる宝石を手に入れたもので。それが狙いではと」

「その宝石は?」

「『ティアー』というものです。伝説のブルーダイヤ、発見されているブルーダイヤでも最大級の大きさと歴史的価値も含め、価値は換算するのも難しいと言われております。当主の武蔵様がネクタイに付けておりますが、あとで見せてもらってください。くれぐれも買い取るなどとは言わないでくださいませ」

「それは前回のオークションで、異常なほど低い値段で取引されていたと話題になった……」

「ええ、めぐりめぐって、うちに来ただけです。直接落としたわけでは」


 彼は汗ではなく、少し脂の滲んだ額をハンカチで押さえた。

 美しい所作だった。


「それを理由だと思われているのですか? それが正しいと」

「さあ、私には分かりません。それが本当に正しいのかも分かりませんし」

「なら」とハルミは言う。「零さんが手伝えばいいのでは?」

「僕が?」

「零さんだって、才覚に溢れた方ですもの。弟さんにも負けないくらいに」

「弟さん、ですか?」


 執事は首を捻り、額に指を当て何かを思い出そうとしているようだった。


「たしか、神園家は一人息子だと、ニュースでは言っていたと思うのですが」

「ええ、表向きはそうなんです」

 とハルミは僕が言う前に答えてしまう。

「零さんの弟である、ないさんは母親が違うんです。秀会長のあいz――いや、第二夫人の子なんです。日本では重婚は禁止ですが、正妻を一人おいて、家族公認の愛人を数人作るんです。優秀な子を選別するために」


 そんな腐った風習ゆえに僕は正式な一人息子として存在し、天賦の才を持つ弟は疎まれ隠遁の生活を強いられている。僕よりも優れているというのに、才よりも血が重要だとでもいうのか、この強大な組織を率いるための重要な役割だったはずなのに。

 父は才よりも面子を重要視したから。


「弟さんは何をしている方ですか?」

「探偵です」僕は、静かに言葉を吐いた。

 それに執事は過敏に反応した。

「それは心強い。弟さんよりも優秀な方がここにいるのですから」


 その言葉に僕の心は大きく動いたが、僕の口は何も言わなかった。

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