月が綺麗なので

おくとりょう

折れた竹は光らない

 窓から射し込む月明かり。

 ここは小さく暗い部屋。埃を被ったベッドの上に、ひとりの女性が横たわる。

 色艶やかな黒髪と きめ細やかな白い肌。静かな闇にぼんやり映える。虫の声が遠くに聴こえる。

 重たい夜空に貼りつく月と、白いシーツは生ぬるい。隣に座った少年は、ためらうようにそーっと撫でた。


 ――今夜は満月ですねぇ、真崎まさき


 亜麻色をしたカーテンが優しくふわっとひるがえる。寂しい誰かを励ますように。優しく誰かを撫でるように。半分閉じた四角い窓から、夜風が甘く流れ込む。



    微笑む君が見たいのに。

   ただそれだけなのに。



 彼女のまぶたは閉じたまま。隣で見つめる彼の瞳。その哀しみにも気づかずに。蝋細工ろうざいくのようなその肌は、ほんのり光を保ったまま。


 風に乱れた長い髪。

 顔にかかった数本を恐る恐るにそっと除ける。柔らかな肌がふわっと触れた。少年の胸がドキッと跳ねる。


 ただ。まだ。それでも。彼女は未だに動かない。


「……今夜も。今夜も『月が綺麗』だよ、屋代やしろさん」


 囁く声はかすれてた。炭酸水が弾けるような。精一杯の彼の気持ち。かの文豪の 存在しない意訳 を借りて。



    でも、だからこそ。

   語られなかった言葉こそ、

   僕らしいんじゃ ないかって。

   だって、僕も言ってないから。


    君のことが好きだって。

   ずっと側にいたいって。



 雲がスゥーッと月を隠す。部屋の中がサァーッと冷えた。彼女はじ っと動かない。

 彼は小さく息を吐く。



    楽しかった何でもない日々。

   もうこのまま「死んでもいい」

     そう伝えていれば、もっと

       幸せだったかな。



 ――私は死にません。それに、

   あなたは死んではいけません よ。



    きっと彼女はそう言った。

   そっと静かに微笑んで。きっと。

   言葉の意味かの邦訳を知って

     いても、いなくても。


    いや、知らないわけは

   ないけれど。だって、彼女はただの

       ロボット だから。



 そう。

 彼女はただのロボットで、彼のために生きていて。だから。


    死ぬことなんてないはずだった。

     ホントはずっとそのはずだった。



 少年は液晶画面を横目で見やる。




   [  No signal  ]




 もうずっと動いていない彼女のCPU。演算機能は生きているのに、その身体を起動しない。


 あの日。

 しとしとと降りゆく 濃い灰色の雲の下。彼女は落雷に見舞われた。

 関節部分のコイルが焼き切れ、記憶領域が故障した。経験データが破損した。彼女の身体は停止した。


 彼女の少年、真崎はただちに彼女を修繕した。焦げた箇所を取り替えて、すべての回路を通電確認。CPUも修理して、落雷対策も施した。

 ただ。ただ、経験データだけはそのままに。消す初期化ことも、上書きすることもできなかった。


 そして、三ヶ月。

 厚い雲が覆っていた空は、突き抜けるように晴れ渡る。


 それでも、未だに彼女は目覚めない。


 ポーカーフェイスな月の周りで、数多の星が瞬いた。とある夏の深い夜空に。

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