第30話 それは脆く儚い

「次の問題は……ノックアウトマウスの問題か」


 自習室を閉鎖時刻まで粘り、家に帰る途中もずっとリスニング音声を聞きながらシャドーイング。しかし、碧人は家へと帰ってもまだ本日の勉強は終わらない。テストが近いということもあり、授業も自習の時間が多かったため、総自習時間は八時間近くなっている。


「勉強しなきゃ……」


 しかし、碧人は体に鞭打っても勉強を進める。

 そんな中、ポモドーロテクニックのためにアラームを設定していただけのスマホが反応した。

 そちらに視線を移すと、なにやら涼からメッセージが来たらしい。

 しかし、ここで集中力を切らしてしまったが最後勉強には没頭できないと思った碧人は、思い切ってスマホの電源を切ることにした。

 返信無視について色々と言われるだろうが、涼は一年近くやっていたのだ。

 改めてペンを握りしめると明け方になるまで勉強し続けたのだ。



「眠い……」


 夜が明けた碧人は目の下に真っ黒な隈な作り、睡眠不足から生じる平衡感覚のズレも相まってゾンビのようになっていた。

 しかし、学校には行かなければならない。それで回りからの目に気にする余裕もなく、学校の敷地内へと入り教室へと向かっていた。


「おはよう! 碧人く……って誰?」


 道中、碧人の後ろ姿を遠くから認識した飽海は若干はしゃぎながら碧人に挨拶を言いに来たわけだが、いつもとの変わりように一瞬人を間違えたのではないかと錯覚した。


「どうした? 俺だよ。俺」


 飽海は碧人だということを認識したが、やはり何の感情の抑揚もなくオレオレ言っている姿は見ていて気持ちの良いものではない。


「さては寝不足だな? 以前もこんなことあったよな」


 次に碧人に話しかけてきたのは也寸志だ。也寸志は碧人の様子を見て、思い当たる節があるらしい。


「以前?」


 飽海は自身の知らない情報に聞き返す。


「ああ、こいつ。以前に親友だった同級生が失踪した時にもおんなじような顔になってたな。その時の碧人曰く、不安で一睡もできなかったと。でも今回はどう見ても勉強のし過ぎだな」


 飽海は涼と同級生であったが、他人にほとんど関心のない飽海は涼の失踪後にその存在を知ったのだ。

 しかし、ここで飽海は引っかかった。失踪した人物の名前は涼。そして、碧人にいつもくっついてる小生意気なちんちくりんも涼。涼という名前は日本中探せばいくらでも見つかるであろう普遍的な名前であるが、妙な引っ掛かりを覚えたのだ。


「と、とりあえず碧人くん、一緒に保健室行きましょ。その状態で授業受けても何も身につかないから」


 飽海は碧人に肩を貸した。碧人は特に抵抗することもなく、飽海にやられるがままに介抱される。


「飽海……飽海? ……遊佐町!」


 碧人は随分と睡眠不足に弱いのか、随分と混乱していた。


「地理の勉強はいいけど、睡眠も取りましょう。完全に脳が混乱してる。人間、ロングスリーパーとショートスリーパーがいると言われてるけど、碧人くん。あなたは絶対前者ね」


 飽海は碧人に呆れつつも、見捨てるつもりはない。保健室へと向かうのだが、いかんせん結構きつい。そのため、かなりゆっくりだ。


「俺が連れてくよ。俺にはこの鍛え抜かれた精鋭の筋肉がいるから一瞬で運べるぞ」


 也寸志はいつも通り筋肉を見せつけると飽海から碧人を担ぎ上げた。いわゆるお米様だっこの要領である。勢いよく上げられた碧人は、その衝撃故か気絶してしまった。


「いやいいわ。私が運ぶ。さてはあなた、授業サボりたいだけでしょ」


 飽海が碧人と一緒にいたいだけであるため、也寸志の要求を跳ね除ける。


「いやいや、そんなことはないって、今日なんか朝からスポーツⅢにスポーツⅣ。そしてスポーツⅥなんだから休むわけがない」


 飽海は体育の学習指導要領など読んではいないため、具体的にそれがの何が違うのかはわからない。けれども、筋肉馬鹿に相応しい授業であることは理解した。


「相変わらずおかしな教育課程ね」


「そういうなって」


 碧人を担ぎ上げた也寸志は、そのまま保健室へと向かった。


「はぁ……まあいいわ。でも、あなたのこと信じられないから保健室に送っていけるの見届けるからついていくよ」


 死にそうな目をしているゾンビのような生徒が担ぎ上げられている。その様子はかなりのインパクトがあったらしく、道行く生徒は頻繁に見てくるのだ。

 保健室へと到着するなり、養護教諭に任せて二人は授業へと戻った。


「それにしても……」


 養護教諭は改めて碧人の体を見ると、体温計を取り出し碧人の熱を測る。


「37.6度。これは早退かな……」


 まだギリギリ微熱と呼べるかもしれないが、間違いなくこのままいけばさらに上昇する。早退の準備をさせようかと悩んでいると、ベッドに寝かせていた碧人が起き上がった。


「あ、あれ……」


 少しの間とはいえ、一応休めた碧人は自分に違和感を覚えた。

 どこか体が熱っぽい。そして、倦怠感も感じる。

 そして、口から出るのは乾いた咳。


「まじか……」


 自分が風邪でも引いたのではないかと思った時に出た碧人の声は、いつもの声から随分遠いものだった。

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