物語の小箱Ⅱ -2021 Novelberまとめ-

鳥ヰヤキ

Day1『鍵』

「我が息子よ。この鍵を預けよう」

 そう言って父が手渡してくれたのは、きらきらと輝く銀色の鍵。小さな頃の私の手には、少し余るくらいに大きな鍵。

「その鍵を開けた扉の向こうに、お前のお母様がいるんだ」

 と、お父様は私の肩を抱きながら教えてくれた。上部に備え付けられた小さな格子窓の向こうには、ただ暗闇を漂わせるばかりで。

「お前に鍵を預けるけれど、決して開けてはいけないよ。お前は、お母様はそこにいるということだけを知っていればいい。姿は見えず、声は聞こえず、触れることも、抱き締められることもないけれど、確かにお前を愛しているのだと――そう、感じているだけでいい」

 そう、『神様』のように思えばいいのさ。

 お父様はそう囁きながら、私に笑いかけた。私ではなくて、とても遠くを見るような眼差しで……それこそ、『神様』でも見つめるような、熱い視線で。


 私は鍵を首にかけて、毎日その扉の前に通った。

 地下室の最奥にある、その石造りの大きな扉の前に、跪いて祈った。

 私は今日も元気です。

 日々、楽しく過ごしています。

 お母様はご健勝でしょうか。お母様も、そこで楽しく過ごされていますでしょうか。

 会いたいです、とは一度も言わない。私が禁じられている、決して叶わない願いをお母様に求めるのは、きっと酷なことなのだと、幼心にわかっていたから。


 そして時は流れて、今日。お父様が重い病に伏し、いよいよ峠と言われた、今日。

 私は病床のお父様の掌を握り締めた。震える、汗ばんだ掌。土気色の皮膚、色を失った爪。私は銀の鍵を握り締めて、地下への階段を駆け下りた。

 私と会って下さらなくてもいい。どうかお父様の危篤に、一目でも会いに来て下さらないだろうか。涙をぽろぽろ流しながら、私は息を切らして、転げ落ちるように冷たい暗闇へと降りた。

「お母様、お母様。お父様が危篤なのです。どうか、ここを開けさせて下さい。あの方にお会いして下さい――あなたの愛さえあれば、お父様は助かるかもしれないのです」

 そう叫んで、鍵を差し込み、回そうとした。

 ガタンと、扉全体が揺れた。私は驚いて、格子窓を見上げた。


 そこには女がいた。

 いや。かつて、女であったものがいた。

 私は鍵から手を放して、その場に立ち竦む。ガタン、ガタンと扉が叩かれる度に、差したままの鍵が揺れて、場違いなほどに涼やかな音を立てた。

「ああ、あれほど開けてはならないと言ったのに」

 背後で、お父様の声が聞こえたような気がした。

 彼女は、たった一人で、ひどく嬉しそうに、笑っている。

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