メッセージ

 きっかけは、いつものメッセージのやりとりだった。

〈今日夕飯なに〉

〈唐揚げっすよ〉

〈まじ、はやめにかてる〉〈かえる〉

〈あわてすぎww〉

〈なんかいるもんある〉

〈炭酸 割るやつ〉

〈呂〉〈りょ〉〈時間わかったら連絡する〉

〈ほい〉

 金曜日の夕暮れ。フロア全体が仕事を締めにかかる慌ただしい空気のなか、よかったら帰りに飲みでも、とひろく声がかかった。こういう急な誘いに乗るのはおおむね単身者ばかり、そうでない者がたまに参加するとワッと盛り上がる。同居人のいる俺のようなタイプはグレーで、今日も「行けたら行く」とだけ伝えてあった。

 同居人の都合を聞くために、こうして一旦自販機の前まで出てきたわけだが、唐揚げなら帰宅一択。これはもはや決定事項だ。

 さてもうひと仕事、とデスクへ戻りかけたところへ、もうひとつ自販機のような影が立ちはだかった。

「彼女ですか?」

 さきごろ異動してきた後輩だった。別に親しくはないし、関わりも薄い。勝田は体格がよく見栄えのする男子だが、ちょっと面倒な奴だとは聞いている。俺の直感も『慎重に相手したほうがよい』との判断を下した。

「ちがうけど」

「その割には、なんか楽しそうでしたね」

 そりゃあ唐揚げだからな、と口には出さず、「んじゃ僕先に戻るから」と横をすり抜けようとするが相手はまだ食い下がった。

「松橋さん、今日来ますか」

「飲み会? 行かないよ、家にメシあるし」

 勝田の眉が持ち上がる。しまった、と思った。

「やっぱいるんじゃないですか」

「違う、男。べつにただの同居人だよ」

「男がメシ作って待っててくれるんですか」

 なんだか穏やかでない言い方をする。俺もさすがに眉をひそめた。

「なにか問題でも?」

「いえ」

 歯にものの挟まったような言い方にふれて、沈んでいた記憶の断片が浮上する。

 そういえば、今日の飲みは時期外れで異動してきた彼の歓迎会も兼ねている、と幹事が言っていたような。それで拗ねているのか。歓迎会云々はおそらく、ただ飲みに行きたい人間があとからとってつけた話であって、勝田も気の毒といえば気の毒だが、そもそも話が急すぎる。

 はっきり言おう。

 子供か!

 しかし俺は大人なので、いきなり喚いたりはしない。

「まあ、もう作るって言ってんのに悪いしさ」

「いや男ですよね?」

 だからなんだ。男だったら気い遣わなくていいのか。

 だんだん違和感の正体がわかってきた。勝田も別に悪気があるわけじゃないんだろう、これはやり合うだけ不毛だ。何より今は就業時間中である。もうぶった切るしかない、と思ったその時。

「はーいそこまで」

「仕事、終わったんですかあ?」

 吉田藤本コンビがにゅっと現れ、勝田の腕を左右からつかんだ。

「えっ、なんですか」

「なんですかはこっちのセリフですけど」

 勝田の戸惑いに、吉田さんは冷淡に応じる。

「身近な人を尊重できない人が、仕事ができるとは思いませんが」

「え」

「うわあ、響いてないねえ」

 藤本さんの間延びした声も、いつもよりこころなしか低い。

「いいから仕事に戻りなって。今日はおいしいお酒飲みたいでしょう」

 ね、と二人の迫力に圧されて、勝田はすごすごとその場を去っていく。その背を見送って、俺は深くため息をついた。

「助かった、いつから見てたの」

「けっこうすぐです、なんか、勝田くんの出て行き方が挙動不審だったんで」

「沢村さんの噂は聞いてたんですよあの人」

「ったく、人のことはいいから仕事しろっつの」

 それは君たちもでは、と思ったが飲み込む。彼女たちの目配りに助けられたのは間違いない。

「あいつ、自分の理想を押し付けるところがあるっていうか、それでチームでも、取引先とも衝突しかねなくて」

「あわやですよホントに」

「絶対男のほうが上だと思ってるし」

 ふたりとも鬱憤が溜まっていたらしい。次々と繰り出される愚痴に、俺はちょっとひっかかりを感じた。

「理想っていうか、なんか、それって生きづらそうだなあ」

「「おひとよし〜!」」

 吉田藤本の声が綺麗に揃う。

「なんですかそれ!」

「いやほら、家で食事作ってたり、気を遣う相手なら彼女だろうとか、歓迎会には出るもんだろうとか、決まりごとが多いとしんどそうだなと」

「なるほど」

 たどたどしい俺の説明に、吉田さんが冷静に頷いた。

「それにしたって、その決まりごとは他人に振りかざすもんじゃないですよ。そういうの、なんていうか知ってます? 余計なお世話っていうんですよ」

「きゃー玲ちゃんかっこいい!」

「え、なんで俺が説教されてんの」

 盛り上がっているところへ、さらに別の人物が顔を出す。

「弁が立つね、文学少女」

「田中さん!」

 こんなにスーツのベストが似合う人もいないだろう。我らが部長のお出ましである。

「この程度で文学少女名乗れたら、世界中文豪だらけですよ」

「少女って歳でもないしね」

「それこそ余計なお世話です」

 ひとしきり軽口を叩き合ったのち、部長はにっこり笑った。

「みんなで出ていっちゃうから何事かと思ってね。で、仕事、終わったの?」

 口調はあくまで朗らかだが、明らかにこれまでの流れを汲んだ痛烈な一言に、三人揃ってウッと詰まった。

「申し訳ありません……」

「そうそう、ちゃんと仕事してくれれば何も文句はないですよ」

 そのまま後ろをぴったりついてこられて、ああ、自分たちもまだまだ子供だ、と己を省みる。田中部長の干渉には、明確な線が引かれていた。一方、俺たちは私生活に土足で踏み込んできた勝田と同じ土俵で相撲をとろうとしていたのだ。

 こういう小さい悔いや苦味をいくつも積み上げて、大人は出来上がっていくのだろう。何の屈託もない、ぎらぎらした自我そのもののような揚げたての唐揚げが、無性に恋しかった。

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