滴る

 開け放った窓から冷たい風が吹き込んで、揺れたカーテンの向こうがみるみる灰色に沈んだ。日曜日の夕方、すり切れるほど観た映画で次の台詞を先回りしつつだらだらしていた時のこと。遠い轟きが天候の急変を告げる。

「やべ」

 ベランダに出て、ほぼ乾いた洗濯物を次々に部屋へ投げ込んだ。あと少しというところで大きな雨粒がぼたぼた落ちてきて、思わず乗り出しておもての様子を見下ろすと、下に沢村の自転車がない。買い出しに行くと言っていたが、自転車に乗っていったということは傘もないだろう。

「大丈夫かなあ」

 まあいい大人だ、どうにかするだろう。とりあえず風呂に湯を溜めはじめて映画に戻った。雨音で音声が聞こえにくいが、あえてそのままで流し続ける。


「ぶえー」

「お、帰ってきた」

「信じらんねえ、パンツまでしみた」

 沢村はTシャツも短パンもびたびたの状態で玄関に立ち尽くしていた。まるで海から上がってきたような有様で、海藻みたいな髪から水が滴り落ちる。

「ほい」

「わぷ」

 ヤツは投げつけてやったタオルでがしがし頭を拭きながら、「とりあえずアイスだけでもしまってもらっていいすか」と食べ物の心配ばかり口にする。

「わかった、やっとくから風呂入ってこいよ。沸かしてある」

「うわ、何様なんすか」

「俺様だよ」

「ちがう、俺が何様って話です。ありがてえ」

「使い方おかしいだろそれ」

 つま先でタタタと駆け抜ける沢村の後ろ、濡れた足跡をフローリングワイパーで追いかける。風呂の扉が閉まってまもなく、超低音のうなり声が漏れ出して、俺は喉の奥で笑いながら洗濯機のスイッチを入れた。

 その洗濯機が、今度は俺たちの食欲スイッチを入れてしまうとは。

「あー!」

 脱衣所から絞り出すような叫び声は風呂上がりの沢村だ。

「なんだよ」

「ワンタン食いてえー」

「急にどうした」

「ほら」

 がらりと戸が開いて、指さす先をを見て納得した。

「ああ、これはワンタンだわ」

 たっぷりの水に泳ぐ洗濯物。ねじれて渦を巻くさまはいかにもワンタンの尾びれである。

「口がワンタンになっちゃったな」

「皮買いに行く?」

「行かない」

「だよなあ」

 雨はまだ止まない。その夜は結局、野菜炒めを大盛りのせた塩ラーメンにしたのだが、味が近いものだからますますワンタンが恋しくなり、二人そろってのたうち回ることになった。

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