第3話(後) 総前高校のいじめっ子バスター

「姫が、消えたな。」

 特に驚いた様子もなく目の前の吸血鬼はボヤいた。しかし、彼は彼女を追い掛けようとはしない。

 それを見て少しだけ安心した。

 もし彼が追い掛けようとしたら、どんな手を使ってそれを引き止めようかと考えていたからだ。


「うん。その前にお前からダイヤモンド魔石を取り返すことの方が優先的だ。姫と私との運命力は言うまでもないことではあるが、私とお前との間にそれはない。ここで消して、それまでの灯火だ。」

 吸血鬼は何でも無いことのように此方を殺すことを宣言してくる。

 そいつにとって、俺を殺す事など道端の虫を踏み潰すくらい簡単なことなのだろう。

 仕留め損ね、一度見失った蚊を改めて追うのは面倒臭い。だから今殺す。

 きっとその程度の判断だ。万が一にでも自身が負けるとは微塵も思っていない。


 ……。なんだよ、それ。むかつく。

「ハッ。それは言えてるな。男との運命力なんて吐き気がする。俺も出来れば、もう二度とお前の顔なんざ見たくはないね。」

 虚勢を張りながらも、本音を漏らして敵と相対する。

 予定とは違い、戦う準備を充分に整えることも、最低限不意打ち程度のアドバンテージを得ることも叶わなかったが、誰かを守りながら戦うことのない一対一の戦いに持ち込むことは出来た。

 後は、俺自身がどれだけやれるかだ。躊躇すれば死ぬ。

 例え少数以下の確立でも、勝つ可能性がまだ残っているならそれに賭けるしかない。

 化け物が相手だ。今回は始めから殺す気でいく。


 呼吸を整える。

 心を落ち着かせながら、今の自分にある物を頭の中で整理する。

 使える武器は、己の肉体と制服内に潜ませた多量の文房具、それと先程使用した手榴光弾のみ。

 俺はこれだけで、目の前の敵を殲滅しなければいけない。


 制服に詰込まれた文具は、アニメに影響されて遊びで仕込んだものだ。

 本当にこんなこと出来るのかよ。いや出来るようにすれば良いと、どちらかと言えば諒壱りょういちに見せる用の玩具装備おもちゃ側の発明で再現した代物だった。


 今他に手持ちはない。

 目の前の敵は、以上の装備で何とかするしかないのだ。


 吸血鬼相手に文房具で立ち向かう男。

 ……。どう考えても勝てる訳がないと思った。


「じゃあ、殺すか。」

 瞬時に消える吸血鬼。

 速い。だが、視えている。

 体のどの箇所がのかを、俺は感じ取れる。

 自らの体が死ぬ場所をいち早く察知して、死を避けるように体を背面に逸らして避ける。

 眼前を通り抜ける拳。

 地面に手を着地させながら、逆さになった状態で顎を引いて敵を下から睨む。

 脇腹が痛み、姿勢が崩れそうになったが歯を食い縛って気合いで堪えた。

 攻撃が終わった敵の位置を視覚で正確に認識し、避けた体勢から即座に攻撃のモーションへと体を切り替えた。


 元々そのつもりで背面に跳んだのだ。

 先程、同じ体勢で躱した時は急なことで身動きが取れずに脇腹に攻撃を受けた。

 流石に、この短い時間で二回も同じ間違いは犯さない。


 ただの人間相手になら即死級の攻撃を再度躱した俺を、敵の目線が追う。

 両手で地面に着地しながら、海老反りの状態から体を戻す筋肉の勢いを使い、足で敵の顎を強く弾いた。

 強打を受けたその顔が強引に天井へと向かせられる。


 ――っ! 攻撃は、通用する。


 確かな感覚。

 まともに戦えることに歓喜しながら蹴った勢いを使って跳ね退き、上手く吸血鬼から距離をとって体勢を整える。体を鍛えたかいはあった。


 目の前の怪物は、足で蹴っても動じない程の強度ではない。

 鉄を蹴るよりも柔らかかった感覚が足に残っている。


「貴、貴様。」

 悲痛に歪んだ顔が見えた。

 目の前の羽虫が思いも寄らない有効打を加えて驚愕している。

 こんな人間ゴミに。

 そんな困惑で吸血鬼の動作がワンテンポ遅れた。それを見逃さずに迷わず踏み込む。

 その隙は、俺が敵の間合いに入り込むには充分の時間を生み出してくれた。

 ただ、それ程大きな時間でもない。俺は今この瞬間のチャンスを逃さないように、全身全霊を込めて敵の戸惑いに反応する。

 瞬きほどの時間に潜り込んだ為に、酷使した全身の筋肉は悲鳴を上げる。


「い、いつの間に!」

 敵が次の動きに入る前に、俺は既にその懐に潜り込めていた。

 制服の中から取り出した先端が鋭利に尖る魔改造されたハサミ。

 それを躊躇無く吸血鬼の心臓に向かって振りかぶる。

 自分で驚いてしまうほど集中していた。


 れる。 いける。


 そこに動力源心臓があることは理解していた。

 一見何でもない会話をしているようで、奴の前に立った時には呼吸を合わせ、その鼓動に耳を澄ませていた。

 中央にある人間とは違うやや左寄りの臓器。

 そのど真ん中を寸分違わず狙い、打ち抜いた。


 大振りの起動。

 腰を回しながら出来るだけ深く差し込むように穿った俺のハサミ。

 それは、想像以上に綺麗な位置で敵の体表に突き刺さっている。


 接合点から、赤い血が漏れ出した。


「ぐぷっ。」

 相対した男が、自らが刺された心臓を凝視する。

 服に滲む赤い液体。

 殺されたという事実に気が付くのに数秒。

 血走った目が、空かさず俺を捉えた。

 ――っ!まだ、足りない。


 敵は、人外生物。

 想定出来る“殺した”では殺し切れない可能性がある。

 実際に心臓が止ったことを確認するまで。

 その体が動かなくなるまでは、せめて攻撃を続けなければ。

 これだけ想像した攻撃の型が上手く填まるのも、敵が慢心した今しかない。


 現実とのギャップ。

 羽虫を羽虫以上の何かへと敵の脳が認識を切り替える前に殺しきれ。

 不思議と、今日の調子は良かった。


 今更ではあるが、死から逃げるように引いていく胸。

 奥に待機した手が、此方に伸びて来ようとしているのが見える。

 掌の中に、光の収縮が見えた。俺を殺す為の魔法が練られている。


 だが、まだ俺の方が早い。

 反動で突き出た顔面を掴み、後ろに引っぱり下ろしながら俺はその背中に強烈な膝蹴りを合わせた。


 強制的に仰け反らされた体。

 ごきりと生々しい骨の音が鳴る。

 ウガガっと開いた口。

 間髪入れずに、消しゴムならぬ消しボムを制服内から取り出して、敵の口の中にバラ撒いた。


 それが体の内側にしっかりと入り込むように。

 敵が吐き出したりしないように、三十センチ物差しを取り出しては手に馴染むようにくるくると素早く回し、消しボム達を奥に押し込むように口の中へと無理矢理刺し込んだ。


「アッガガが!!」

 悲痛が漏れる。

 知ったことではない。

 らなきゃ殺らえる。

 これは、そういう戦いだ。

 油断していたからやっぱり今の無しなんてことは通じない。

 最初から本気で来られていれば、俺は多分死んでいた。


「――っつ!!」

 体の重傷が響いていない訳ではなかった。

 俺からの殺戮を嫌がるように振られた手から繰り出された大きな魔法の弾丸に襲われた。

 油断はしていない。問題なくその反撃にも気づけてはいたが、体がもう付いて来れなかった。この一瞬の戦いで、俺の体はもう完全に疲弊しきってしまっていたのだ。

 人外を殺す為に、一瞬の間だろうと体を酷使し過ぎてしまった。寧ろ、一瞬の間に何もかもを決めようとした為に、俺の体は駄目になった。

 自分で言うのもなんだが、この人間離れした“殺し”を実行し続けるだけの肉体がまだ出来ていない。いや、そんなもの。ただの人間に作れるのか?


 集中力が削れる。これは不味い。俺の勘は、自らの死の未来を観測する力は今のような死ねない攻撃には機能しない。

 俺が察知出来るのは、あくまでも体の一部が亡くなるような攻撃や、即死級の技を向けられた時だけ。

 俺の一部も殺せない攻撃まで事前に感じ取ることは出来ない。細胞一つの死まで予測出来れば関係無いが、流石にそこまで制度の良い代物ではない。


 要は、死ななければ五体満足の致命傷は与えられるのだ。


 その穴を、全力の集中力で補って全ての攻撃を躱すつもりでいた。でも、それももう叶わない。自分でもビビるくらいの集中はもう出来ない。出来たとしても、体がもう付いて来れない。


「っ!」

 被弾した物は、致死量にまでは至らない攻撃。

 それでも、蓄積されたダメージもあるこの体にはキツい一発だった。

 魔弾に弾かれた俺は、天井と証明にぶつかってから、パソコンの乗ったビジネス机を割るように落ちて転げていた。傷口から血が流れる。


 体に衝撃が走り続ける。

 元々痛めていた脇腹と背中が、それらに連動して体を痙攣させた。

 直ぐに立ち上がれないことへの無力さを感じながらも、俺は確かに消しボムが爆発する音を耳にする。


「や、やったのか?」

 寝返りながら痛む体を押し、手を付いて何とか顔を上げる。

 それは、勝利を確認する為の行為で。


「ガッ!アアッ!!」

「……は?」

 だからこそ、その光景を見て絶望した。

 表情が曇る。


「うっ!ぐぐぐ。」

 腹部から破裂した吸血鬼は、空いた体の中心部にブラックホールのような空間を発現させ、周辺の空間を吸い込むように歪めていた。

 何かが彼の体の深部まで収束していく。

 微かに、細胞が再編されていくのが見えた。爆散した男の体が、元通りの形へと戻り始めていたのだ。

 それに合わせて、胸の刺し傷も回復していく。刺したハサミは、既に取り除かれた後だった。


「……はは。マジかよ。」

 その光景を前にして、俺はただ苦笑いを浮かべるしかなかった。


「これだから、本物の化け物って奴は。」

 自身の体を鼓舞する。

 出来ればもう立ち上がりたくはなかった。

 だが、相手が全回復する前にとどめを刺さないといけない。

 うだうだしていると逆襲に遭う。

 頭を振り、思考を整え、無理矢理にでも体を起こそうと努力する。


「――あ?」

 魔弾にやられた時に傷ついたのか、頭部から流れた血が視界に滲む。

 嫌な事に、この体は前回の旧校舎事件と同じ状態結末に近づいていっていた。今回は逃げて走った訳ではないが、足は限界を迎え、体は重く怠さに襲われる。

 倒れてはいけないのに、今すぐにでも横になって体を休めたい。

 以前と同じ状態になってしまう体に、どれだけあがいても結末は変わらないと言われているような気がした。


「大丈夫。こんなの、ちょっと頭と筋肉と内臓が痛んで、視界がボヤけてるだけ。」

 這いずり上がるように体を起こす。

 俺の手先は床が大好きなようで、最後まで床とキスしていた。

 どうしようもなく体が重い。全身が筋肉痛で痛い。

 膝に上手く力が入らず、そこは小刻みに震えていた。

 その足を、上から拳で強く叩きつける。

「動け。馬鹿野郎。まだ、やれるだろ。」

 自身を鼓舞して前を向く。敵を見据え、勝つため――

「は?何だよ、それ。」

 死ぬ気で立ち上がった筈なのに、直ぐにその心は折られかけた。

 腹を押さえて苦しむ吸血鬼の背後で、此方を迎撃するように待ち構え蠢く魔弾の群れ。

 安定していないのか、それらは荒々しく火花を散らす。

 それが、俺にはまるで獰猛どうもうな獣の群れが獲物を前に涎を垂らす姿のように思えて。


「来るな。来るな!来るな!!」

 現象の中心で悲痛に苦しみ、此方を強く睨む吸血鬼。その紅い瞳が爛々と輝いている。

「死ね!!ガキイィィィ!!!」

 その目が猛々しく煌めいた時、背後に待機していた魔弾が一斉に射出された。


「―――――――――――――――っ。」

 それは、一瞬の出来事。


 目の前を覆う視界を覆い付くす大量の光を前にして、俺の勘は、と告げていた。


 あ、死んだ。


 俺は、自らの死を悟った。

 この後すぐ、何処が死ぬかは分かっている。

 だがそれを全て回避出来る程、俺の体はもう万全ではない。

 そもそも、避けきるビジョンが見えない。


 何の身動きも取ることが出来ず、ただ嫌がるだけのように後ろに傾いた俺の左胸を、一発つの弾丸が撃ち抜いた。直後、数多の弾丸にいたる所を同時に穿たれた。


 意識が飛び、膝から崩れ落ちる。

 だが、まだ生きていた。

 何故か、奇跡的に急所は免れていたのだ。やはり弾丸魔法は安定していなかったのだろう。

 弾丸それは、眼前で軌道を変えた。全部当たると思ったのに、眼前で殆ど全ての弾が軌道を歪ませた。


 このビルの他から聞こえて来た悲鳴の音に、俺は現実に引き戻される。

 流れ弾が別の誰かを襲ったのだ。


 他の誰も傷つけさせない。

 そんな俺の目標は、あっさりと失敗の烙印を押された。


 ――――――――――っくそ!

 無理っじゃないだろ。


 再び立ち上がる為に足を動かす。

 筋肉に力を込めた途端、全身に開けられた穴から血が噴き出した。


「ふっ。ガが。」

 何諦めているんだよ。それじゃあ、前と同じだ。

 変わるんだろ。守るんだろ。

 思い出せ、あの日の屈辱を。

 繰り返させるな。

 運命を、変えろ。

 今回の俺は、血の海には沈まない。


 消えかけた闘志に再び火を灯す。


 戦え。立ち上がれ。

 あの日の俺を、越えろ。


 だが、体はその思いを否定する。

 もう無理だと、勝手に限界に達して震えている。


 うるさい。つべこべ言わずに動け。

 爪を立て、痛みで無理矢理従わせる。


 動け動け動け動け動け。

 これ以上、犠牲者を増やすな。

 幸い、敵はまだ回復に戸惑って――――――



 ふわりと、優しい温もりに包まれた。

 何が起きたのかが理解出来ず、思考はぶっ飛んだ。

「え?な、なんだ」

「もう、いいよ。限界なんでしょ?無理しないで、休んで。」

「委員、長?どうして。なんで逃げてな」

「ごめん。私が弱かった。私にはまだ、あなたほど戦える覚悟が足りていなかったの。」

「な、何を言って」


「――返して。」

 俺の背中に顔を埋めたまま、委員長が声を掛けてくる。

 何が何だかさっぱり分からない。

「さっきのダイヤモンドを、私に返して。」

「……。」

 ゆっくりと、死にかけの頭で今の状況を理解していく。

 俺は今、後ろから委員長に手を回されていて、そして。


 彼女は、まだ少し震えていた。

 おそらく、無理矢理にでも負の感情を押し殺しているのだろう。

 弱い自分を押し殺して、頑張ってここに立ってくれている。

 よく分かる。

 だって、今の俺も同じ様なことをして立ち上がったのだから。


「委員長、大丈夫?」

 彼女が心配で向き合う。

 直ぐ後ろに居た彼女の瞳には涙が溜まっていて。

 その愛おしい程美しい顔に、俺は優しく触れた。


 この顔を心に刻め。

 これを世界から失わせるのは勿体ない。

 せめて、彼女だけは。

 諒壱が居て。成井さんが居て。委員長が居て。

 あの日常だけは、絶対に守り通す。

 っ。そうか。俺は――


「ごめん。委員長。流石にそれは出来ない。あの宝石が何なのか、今の俺には分からないけれど。これを渡すと、委員長が居なくなってしまう気がするんだ。」

 疲れを押して、彼女に軽い笑顔を浮かべる。

 せめて、彼女の前だけでも普段通りの自分で。

 痛いのも、苦しいのも、今はいらない。

 瞼が重たいおかげで、笑いかけた方が楽なまであった。


 安心させてやりたい。悲しい顔をさせていたくないからそう言った筈なのに。

 目の前の少女の顔は、更にくしゃくしゃに歪んでいく。


「無理しないで。」

「委員、長?」

「隠しててごめんなさい。実は……。実は、。」

 胸の前で手を握り絞め、下を向いて彼女はそんなことを言った。


 …………。

 …………?

 …………!?


 な、なる程。そう来たか。


「これは、私の戦いで。本当は私がどうにかしなきゃいけないことなのに。それでも私は、怖くて。逃げて。」

 震えながら真実を告白していく彼女に、俺はあくまでも優しく努めた。

 彼女の言葉。それがどれも、“怖い”“弱い”“私は駄目だ”なんて、の自分を責めるものばかりで、強い発言では無かったからだ。怯えて、それでも自分がなんとかしなきゃいけない。私が戦わないといけないという言葉を全部受け止めて、それでもそれを否定する為に口を開く。


「そっか。じゃあ、やっぱりこれは、俺の仕事だ。」

「え?な、何を言って……」

 戸惑う彼女に、俺は少しの笑顔を作る。

「だって委員長、あの怪物にいじめられているんでしょ?そんなに怯えて、怖がって。だったら、これはやっぱり俺の仕事なんだ。俺は、そんな君を助けたい。委員長も知ってるでしょ?俺、“いじめっ子バスター”なんだ。」

 委員長の頭に手を乗せながら、怖くないよと慰める為に手を動かす。


 そして、噂の都市伝説。

 不名誉だったあだ名を口にした。

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