第11話①

 日高と迅が校舎から逃げた後、鬼教師のデスクに、二枚の退学届が置かれていたことが分かった。


 鬼教師は眉をひそめた。その紙は、勝手に自分たちだけで決断し、勝手に申請書類を盗み、勝手に叩きつけていった代物である。二人の退学は到底認めがたかった。それでも、書類の必要事項はできる限り埋めてあり、親の承認までしっかり得ている。これまでの問題行動とは似ても似つかない、生真面目な態度だった。


 鬼教師は、その誠実さが二人の覚悟なのだと知った。信念の強さを痛感した。結局彼は、退学届をシュレッダーにかけることができなかった。二人の覚悟を木っ端微塵に裂いてしまうことも、覚悟を無かったことにして処分することもできなかったのだ。


 その後退学届には、鬼教師の認印が押され、無事に受理された。



***



 一方生徒たちは、しばらくの間、放送室ジャックの話で持ちきりだった。学院側からは、規則に秘密があるなどというのは事実無根で、フェイクニュースを広めないようにとのお達しがあった。が、その言い分こそフェイクである。強かな生徒たちは、何が事実なのか広く会議を起こしつつ、かえって教師の言いつけを破るスリルを楽しんだ。それで日中には学院内で、放課後にはSNS上で、繰り返し二人の話題に花を咲かせるのだった。


 そして今。二人が学院から姿を消してから一週間が過ぎ、その熱も次第に落ち着きを見せはじめた。現在の土御門学院には、いたって静かな空気が流れている。もしかしたら学院長らが、裏で対処に追われているのかもしれない。とはいえそれは、一般の生徒には知るよしもないことだ。


 一方で、誰しもが気付いていることもあった。いつもの学校生活に笑いと興奮が足りないこと。何より、いつもの一本道の廊下に誰かが足りないこと。


 千景もまた、人一倍激しい喪失感を抱えていた。友達とおしゃべりをしていても、新しい洋服を買っても、どうにも心の底から笑えない。まだ現実を受け入れられない。


 こんなにも唐突に、二人がいなくなってしなうなんて思いもよらなかった。なぜなのか、今どこにいるのか、何度も問い正そうとした。けれど電話には出ないし、チャットの返信も寄越さない。これで落ち着いていろというのが土台無理な話である。こうしている間にも、実は「アジト」でイタズラの計画を立てているような気がする。そんな淡い期待を抱いてしまう。もちろん、全部妄想で幻だと分かっている。分かっているはずのに、気付けばまた、「アジト」の方を見つめている。



***



 金色の太陽が傾き、赤く燃え、焼け落ちるように山影に隠れた。空は澄んだ夜闇に覆われ、その青は濃さを増し、一番星をいっそう際立てる。そうやって空が表情を変えていくのを、千景は長い時間をかけて「アジト」の窓から眺めていた。いや、日高と迅を待っているうちに、知らぬ間に時間が経っていた。


 千景は結局、淡い期待をかき消すことができず、放課後に「アジト」へと階段を駆け上がって来た。ドアを開け、二人の姿がないと分かると、今度は窓辺に腰かけて来訪を待った。


 二人は今も学院内のどこかにいるのか、いないのか。いないとしても、もう二度と訪れるつもりもないのか、あるのか。それをはっきりさせないことには、千景も諦めがつかなかった。気持ちの整理がつかなかった。


 その時、千景は窓の外に何かを見つけた。拳ほどの大きさの石だった。下から投げ上げられ、一瞬夜空に浮かんでいるようにも見えた石。だが実際にはずっしりと重く硬い。それが、放物線を描いて窓の方に近づいてくる。千景に向かって飛んでくる。


 千景は窓辺から飛び退いた。懐から青いお札を取り出し、盾をつくる。盾は窓ガラスを通り抜けると、石を窓の外で跳ね返した。音もなく軌道を変え、人気のない一画に落下する石。


 盾を構えたまま、おそるおそる窓に近づく千景。窓を開け、石が飛んできた下の方をのぞき込む。


 すると。


「千景!? おまっ、中にいたのか!」


 そう声を上げる人影があった。それは、ずっと待ち望んでいた人の姿。千景は目をこすった。頬をつねった。それでも、姿が幻のごとく消え失せてしまうことはなかった。二人は確かに目の前にいた。


「日高、迅!」


 二人は外壁に取りつけられたはしごを登ってくるところだった。石で窓ガラスを割り、外から「アジト」に入るつもりだったらしい。相変わらず、派手なことをする不良たちだ。


 千景は窓を開け、二人に手を伸ばした。一人ずつ部屋の中へと引き上げる。その間も、なんだか全身が痺れてしまって、上手く頭が働かなかった。

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