第9話①

 その日も、国立土御門学院の一日は始まった。


 教室の窓の外に、時計台が見える。その大きな針が、八時二十五分を指した。校内に予鈴が鳴り響く。それまで廊下に散らばっていた生徒たちも、慌てて各自の席に戻ってきた。友達と別れ、暇に任せてスマホを取り出す生徒。祓魔用語の単語帳を開き、小テストの対策をする生徒。教室は、朝の気だるさと新品の陽光で満ちていた。


 予鈴から程なくして、担任の男性教師がドアを開け放った。教卓に荷物を置き、早速名簿を開く。


「出席取るぞー。今日いないのは誰だ?」


 ボールペンを片手に、教室をぐるりと見渡す。その視線が、ピタリと一つの空席を見て止まった。怪訝な顔をする担任教師。


「その席、迅のところだよな? 遅刻か? 誰か、事情を知ってる奴はいるか」


 担任は、教室全体に呼びかけた。しかし反応はない。迅と仲のいい男子たちの様子をうかがう担任。彼らでさえも、お互いに顔を見合わせるばかりで、誰も事情を知らないようだった。


「そうか……とりあえず遅刻ということにしておくな。だが珍しいな……」


 担任はそうつぶやいて、ひとまず名簿にチェックを入れた。ボールペンを置き、名簿を閉じ、朝のホームルームを始めていく。


 担任はまず、配布物を配ったり、連絡事項を述べたりと、最低限すべきことを終わらせた。そのあとで、最近の出来事について簡単に話す。毎度お決まりの流れだ。


「そういえば、この間任務中に事故があったらしいな。任務にあたっていた生徒三人のうち、戦闘科の男子生徒が、今も入院中だそうだ。早く元気になるといいけどなぁ……」


 半ば独り言のように所感を述べる担任。実際、無駄話に付き合う生徒はほとんどいなかったし、担任もその態度を見て見ぬふりをしていた。


 そんな、怠惰な時間が流れていた時だった。校内放送のスピーカーが、ジジっと入電の音を上げた。生徒も担任も、いつものように一応口を慎んで耳を傾ける。


「朝のホームルーム中に失礼します」


 その声は、初々しい生徒のものだった。それも、このクラスの誰もが知っている人物の声だった。


「研究科五年、目黒迅です。これから皆さんには、学院の闇についてお伝えしようと思います」


「迅!? あいつ今、放送室にいるのか!」

 担任は目を剥いた。もちろんそれは、驚きから来る反応であり、怒りであった。生徒に大人しくしているよう言い残すと、教室を飛び出していく。両隣のクラスからも教師が出てきて、慌ただしく話し合う声が聞き取れた。


「今の放送って、間違いなく無許可ですよね。放送室に忍び込んで、校内放送の回線を乗っ取って……これは明らかな問題行動ですよ」

「目黒迅といえば、学院中に悪名を轟かせる問題児だろう。これで何度目の校則違反なんだ」

「すみません! 目黒はうちのクラスの生徒です。学院長に報告して、今すぐ放送をやめさせてきます」


 数人の教師の足音が、廊下に反響して遠ざかっていく。その反響は、別の階からも聞こえていた。おそらく別の専攻、学科でも、同じく騒然としているのだろう。学院は、すみやかに非常事態の空気に包まれた。


 そうこうしている間も、迅は学院の闇を、白日の下にさらしていった。


 学院の闇とは、とある校則の誕生秘話だった。彼いわく、その規則は、権力者のスキャンダルを隠すためだけに作られたのだそう。つまり、学院長が悪い思惑を持って規則を定め、権力者がこれを利用してスキャンダルを隠していたということだ。


 この事実が表沙汰になれば、学院長だけでなく権力者にとっても都合が悪い。規則の秘密を知り、二者を敵に回した日高と迅は、口封じのために命を狙われることとなった。


 学院長の判断は迅速だった。おそらく彼は、規則を定めた見返りに、権力者から金や地位を得ているのだろう。土御門ショッピングタウンの経営などなど、最近になって急に、土御門家が各業界に幅を利かせているのがその証拠だ。


 徒党を組んだ大人たちに、今もなお抹消されようとしている日高と迅。だからといって、この悪ガキコンビが、怖気ついて守りに入るわけがなかった。そこで日高が気付いた。規則の秘密が、誰もが知っているものになれば、もはや二人を口封じしたところで意味はない、ということに。


 迅はこのアイデアを軸に、放送室をジャックして事実を公表する作戦を企てた。だがこの作戦には、大きな問題点があった。規則の秘密を伝え切り、誰もが知っている状態になるまでは、二人を口封じをする意味があることだ。今の段階では、二人にはまだ、暗殺者の魔の手が迫っていた。


「この話が嘘だと思うなら、今すぐ放送室前に来てください。きっと、俺の放送を止めるために、学院長の配下が俺を殺しに来ているはずです。その本気度を見れば、いかに俺を消し去りたいか、いかに俺が隠された真実に近づいているかが、よく分かるでしょう」


 それを聞いた途端、ガタッと椅子を引く音がした。

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