第5話③

 初夏の太陽に雲がかかる。日高は土を蹴り上げ、怪異物に向かって駆け出した。彼の刀と怪異物の剣が交わる。が、日高はすぐに草むらに転がされ、草が激しい音を立てた。手強い怪異物を一人で相手にし、日高は形勢を逆転できずにいた。


 こんな時、迅はいつも、身に沁みる苦味を感じる。


 怪異物を視認し、呪力をむしろ平均より少し多く持ち、れっきとした祓魔師の資格を持つ迅。しかし、どれだけ練習しても、術式を扱えるようにはならなかった。日高と一緒に戦えるようにはならなかった。だから親友が困っていても、今みたいに突っ立っていることしかできない。そんな迅の代わりに、いつも身体を張り、前衛に出て戦う日高。その背中はもうとっくに見飽きたのに、今もまだ、見続けている。


 本人も気づかないうちに、悔しげに奥歯を噛み締めていた迅。その姿が、千景の目の端に映る。


 日高の表情に疲れが見えはじめた。内心はらはらして、その様子を見守る迅。すると日高が、小さな石につまずいた。転倒する。大きな隙ができる。それに漬け込んで、怪異物が襲いかかる。


 迅は、千景が、堪らず日高のもとへ飛び出していくのを見た。彼女は日高を守るため、盾に変形する青いお札を掲げる。


 が、千景が盾を作るより先に、怪異物が日高に触れた。迅は、その瞬間目の前で起きたことを、最初は信じられずにいた。


 怪異物の黒い影が、日高の姿と溶け合っていくのだ。煙のような身体をした怪異物は、日高に吸収されていくようにも、日高を覆って閉じ込めているようにも見えた。この感じはまさか、いやでも、あんなの教科書だけの話だろ……?


 研究科怪異物専攻には、怪異物と祓魔師が会敵した際、どんな化学反応が起こるかを予測する分野がある。その研究で、両者の感情がシンクロすることで、身体までもが同化する現象があることが明らかになった。教科書の片隅に紹介されているだけの、ごく稀な現象だ。


 先達の研究者は、これを憑依と呼んだ。なぜなら、怪異物と同化するということは、両者を足して二で割った存在に融合するというわけではないから。つまり、怪異物とシンクロした祓魔師は、たいてい身体を乗っ取られる。


「ボク、人間の身体になってる! やっと人間の身体奪えた!」


 ケラケラと子供っぽく笑いながら、日高が、日高に憑依した怪異物が立ち上がった。その人格に、もはや彼の凛々しさはない。


 やられた。


 ほぞを噛む迅。やはり日高は、怪異物の負の感情に、生きているうちでは感じられない死者の感情に呑まれてしまったんだ。


 怪異物は迅たちの姿を認めるや否や、狂った笑みを浮かべて近づいてくる。奴は迅の顔を両手で挟んだ。乱暴に引き寄せ、自分と目を合わせるよう強制する。禍々しい闇の奥に、今まで燃やせなかった油がこびりついた、そんな眼をしていた。


 怪異物の口が裂ける。


「君、ヒダカのお仲間だよね。さっきから様子を見てる限り、君も学院長に対抗してるらしいじゃん。だったらボクにも協力してよ。一緒に、あいつを地獄に落とそう」


 怪異物から放たれるドス黒いエネルギーに、迅の足は凍りついた。ここにきて、さすがに千景も確信したようだった。今の日高は、味方でありながら味方ではないのだ、と。彼に対峙した彼女は、しかし、攻撃することも歩み寄ることもできなかった。


 そんな千景の戸惑いは、迅にもひしひしと伝わってきた。自分にすがりつき、何か聞きたげな視線を感じる。


 迅は、見られているという自覚を勇気に変えて、怪異物の腕を振り払った。顔だけで千景を振り返る。


「だんだん話が読めてきたよ。こいつは、土御門学院長を恨む気持ちから生まれた怪異物だったんだ。同じ相手を嫌っていたから、日高に憑依することに成功した。この奇跡に乗じて、学院長への復讐計画を実行に移すつもりだ」


 推理を口にするうちに、迅の脳内は整理されていった。恐怖心は薄れ、どうしたら日高から怪異物を引き剥がせるか、思案に集中していく。


 しばらくして、迅は、顎に手を当てながらつぶやいた。


「ちなみにさ、お前はどうやって復讐を果たすつもりなんだ?」


 突然の詰問に、怪異物は目を丸くした。あまりに突拍子もない質問だったからか、あるいは、その答えを持ち合わせていなかったのか、刹那言葉に詰まる怪異物。その様子を見て、迅はわざとらしく呆れ返った。


「もしかして、何の計画もなく勝てると思ってたわけ? 祓魔師のトップを相手に? それは冗談キツいでしょ。今のまま戦っても勝ち目はないんだし、バカ日高の身体、さっさと返してくれないかな」


 まくし立て、煽り、怪異物を圧倒していく迅。これが、怪異物を祓えない彼の戦い方だった。


 怪異物は、顔を歪めて怒りに震えた。迅の狙い通り、冷静さを失ったのだ。


「知ったような口をきくな! ボクはあいつに勝てる。あいつの名声も地位も、何もかも奪ってやれるんだ。なんたってボクは、あいつが必死に隠してる秘密を握ってるんだもんね」


「秘密……?」

 迅が、訝しげに首をひねる。


「ああそうさ。ヒダカが君たちと探してる『規則の秘密』とやらのことだよ」

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