二十五話 教官室にて

二十五話 教官室にて



 長い、長い階段を上る。三年前、魔女に殺してもらうために下った階段を。


 あの時は永遠にも感じるほど長かったそれも、今ではほんの数分。やがて出たのは明るい、夕焼けの刺す廊下であった。


「変わってないな……いや、三ヶ月しか経ってないから当たり前か」


 恐らく今は、冬休みが明けて三月上旬といったところだろうか。少し肌寒い感触を肌に浴びながら、僕は紅の廊下をゆっくりと歩く。


 と、まもなくして。曲がり角に差し掛かったその時、目の前に現れたのは見知った顔の先生であった。


「……ん?」


 ギュルグ先生。女性だがキツい性格の鬼教官。僕は少し苦手な相手だったのだが、そのイメージは今日、すぐに塗り変わることとなる。


「生きて、いたのか! アルデバラン!!」


「わっ!?」


 がばっ、と両肩を押さえつけられ動揺する僕を、先生は隅々まで眺めていた。


 そしてようやく、その台詞で思い出す。


 僕はここに来る前、部屋に遺書を残していた。加えてそのまま三ヶ月の失踪。もしかして相当の心配をかけていたのではないか、と。


「お前、今までどこにいた! 私がどれだけ、お前を心配していたと……ッ!!」


「ご、ごめんなさい……。その、本当に色々なことがありまして……」


「っ。とりあえず教官室へ来い! その色々とやら、話してもらうからな!!」


 ギュルグ先生は、本当に僕のことを心配していたようだった。


 僕が剣を握れなくなって、戦えなくなって。それを分かっていたはずなのに強行的に戦闘訓練に参加させられた思い出を持つ僕にとっては、少し意外だ。


 でも、振り返って背を見せながらも静かに拭ったその涙が偽りではないことは分かる。もしかすると根は優しい人なのだろうか。


 そんな事を考えながら後をついていると、やがて辿り着いた教官室。そこに入れられ、僕はソファーにかけた。


「アルデバラン。すまない、取り乱してしまった。だがな……お前が今どんな扱いを受けているのか、分かっているのか?」


「僕の、扱い?」


 向かいのソファーに深く座った先生は、早速話を始める。


 この学園での、僕の扱い。その響きだけで既に嫌な思い出しかないのだが、それはもっと酷いものになっているのだろうか。


「死亡者扱いだよ。混乱を避けるためとまだそれほど月日が経っていないことで教員以外には広まってはいないが、捜索は先日打ち切られた所だ」


「し、死亡者!?」


「当然だろう。部屋に遺書まで残してあったのだからな」


 いや、確かに言われてみれば当然の話か。僕は遺書だけを残して失踪していたのだから、そう処理されるのが普通。むしろまだ話が先生達の中だけで収まっていただけでも良しと考えるべきだ。もしこの話が広がってお母さんまで行き着いてしまったら、相当悲しい思いをさせることになっていた。


「生徒達には引きこもっていると伝わっているがな。これまでのお前の行動を見れば、そうなっても充分おかしくなかった。それほど疑問を抱いている奴も少ないだろう」


「そう、ですか……」


「まあそんなことはどうでもいい。それよりも、この三ヶ月お前がどこで何をしていたのかを話せ。お前にはその義務がある」


「……はい」


 先生は、静かに怒っていた。いつものように声を荒げるのではなく、ただ心の奥底で。


 そんな人に嘘をつくなんてしたくなかったけれど、アンジェさんとの日々を人に話すわけにはいかない。元々師匠にもそのことは止められていたから、こういった時の作り話は用意してある。


 僕はそれをそのまま、ぶつけた。


 三ヶ月前、死のうとした僕はとある男性に出会った。その人は昔名を馳せていた騎士で、既に引退はしているが剣術を教えてくれた。死の淵にいた僕を奮起させ、特訓の日々を重ねさせた。そうして僕は昇格判断試験を受けるために今、ここに戻ってきたと。


 九割が嘘だ。だが嘘の話をする時は、その残りの一割に本当のことを混ぜることで信憑性を上げることができる。昔本で読んだフレーズをそのままに、僕は師匠と特訓をしたという部分だけを本物とし、偽りの話を肉付けした。


「師匠……だと? おい、ソイツの名前は……いや、違う。重要なのはそこじゃないな。お前、特訓をしてきたと言ったのか?」


「はい。剣士として強い人になるための特訓を、重ねてきました」


「トラウマを……乗り越えたのか?」


 僕は、無言で頷いた。


 先生の顔が驚愕の色で染まる。僕がトラウマに打ち負かされ、一人蹲る姿を間近で見てきた人だから、驚きも強かったのだろう。


 でも、本当の話だ。僕はもう昔の僕じゃない。皆の死を足枷ではなく支えとして、戦うことができる。


「そうか。……分かった。昇格判断試験に出ると言ったな。私から、手配しておこう」


「ありがとうございます」


「ああ、気にするな」


 ふぅ、と小さな息を吐いて、先生は緊張の糸が切れたかのように煙草を口にして火をつける。


 そして大きく一吸いし、白い煙を吐くと安堵したように言葉を漏らした。


「正直、信じれてはいないのだがな。私は教職に就く前、魔術師として様々な者と触れ合ってきた。その中にはお前のように、友人の死に絶望していた者もいたよ。そしてソイツは最後……魔術師をやめた」


 コンコンッ、と煙草の灰を灰皿に落とし、どこか悲しそうな顔で。後悔し懺悔するかのように、先生は言う。


「酷い事件だった。お前が目の前で仲間を惨殺されたあの時、必死で助けに入ったはいいが悟ったよ。ああ、コイツはもう駄目だ。二度と立ち上がれない、とな」


 その後、休養期間を経て学園に復帰した僕を訓練に無理やり参加させていたのは、自主退学を促すためだったという。現状に絶望させ、剣の道を諦めさせる。この先立ち上がれないであろう僕が夢を見続けないよう、現実的な道に進ませるために。


 結果僕は思惑通りに追い詰められたが……事態は、より深刻なってしまった。退学なんて甘いものではなく自ら命を絶つという選択をするほどに、全てに絶望させてしまった。その事をずっと、ギュルグ先生は悔いていたらしい。


「私は間違っていた。教師ならば諦めさせるのではなく、その師匠のように立ち上がる助けをしてやらなければならなかったのに。……本当にすまない」


 最後にそう言い残し、先生は席を立つ。そして教官室の入り口の扉を開けて最後に一言、背を向けたまま告げた。


「昇格判断試験は明後日だ。今日中にお前のことを上に報告し、明日のチーム分けに組み込ませるよう言っておこう。アルデバラン、お前の活躍を楽しみにしているよ」


「先、生……」




 去っていくその背中を、僕は呼び止めることができなかった。あの人も僕と同じように、きっと何かを抱えている。その事を知ってしまって、どう声をかければいいのか……分からなかった。

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