十五話 来訪者

十五話 来訪者



「……よし、そこまで」


「はぁ……はぁっ……」


 汗にまみれ、少しよろけながら草原の真ん中で立ち尽くす。体内の魔素が減りすぎることによって起こる現象、魔素限界オーバーリミット。視界が若干ぼやけ始めその症状が出始めたその時、アンジェさんから鍛錬終了の呼び声がかかった。


「中々悪くない火力だ。戦闘に使うにはまだまだレベルが足りないが、初級の灼炎魔術としては上出来だろう。そろそろ、次のステップに進めてもよさそうだ」


「ほ、本当ですか! ……やった!!」


 僕がこの一年半で習得したのは、「操風魔術」、「灼炎魔術」、「氷慧魔術」。それら三つの初級術のみである。


 新たに物質を作り出すのではなく既存の物質を操り放つ合成魔術に必要なのは技術だけではなく、なによりも″知識″の習得が必要だったために時間がかかってしまった。


 氷慧魔術であれば、大気中に含まれる水分を瞬間的に冷却させる方法を。灼炎魔術であれば酸素•可燃物•熱を同時に操り混ざり合わせる、化学反応の起こし方を。ただ空気を操るのみの操風魔術とは、格段に難易度が違ったのだ。


 しかしようやく、すべてのその三つにおいては基礎となる魔術を取得。次のステップというのは、恐らく中級的な魔術を教われるということだろう。ようやく、明確に進捗が見えてきた。


「ふふっ、嬉しそうだなユウナ」


「当たり前ですよ! 毎日毎日頑張って……やっと初級魔術を終えられたんですから!」


「ああ。本当にずっと頑張っていて偉かったな。今日は祝いにご馳走を用意しよう。最近はお前に料理を任せてばかりだったから、たまには私から振舞わせてくれ」


 この一年半で、僕はこの空間における生活の一部となった。基本研究以外のことに関しては面倒くさがりなアンジェさんの家事の手伝いに加え、時には身の回りの世話も。師匠の手作りの料理を食べる機会というのは、随分久しぶりかもしれない。


 素直に自分の中の喜びに従うことにした僕は、お礼の言葉を述べて高揚感に身を寄せた。アンジェさんも僕のそんな姿を見て嬉しそうに微笑んでくれたが……なぜかその顔は一瞬、曇る。


「……? 師匠?」


「っ!? ……ん、だと?」


 その曇りは怒りからではない。常に余裕と慢心を兼ね備え、最強であり続ける僕の師匠からその時初めて感じ取ったのは、″焦り″の表情であった。


「誰かが、入ってきた。私の魔術が、壊された……のか?」


「し、師匠の魔術が、壊された?」


 そんな報告を聞く日が来ようとは、思いもよらなかった。


 アンジェさんの魔術というのは、恐らく封印の出入り口(師匠以外が出入り可能な)に仕掛けていたもののことだろう。僕が入る前は殺気を凝縮し固めた物を扉に張り巡らせて威嚇することで侵入者を防いだらしいが、僕が侵入してからその魔術は形を変化させている。


 より強固に、より厳重に。殺気などという人の感情に訴えかけて自ら扉に触れる物をやめさせるものではなく、障壁のような物を張って侵入そのものを出来なくする魔術を織り込んだと、そんな話を聞いたことがある。


 だというのに、誰かがそれを破りここに侵入した。紛れもない異常事態だ。


「ッ! ユウナ、隠れていろ!!」


「えっ……?」


「侵入者は私の痕跡を辿って真っ直ぐここに向かってる! もう、そこの階段まで────」


 カツ、カツ、カツッ。


 硬質的な足音が、近づいてくる。僕は咄嗟にアンジェさんの言う通りに小屋へと戻ろうとしたが……もう、遅かった。


「……ほぅ。まさか、本当に実在していたとはな」


「お前、何者だ」


「人に名を聞くときは、まず自分から名乗るのがマナーというものではないのかね? ────災厄の魔女、アンジェ•ユークレクタス」


「はっ、土足で他所様の家に勝手に上がり込む男には言われたくないな」


 硬く、静かな肉体に抑え込まれた筋肉。談笑するように語っていながらもその目はもう、何かを狙い始めている。これは僕が剣を習っていたからというわけではないだろう。ハッキリと分かる。この人は、強い。


「突然の侵入、無礼だったことは詫びよう。だがつい足を踏み入れてしまうほど、随分と広くて良い物件じゃないか。こんな所に無償で住めるのであれば封印とやらも悪くないのではないか?」


「よく喋る奴なのだな、ヴェルド•マグノレス。さては私に惚れたか?」


「ふ、ははっ。そうだな。私は惚れ込んでいるよ。魔女、お前のその溢れんばかりの────闘気にな」


 まるで、許嫁とのお見合いで親睦を深め合うかのように。剣と剣を重ね合い、斬り合いの最中にいるかのように。相手の腹を探り、抉り出し、臓物の隅の隅まで観察し合うかのように。軽薄と殺気の混ざり合う二人の会話に、全身の毛が震え立つ。


 師匠は今、ヴェルドと名乗るこの男を明確に″敵″として認めているのだ。そしてそれは相手もまた同じ。未だ構えもしていない両者の闘いは、既に始まっているのである。


「っと、オイ。後ろにいる少年、それはもしかしてユウナ•アルデバランか?」


「……あぁ。お前がここに来る″口実″に使った、私の弟子だ」


 突然名を呼ばれて、悪寒が身体中を巡る。そしてそれと同時に、この男の名前を聞いたことがあることに気付いた。


 ヴェルド•マグノレス。僕が入学するタイミングと同じ、今年の春にウルヴォグ騎士学園に来た教師の名前だ。一度も訓練や授業で教わったことが無いから顔も知らなかったけれど、その悪名は覚えがある。


 学園に来る前は王族の近衛騎士として名を広め、その実力は折り紙付き。この国の王を最も近くで守り通してきた。


 だがある時、反対運動を起こし国王の住む城に乗り込んだ逆賊がいた。警備の薄い夜中に忍び込み、ゲリラ的に国王だけを標的とした暗殺事件。それを一人で解決……十八の命を全て奪うことで国王を守った、とされているのがこの男だ。


 国内一と言っても過言では無い実力はそうして確実なものとされたが、国王はなんの躊躇もなく十八の人間を殺した彼を信じきれなくなっていった。いつか自分も同じように消されてしまうのでは無いか。一度開いた不安の種は広がっていき、やがて″新しい騎士を育ててほしい″という命令をもって一時的に近衛騎士から離脱させ、この学校に転任させた。


 学園に来てからこの人がどういう事をしているのかは知らないけれど、常人の感性を持つ人では無いことは確かだ。


「口実、か。酷い言い様だな。私はただ愛する生徒を助けに来ただけだというのに」


「私の前では御託は必要無いぞ」


「そのようだな。先程から私の心……いや、記憶も読んでいるらしい。全く、私にもプライベートがあるというのに」


「プライベート? はっ、そんなものを欲するお上品な人間ではないだろう、お前は」


 ゆっくり、少しずつ。アンジェさんの周りが目に見えない″何か″で覆われ、やがてその輪は広がっていく。初めて見るが確信できる。今、この人は完全に戦闘体制に入った。


「心など読まなくても書いてあるぞ。その薄っぺらい顔に、″早くお前を殺させろ″とな」


「はは、はははははッ! ……最高だよ、災厄の魔女。私を理解してくれたのはお前が初めてだ」


 ヴェルドさんから軽薄な表情が消え、ゆっくりと腰が落とされていく。それと同時に構えられたものは彼の最も得意とする武器。″拳″である。




 最強の魔術師対、無敵の異常者。今、歪な組み合わせによる本気と本気のぶつかり合いが、この地下空間で始まろうとしていた。

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