第25話 まるでヒーローだ
「え、真志、どうしたの。わざわざ来てくれたの? なんか、らしくないね」
そう言って笑う優太は、思っていた以上に元気そうだ。真志は拍子抜けして、照れ隠しもあり、睨むように彼を見つめた。
真志があの噂を聞いてからしばらくして、優太が高校に来なくなってしまった。
一週間も欠席するだなんて、インフルエンザだろうか。それにしては季節外れだし、インフルエンザだとしてもそろそろ完治しても良いはず。
真志はいつも彼と過ごす中庭で、一人落ち着かない気持ちを抱えて寝そべっていた。
優太の噂を聞いてからも相変わらず、優太との付き合いは続いている。
真志は噂を信じない質であるし、あの時見かけた後ろ姿が、どこか寂しげに見えたからでもあった。
だからこそ、何の予兆もなく一週間も休んだ優太のことが、気になって仕方がない。
一緒に出かけた時に、たまたま近くを取りかかったことで、優太の自宅は把握している。
暢気な彼も、風邪の時くらいは心細く思うのではないだろうか。
真志はそう思い、優太の家を訪ねたのである。
「随分元気そうだなぁ。わざわざ来るんじゃなかったわ」
「あはは、ありがとう。ちょっと体調が悪かったんだけど、もう大丈夫。せっかく来てくれたんだから、少し上がっていきなよ」
優太の勧めで、真志は部屋に上がらせてもらうことになった。
ファミリータイプのマンションの一室だ。一人暮らしかと思っていたが、どう見てもこの間取りは家族で過ごしているようにしか見えない。
「お前……親は? 出かけてんのか?」
大きなソファーで、一人腰を下ろしているのは居心地が悪い。もぞもぞと身をよじりながら問うと、優太は缶コーヒーを冷蔵庫から取り出しながら、淡々と告げた。
「ああ。今は一人暮らしなんだ」
『今は』と言う言葉が少し引っかかるが、真志は気のない返事をして、缶コーヒーを受け取った。
一週間も高校を休んだとは思えないほど、優太はいつも通りである。他愛のない話をする真志の隣で、ふんわりした笑みを浮かべながら相槌を打っていた。
やはり杞憂だったらしい。真志は内心安堵しながら、久々の優太との会話を楽しんでいた。
そうして、三十分ほど経っただろうか。
優太が時々眠そうに、欠伸をし始めた。それが移ったのか、真志もふわりと欠伸をする。
少し眠たいなとぼんやり考えていたのを最後に、ぷつりと真志の意識が途切れた。
弾かれたように、勢いよく顔を上げる。心臓が早鐘のように鳴り、額にはびっしりと汗をかいていた。肩で息をしながら、真志はゆっくりと周囲を眺める。
見覚えのない部屋に一瞬戸惑うが、次第に記憶が繋がってきて、自分は優太の家を訪れていたのだと思い出す。
開きっ放しのカーテンから差し込む光で、部屋は橙色に染まっていた。訪問したのは確か、昼過ぎだ。随分と長い時間が経ってしまったようである。
真志は大きく息を吐き、胸を押さえた。
「夢、か……?」
どうやら優太に釣られ、ソファーでうたたねをしてしまったらしい。それにしても、酷い夢を見た。
目を閉じると、その生々しい光景が思い出される。
見知らぬ少年の目の前で、彼の両親が交通事故に遭った。
そして、その少年を慰めていた自分でない自分。
ただの悪夢というよりはリアリティがあって、こちらまで少年の悲しみが伝わってくるようだった。
小さいうめき声がして、真志は隣へ視線を移す。優太がソファーに背を預け、寝息を立てている。苦し気に眉を寄せ、その目尻には涙が光っていた。
顔色を変えて、真志は焦って優太を揺り起こす。
「おい、優太!」
何度か呼びかけると、彼は思ったよりも早く目を開けた。
ぼんやりとした眼で真志を見つめている。やがてその瞳が大きく見開かれると、表情を歪ませ小さく頼りない声で呟いた。
「もう、嫌だ……」
「は?」
堰を切ったように、優太の瞳から大粒の涙が零れ落ちてくる。真志は呆然として、それを眺めることしかできなかった。
「なんで、父さんと母さんが死んだ後に限って、こんな同じ境遇の人の夢なんか、見なきゃいけないんだよ……?」
ひゅっと真志の喉が鳴る。心臓が締めつけられて、背筋に嫌な汗が流れた。
「父さんと母さんが、死んだ……?」
思わず優太の言葉を繰り返すと、彼がほんの僅かに頷いた。まさか『今は一人暮らし』というのは、そう言うことなのか。
真志はハッと息を呑む。
もしかして、ここ一週間ほど彼が学校を休んでいたのも、そのせいなのだろうか。
「なんで僕はこんな夢を見なくちゃいけないんだろう。こんなこと思っちゃいけないのに、どうして、こんな力なんか……」
うわ言のように言って、優太はぼろぼろと涙を流している。彼を見つめたまま、真志は指先一つ動かせずにいた。
真志にとって、親という存在は正直、苦痛でしかない。彼の両親の仲は悪く、顔を合わせば怒鳴りあい、憎みあっていた。外に出る時だけ、普通の家族のように取り繕って。
そして、別れたいのに別れられない理由を真志のせいにして、その不満を彼にぶつけていたのである。
だから、優太の気持ちに共感はできない。けれど、泣きじゃくっている彼の姿をみていると、真志の胸も強く痛んで締めつけられるようだった。
何がいつも通りだ。
何故自分は、優太が無理をして笑っていることに気づけなかったのだろう。
真志は思いきり、自分を殴ってやりたいと思った。
「父さんと母さんが死んでからずっと、ずっと、選ぶみたいに同じ境遇の人が夢に出てくる。思い出すだけでも辛いのに、なんで、その人の悲しみまで僕が受け取らなきゃいけないんだよ……!」
ふと優太の言葉に疑問を覚え始める。
夢や力、悲しみを受け取る。彼は何を言っているのだ。
そこで真志が思い出したのは、先程見た夢のことだった。
「落ちつけ! お前さっきから何言ってるんだ? 同じ境遇とか夢に出てくるとか、悲しみを、受け取るとか」
真志は優太の肩を乱暴に掴んで、無理矢理自分と視線を合わせる。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった優太の顔。同一人物だと思えないほど、悲痛で頼りない表情だった。
数秒ほどだっただろう。優太がゆっくりと息を吸いこんで吐き出す。
真志もそれに合わせて、彼の肩を掴んでいた手の力を抜いた。
「――ごめん」
優太は消え入りそうな声で呟いて、両手で涙を拭う。
「急に泣き出したりして、何が何だか分からないよね。ごめん」
彼は少し笑った。
真志にはその笑みが、仕方がないとでも言うような何かを諦めたような表情に見えた。
「真志も僕の噂、知ってるんだろ? いきなりで、信じられないかもしれないけど――僕には普通の人とはちょっと違う、特殊能力、いや、特異体質があるんだ」
そして優太は静かに語り始めた。
死んだ母親から受け継いだ能力、夢を共有し他人の悲しみを癒すという特殊な力のことを。
まるで他人事のように淡々と語った。
「たまに、傍にいる人に僕の見ている夢がうつっちゃうことも、あるんだって。僕が気をつけていれば大丈夫だと思うんだけど」
そうか、あれは彼の見ていた夢だったのか。両親が交通事故に遭う悲惨な夢。
唇を引き結んで、真志は眉を寄せた。優太が自嘲気味に笑う。
「こんな体質だから、他人に気味悪がられたり避けられたりするのも分かるよ。だって、僕の側にいたら、辛い目に遭っちゃうんだから。だから、僕を避けてる人は正しいと思う」
そう言って優太は微笑む。完璧な笑みで。
突拍子もない話で、真志の頭は混乱していた。しかし、実際にその夢を見たからだろうか。
優太の話を嘘だとは思わなかった。
そして、こんなに頑張っている優太が、何故一人で苦しまなければならないのかと、怒りにも似た感情が押し寄せてきた。
真志が周囲を拒絶するようになったのは、間違いなく彼の家庭環境が原因だ。
両親の不満のはけ口にされて、蓄積された感情を上手く消化することもできない。
かと言って両親のように、それを他の誰かにぶつけることもできない。
彼は敢えて周囲と距離を取り、いつも一人でいるようになっていた。
そんな自分に唯一声をかけてくれたのが、神崎優太だった。
優太は自分を、救ってくれた。
とにかく真志は、優太に何か言わなければと思った。何か彼の支えになるような言葉を、かけなければと。
「お前って、すごいよな。よく分かんねえけど、夢で人を救えるんだろ? まるでヒーローみたいだ」
違う。自分が優太にかけたかった言葉は、そんなことじゃない。
しかし口から滑り出てしまった言葉を、取り消せるわけもない。
優太は奇妙なものでも見るように、真志の顔を凝視している。
やがて、力を抜いて安心したように微笑んだ。
本当に、心からほっとした表情だった。
本当はあの時、他にかけるべき言葉や、言いたかった言葉があったはずだった。
しかし、すごいなと声をかけたら、優太がほっとしたように笑うものだから。
それ以上、何も言えなくなってしまった。
「『友達』……か」
あれからずっと、優太との付き合いはぎこちないものだった。友達であるはずなのに。
友達ならあの時もっと、どうにかするべきじゃなかったのだろうか。
本当に言いたかったのはあんなことではなくて、もっと他の、別の言葉だったはずなのだ。
それが分からず、自分に夢がうつったことさえ優太に告げられぬまま、真志は優太と友達であり続けてきた。
不意に、中山三月のことが頭をよぎった。
もしも彼女が自分のように優太の事情を知ったら、どうするのだろうか。
彼女なら彼の力のことを知って何を思い、彼に何と声をかけるのだろう。
そう思ったら居ても立っても居られなくなって、彼女がよく通りかかるというバス停まで足を運んでいた。
バス停の前を年配の女性が二人通りすぎていく。かなり大声のお喋りが気にならないほど、真志は緊張で思考を止めていた。
木枯らしが吹いて、寒さで体を震わせる。すると視界の端に、目的の人物の姿が映った。
中山三月だ。
「よお……」
声をかけると、彼女は軽く会釈をする。彼女も緊張しているようだった。無理もない、自分の印象は最悪だっただろうから。
強ばった体を動かし、彼はゆっくりと立ち上がる。
そして三月に向かって、一歩ずつ近づいていった。
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