第16話 自覚
「僕の事、お節介だと思った?」
まるで三月の心を見透かしたような言葉だ。驚いて勢いよく顔を上げると、優太は苦笑していた。
「やっぱりね。よく言われるんだ。『放っておいて欲しい人だっているんだから』ってさ」
放っておいて欲しい人、三月は明美のことを思い出す。
三月もその放っておいて欲しい彼女の気持ちが、分からなかった。分からなかったからこそ、余計に明美を。
「私もそれで、友達を傷つけちゃって……」
「その子も、『放っておいて欲しかった』?」
尋ねる優太の声色はとても柔らかい。
「あの子失恋して、泣いていたから私……なんとか力になりたい、早くいつもの彼女に戻って欲しいって思って。でも、私余計なことしちゃったみたいで、傷つけちゃって」
本当に情けない。しかし、泣いたら余計に呆れられてしまう。
三月は涙を耐えるため、ますます下を向いた。しかし目頭は次第に熱くなってきて、ぐっと目蓋に力を入れる。
優太はしばらく黙っていたが、やがて、そうかと静かに声を漏らす。
「悲しい時って、みんなあんまり余裕ないんだよね。とにかく自分の気持ちに精一杯で、そういう時はやっぱり『放っておいて』って思うのも分かるよ」
でも。
優太がティーカップにそっと触れる。カップとソーサーが当たって軽い音を立てた。
「確かに人の気持ちって難しいから失敗することも多いけど、それで慰めようとしてくれたその人のこと、嫌いになるってことは絶対にないよ。……中山さんはお節介な僕のこと嫌いになった?」
「そ、そんなこと、ないです!」
顔を上げて首を横に振った。ティーカップを持って、嬉しそうに微笑む優太と目が合う。
「ありがとう。うん。それってたぶん、本当は分かってるからなんだよね」
分かっている。優太は確かに自分のことを心配して、元気づけようとしてくれたから、ここに連れてきてくれたのだ。
「中山さんの友達も分かってると思う。中山さんが友達を想う気持ち、ちゃんと伝わってるよ。だから、無理して暗い顔することなんかない。後で仲直りする時、中山さんがそんな顔してたら友達が困っちゃうよ?」
優太が微笑んだのと同時に、甘い香りが香ってきた。彼が飲んでいるミルクをたっぷり入れた紅茶の香りだ。
三月は強張らせていた身体の力を、すっと抜く。
「いっそ悲しいのも、腹立たしいのも全部誰かにぶちまけて、押しつけちゃったら、少しはその人、楽になるんじゃないのかな。その友達はちゃんと中山さんに、悲しい気持ちもどうしようもない気持ちもぶつけたと思うから、きっと、すぐにまた元気になるよ」
「そう、でしょうか?」
三月の口から、温かい溜息のような吐息が零れる。それと一緒に、頬に涙が滑り落ちてきて、慌てて手の甲で拭う。
拭っても拭っても、涙は
優太は少し目を見開いたが、すぐいつものように笑って、内緒話でもするように顔を寄せてきた。
「こっち向いてれば、僕しか見えないから大丈夫。それにそろそろ、ここの店長さん出かけちゃうから」
「それじゃあ神崎君。これからお願いね」
店員の声だ。
優太が返事をすると、カラカラと鐘の音が鳴って店の扉が開いた。
彼の言った通り、出かけて行ったようだ。
どういうことかと三月が優太の顔を見つめると、彼は悪戯が成功したような顔をして言った。
「僕、ここでバイトしてるんだ。ちなみに、これから僕の
思わず涙が引っ込んだ。
三月は優太を睨みつけるように見上げて尋ねる。
「先輩。このお店に入りにくいって言うの、嘘だったんですね?」
彼はわざとらしく大声で笑い、残ったケーキを口に押し込むようにして頬張った。
何だ、その態度は。
しかし三月もそれを見て、自然に笑みを零していた。
「でも、ありがとうございました」
「どういたしまして」
優太は自分が食べ終えた皿を持って、立ち上がる。
下から見上げたその表情は少し大人っぽくて、三月の胸が不自然に高鳴った。
それを誤魔化すように、三月は大きな口を開けてケーキを頬張った。
商店街が夕日で紅く染まっていく。優太と共に店を出た三月は、大きく深呼吸をした。
肺に冷たい空気が入ってきて、息を吐くと同時にスッと抜けていく。昼間の重い気持ちが嘘のように軽くなっていた。
美味しい物を食べ、じっくりと話を聞いてもらったおかげだ。
「結局、こんな時間までつき合わせちゃったけど、良かったの?」
「いえ、私こそ。お仕事中にすっかり話しこんじゃって、すみませんでした」
優太の問いかけに、彼女は笑顔で応える。
もう大丈夫だということを示すために。
彼もその表情を見て、満足げに頷いた。
「別に良いよ。今日はお客さんも少なかったしね」
そう言った優太が突然、あっと何かに気がついたような声を上げた。
目の前を女性が横切る。
あの綺麗な人は、文化祭で見かけた女性だ。隣には友達らしき人がもう一人いて、二人は楽しげに笑い合っている。
優太が小さく呟いた。
「……良かった。元気になったみたいで」
優しげな呟きに、三月の胸が疼く。あの文化祭の時に感じた気持ちと、同じだ。
「あの。先輩あの人と知り合い、なんですか?」
スカートの裾を強く握り締め、三月は恐る恐る尋ねた。
「えっ!? いや、その……なんていうか」
困ったように頭をかき、彼は恥ずかしげに顔を歪めて苦笑した。
「実は名前も知らない人なんだけど、前に、あの人が元気なさそうにしてるの見かけたことがあって……それで気になっててさ。でも、元気になったみたいだね」
「な、名前も知らない人のことを、心配してたんですか!?」
思わず声が裏返ってしまい、三月は口を押さえた。
幸い女性たちは、何も気づかず通り過ぎて行く。
優太が乾いた笑いを漏らした。
「あはは。そう。ここまでお人よしだと笑っちゃうよね。でも、辛そうな顔をしてる人を見ると、どうしても気になっちゃうんだ。だって、笑ってる方がずっと良いよ」
彼が三月の方を向いた。
橙色の光を背にして、彼の髪の毛が透けて輝いている。光と同化するようで神々しくすらあった。初めて会ったあの日と同様に、三月は優太のことを綺麗だと感じた。
優しく包み込むような笑みで、優太は言う。
「笑ってる人を見ると、安心するんだ」
本当だ。
優太の笑顔を見ると安心する。
それになんだか、胸があたたかくなって幸せになれる。
今のように綺麗な笑みだけではなくて、情けない笑みも、苦笑した顔も、悪戯っ子のような微笑みも、全部好きだと思った。
「帰ろうか。送って行くよ」
優太が歩き出す。
そうか、三月は心の中で呟いた。
溜息がオレンジの空に溶ける。優太の背を追いながら、彼女はようやく自分の気持ちに気がついていた。
鞄の中から、聞き慣れた音が漏れている。メールの着信音だ。
携帯電話を取り出して開くと、メールの送り主に「アケミ」という文字があった。
件名にあった言葉を見て、三月の表情に笑みが広がっていく。
「神崎先輩!!」
このことを伝えたら、優太はまた笑ってくれる。
三月は手を大きく振りながら、大声で彼の名を呼んだ。
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