仮面の拳闘士③

 アメリアがやや前傾姿勢をとる。その刹那。


「ぐっ!」


 重厚な拳打が歩を襲う。


(さっきの周り込みといい、これは瞬間移動?……いや)


 目にも止まらぬ打撃の嵐を、歩は野生の勘ともいえる反応で間一髪防ぐ。


(手数と威力が格段に上がっている。これは、高速移動か!)


 防戦一方となった歩を心配そうに見つめながら、タルバが呟く。


「やっぱり、あれは速度上昇の魔法・『クイックブースト』でやす!」


 クイックブースト。術をかけた者のあらゆる速度を引き上げる補助魔法である。だが、素手による戦闘においてこの魔法は、素早くなる以上の意味を持つ。打撃の威力は、重量×速度によって算出される。つまり、速度を上昇させるこの魔法はアメリアの弱点である攻撃力の低さを補う為のものでもあった。


「あのレベルの魔法を詠唱無しで……。しかもあれを維持したまま格闘をするなんて、なんつー集中力でやすか」


 タルバが驚くのも無理はなかった。本来補助魔法というのは、戦闘に直接参加しない魔法使いが後方から味方に使用するのがつねである。それを自身にかけつつ、ハイレベルな攻防を展開する……。そんな芸当、にわかには信じられなかったのだ。さらに。


「うまく防ぐじゃないか。でも、これはどうかな?……残像拳バニシング・ブロウ!!」


 アメリアは一呼吸おくと、再び歩に襲いかかる。対して、歩も防御姿勢をとった。だが。


(打撃が……すり抜ける!?)


 アメリアの繰り出した技、残像拳バニシング・ブロウ。魔法による速度上昇に、特殊なフットワークとフェイントを加えたこの技は、相手の読みを掻い潜る不可視の連打を可能にする。

 バチバチと肉を叩く音が場内に響く。重さの乗ったその連打をまともに受けた歩はたまらず腕を振り回した。だが、アメリアはそれをヒラリとバックステップで回避する。


(インファイトは危険。となると一先ず距離が必要だ)


 アメリアの後退に合わせて、歩も大きく後ろに下がった。それに伴い、二人の間には大きな距離ができる。


(高速移動でもこの距離は一瞬じゃあ詰めれんだろ)


 そう思い、ほんの少し気を抜いた歩。だが、そんな彼の意識をタルバの叫び声が呼び戻す。


「旦那ぁー!!魔法使い相手に離れちゃ……」


 タルバが言い終わらない内に、何かをブツブツと唱えていたアメリアが手を翳す。


「ファイアボール」


 その瞬間、巨大な火の玉がアメリアの掌から射出される。そして、その火球は。


「……やっべ」


 歩に直撃した。


「だ、旦那ーー!!」


 もくもくと立ち上る黒煙を見つめながらアメリアは呟く。


「闘技場お抱えの回復術士に任せれば死にはしないはずだ」


 そして、くるりと踵を返すとレフェリーの方を向く。


「さあ、僕の勝ち名乗りを上げてくれ」


 だが、レフェリーは首を横に振る。そして立ち上る黒煙の方を指差した。


「……何!?」


 驚きの声を上げるアメリア。その視線の先には、煙と残火を掻き分けながら進みでる歩の姿があった。


「そんな、異世界人には魔法耐性なんて無いハズ」


 だが、アメリアと同時に歩もまたその状況に驚いていた。


「まさか俺にこんな才能があったなんて。こんなことなら消防士目指してりゃ……」


 そんな冗談を口にする彼の脳裏に、試合前のタルバの言葉が頭をよぎる。


『中々の逸品でやすよ、それ。魔法耐性のある繊維を使って職人が一枚一枚丁寧に……』


 タルバがくれた黒い道着。その道着が彼をアメリアの魔法攻撃から守ってくれたのだ。


「なるほどね。……ありがとよ、タルバ」


 小さく呟くと、歩はタルバの方を見た。そして、親指を立てると再びアメリアに向き直る。


「尚更負けられんな。さあ、仕切り直しと行こうぜ!」


 ジリジリと距離を詰める歩。


(魔法耐性があるとはいえ、ダメージがゼロになる訳じゃない。これ以上はあの火球は貰えん)


 対するアメリアも、気持ちを切り替えると再びファイティングポーズでステップを踏む。


(やはりあのフットワークは厄介だ。だが、どうも頭に血がのぼってたみたいだな。ようやく冷静になれた。……そもそもスピードで劣る相手にスピードで競ってもしょうがねえ。頭を使わねえとな、人間サマならよぉ)


 歩は、一足一刀の間合い程の距離までアメリアに近づくと、側頭部を両腕でガッチリとガードした。そして、体を丸めるとニヤリと笑う。


「柳金剛流・刃鎧じんがい。さあ、こいよ。色男」


 あからさまな防御態勢。その様子にアメリアは顔をしかめた。


(距離のとりかたが絶妙だ。魔法の詠唱ができる程離れてはない。かといって僕のリーチじゃあ一歩で踏み込めない)


 トントンとその場で跳ねながら、アメリアは思考をめぐらせる。


(明らかな防御姿勢。恐らく僕の打ち疲れでも狙ってるんだろう?……でも、甘いよ。そんなガード、打ち崩す方法なんていくらでもある!)


 人間には、腕が二本しかない。そしてその二本の腕で人体の急所を全て覆い隠すことは不可能である。


側頭部テンプルは腕でガードされている。ボディは体を丸めてるから狙いにくい。でも!)


 アメリアの狙いはがら空きの顎。その一点に狙いを絞ると、彼は目にも止まらぬ速さで歩の懐に潜り込んだ。

 重力を利用した伸び上がるようなアッパー。そして次の瞬間。骨の砕ける音が木霊こだまする。


「あ、あぁぁ!」


 その音の主。アメリア・ローズは自らの右拳を押さえながら悲痛な叫びを上げた。そう、砕けたのはアメリアの拳だった。


「すげえでやす、旦那!あの高速のアッパーを肘の打ち下ろしで向かえうったでやす!」


 タルバは興奮したように声をあげると、大はしゃぎで手を叩いた。

 そもそも人間の拳は殴りあいに向いてはいない。繊細な骨の集合体であるため、脆く折れやすいのだ。そんな拳が固く巨大な肘の骨と衝突すれば、粉々に砕けるのは必然と言えるだろう。


(そんな……。僕のスピードに反応した?いや、んだ。あの構えに!)


 柳金剛流・刃鎧じんがい。あえて隙を作り、不用意に手を出した相手を迎撃する攻めの守りである。元々は剣術から派生した技で、せんを狙うカウンター抜刀術を、素手の戦いに応用した技でもある。


(来る場所がわかってても五分五分だった。だが、なんとかなったみたいだな)


 ほっと胸を撫で下ろす歩。だが、目の前の闘士、アメリアの戦意は喪失していなかった。


「うあぁぁー!!」


 自慢の拳を砕かれたアメリアが咄嗟に放ったのは中段への回し蹴り。だが、手技の完成度とは程遠く、歩の肘と膝に足首を挟み砕かれる。


「くっ!」

「やめとけ。もう勝負はついただろ」


 歩の言葉には耳を貸さず、アメリアは地を這いながらもクリンチを仕掛ける。


「僕は、負ける訳にはいかないんだ!……母さんが、弟達が……」

「悪いな。俺も負けられねぇのよ」


 そういうと、歩は自らにしがみつくアメリアに向かって拳を振り上げた。


「…………ん?」


 歩は一瞬だけ、訝しげな表情を浮かべると振り上げた手を下ろす。そして、アメリアを力ずくで剥がすと、彼の首を抱え込む様に締め上げた。


「は、離せ……ぐぇっ」


 歩のフロントチョークによって、アメリアの意識は深い闇に落ちていった。

 静まり返る場内。その静寂を打ち破ったのはレフェリーの声だった。


「勝者!天道歩!!」


 この日一番の歓声が闘技場を包む。その歓声の中を、歩は拳を突き上げながら退場していったのだった。

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