10分で読める百合SFシリーズ

佐々木慧太

ココロ≒カラダ

 「ねぇ、恋ってなんだと思う?」

 今日の朝も遥の質問からはじまる。中学二年の終わりから始まって、高校に上がり三年目。もう慣れたものだ。

 「私にはよくわかんない。でも一般的には誰かを好きになるってことじゃないの?」私の返しはいつもこんな感じだ。

 「栞はさ、好きな人、いるの?」

 好き、か。思えば人を好きになるには縁遠い十七年だった。高校生にもなって、恋愛のひとつもしてこなかったとは、自分でも驚きだ。

 「言ったでしょ? 私にはよくわかんないって」遥には悪いけど、本当によくわからない。誰かを好きにならなきゃいけない法律もないし、義務もない。権利の問題だと、私は思っている。

 「栞はつまんないやつだなあ……まぁ心が広い私はそんな栞を許してあげよう」

 「それはどうも。恩に着るわ」正直、恩義もなにもないんだけど。

 ただの他愛ない会話。通学路の、よくある光景。

 「あ! 栞! 急がないと遅刻だ! あいつらが来てる!」

 あいつらとは、校外見回り用ドローンのことだ。遥は以前、帰り道に買い食いをしていたところをドローンに発見され、学校から生活指導を受けた。それ以来ドローンを事あるごとに敵視している。

 「また捕まえようたってそうはいかんぞ……! 栞! 走ろう!」

 「まだ大丈夫よ。時間はあるし、急いだところでドローンがいなくなるわけでもないし」

 「そうだけど……」

 「とりあえず行きましょう。こんなところでドローン相手に油売ってたら、それこそ遅刻して生活指導だから」

 「うっ……た、たしかに……」

 遥は、落ち着きがない。


 私たちは付属の中学からそのまま高校に進学した、いわゆるエスカレーター組だ。人口が減少してこのかた、人材育成は目下国策として至上命題になっている。教育システムにメスを入れざるを得なかったこの国は、高校までの間を義務教育として再編し、現在は大学をどういう制度にするのかを検討している。

 義務教育の延長にともない、偏差値という言葉は廃れつつあるが、いまもってなお、教育熱心な保護者は、学歴という言葉に踊らされている。

 遥の両親は、遥の気持ちよりも、自分たちの面子が大事だった――と、私は考えている――ようで、この自由奔放を形にしたような女の子を、わざわざ私立の有名女子校という鳥かごに閉じ込めた。私には遥の気持ちはわからないが、私の記憶にあるかぎり、中学のころから、遥は特に不満を口にしたことはない。

 私たちは家が近所だったこともあり、中学のころから付き合いがあった。そのころから遥は変わっていない。自由で、快活で、誰からも好かれる、優しい女の子。遥は嫌味という言葉を知らないかのようにふるまう。誰に対しても手を差し伸べ、悩みを聞き、問題解決のために全力を尽くす。そんな遥を、偽善者とか、良い子ちゃんぶってるなどという声は絶えないが、遥本人は特に気にしていない様子で、いつものように、自由に、そう、例えるならまさに鳥みたいに、あっちへ行ってはこっちへ行く。他人がそんな遥を見れば、ことさらに輝いて見えたに違いない。

 学校は、遥にとって窮屈なんじゃないだろうか。遥はなぜかいつも学年でトップの成績を誇っている。運動神経もよく、一般的な競技であれば、経験者にも引けを取らない。以前、遥に聞いてみたことがある。なにか特殊な訓練でも受けているのかと。遥は、「うーん、なんでかなぁ……見るとわかったりできちゃったりするんだよね」と言っていた。生まれ持った素質、にしては有り余りすぎている。天才とはそんなものなのかもしれない。私はそういう解釈をした。

 そんな大きすぎる才能を持った遥に、こんな鳥かごはふさわしくないと、そのころから思うようになった。


 「栞~! お昼だよ! ご飯食べに行こう!」毎度のことだが、遥はなぜか私と行動を共にしたがる。

 「遥……なんでいつも私に……」

 「だっていつも栞と一緒じゃん! 栞と一緒なの、楽しい!」

 遥は友達がいないのではない。いないわけではないが、なぜかいつも私の隣にいようとする。正直、他人の目が気になってしょうがなかった。

 「私はお弁当だから……とりあえず食堂に行こう、遥」

 「わかった!」


 食堂にはだいたい十種類程度のメニューが常時日替わりで並んでいる。食堂に入場する際、ヘルスチェッカーを通るのだが、ヘルスチェッカーがその日の体調に合わせ、メニューを絞ってくれる仕組みになっている。遥の今日のメニューは、野菜のクリームシチューとオムレツに、ライ麦パンだ。

 「ねぇ、遥。食事前に飲んでるその薬、いつも気になってるんだけど……」私はなにげなく、質問してみる。

 「あー、これね……お医者さんから毎日飲むように言われてるの」

 「遥って持病、あったっけ?」

 「うーん、お医者さんに言われただけだから、よくわからないんだ。でも私いつも元気じゃん? 病気じゃないと思う!」

 たしかに。遥は昔から熱を出したことすらない。それはそれで不自然なのだが、そういう人もいると聞いたことがある。熱を出していることに気がつかないというのが、本当のところらしいけど。

 食べ終わった遥が、すっと顔を寄せてくる。

 「ねぇ栞、今週の休み空いてる? 家に来ない?」

 「どうしたの急に……」そういえば私は、遥の家に行ったことがなかった。

 「両親が学会? の準備で家にいなくて寂しいの……」

 「なに? その顔……」

 「こういう顔したらお願い聞いてくれるかなって。栞は優しいから!」

 はぁ……と、ため息をついて、遥の頼みを断れない自分に気がつく。どうして遥の頼みは断れないんだろう。なにか理由があるのかな? あったとしたらなに? なんんだろう、この変な感情は。私の、知らない感情。

 「わかった。週末でいい?」

 「やったー! ありがとう、栞!」

 正直、こんなに喜ばれるとは思ってなかった。遥のことはずっと見てきたつもりだったけど、今日はなにか違う気がする。変、ということではない。私にもはっきりとはわからない。なんとなく、だ。そう感じる。


 週末はすぐにやってきて、その日は気持ちの良い秋晴れだった。私も遥も進学を控えているが、私の進路に関しては、両親と相談の末、このまま付属の大学へと上がることにした。遥はどうするのかまだ聞いていない。聞けなかった、というほうが正しいだろうか。遥の両親のことも知っているし、なにより遥の気持ちがどうなのか、聞く勇気がなかった。

 遥の家は私の家から五分とかからない。マンションの入り口のディスプレイにタッチして、スワイプ。遥の部屋番号を探す。あった。六〇三号室。呼び出しをタッチして、応答を待つ。遥の反応は早かった。

 「あ、栞、いらっしゃい! すぐ開けるね!」

 ガードセンサーが消えて、中に入る。きれいなエントランスだ。私の家とは大違い。たしか遥は帰国子女だったな、と思い出し、それならまぁ、こんなところに住んでいるのも納得できる。

 エレベーターは快適に私を六階まで運んでくれる。もう遥はフロアで私を待っていた。

 「栞! やっと来た! ささっ! 上がってください!」

 「あの……まだ廊下だよ?」

 遥は私の手を引き、部屋に連れて行ってくれる。強引なところは全然変わらない。これがいつもの遥だ。


 「粗茶ですが!」

 「そんなに元気に言わないよ、たぶん……」

 ハーブティーとロールケーキ。粗茶と呼ぶには豪華な並びだ。

 「ねぇ、遥。その……大学、決めた?」私は意気地がない、と自分でも思う。こんな簡単な質問でさえも、しどろもどろだ。

 「えーとね……」遥にしては歯切れが悪い。

 「どうかしたの?」

 「栞と、同じところが良いって、思ってるんだけど……もしかしたら、まだわからないんだけど、外国の大学に行く……かも」

 当たり前だ。あんなに成績が良いんだから、当然のことだ。でも、なんだろう、この気持ちは。

 「遥は成績が良いもんね。やっていけるんじゃない?」違う。私はそんなこと思ってない。

 「私、嫌なの。栞と離れるのが」

 「遥……」

 「栞、私、最近変なの。こんな気持ち知らなくて、どうしたらいいかわからなくて……」

 不意に、遥の机が目に入った。いつもの薬だ。けど、量が尋常じゃない。なんだ、あれは。

 「遥、その薬……」

 「あ……」

 遥には、隠しておきたいことがあったらしい。私は聞かないことにしていたが、いま聞いておかないと、あとで後悔する気がする。聞け。聞くんだ。そう思うたび、私の身体はこわばって、口が動かない。

 「栞、私、私ね……」

 遥がなにかを言おうとしている。止められない。身体が、動かない。

 「私の両親は、本当の親じゃないの」

 「え……」

 「私は、試験管で作られた、バイオベビーなの」

 悪い夢なら、醒めてほしかった。


 遥の言うバイオベビーとは、旧時代の試験管ベビーとはすこし違う。一度体外受精し、その後、母体に戻すのが旧時代の試験管ベビーだ。だが、遥の場合は、遺伝子調整が施された、言わば実験体だ。優秀な遺伝子を使って、優秀な子どもを作る。それも、冷たい培養液の中で、無機質な試験管の中で。どうしようもなくクズな、どうしようもなく終わっている、国家の研究だ。その被検体が遥。いま、私の目の前に座る、どこからどう見ても普通の女の子。実際には、おそらくだが、遥以外にも被検体はいるのだろう。この国のどこかで作られ、そして優秀な人材として、国外に輸出される。そんなことがあって良いはずがない。道徳というものがないのか、この国には。


 「遥……」

 私は、遥を抱きしめていた。どうしてそうしたのか、なぜそうしようと思ったのか、それはわからない。だが、そうするしか、いまの私にできることがなかった。

 「栞……苦しい……」

 「あ、ご、ごめん……」

 「ありがとう、栞……」

 遥が超人的な能力を持っていることに変わりはないが、中身はただの十七歳の女の子だ。この前の恋についてだって、当然、知りたいとか、してみたいとか、思う権利はある。

 「栞は、私のこと、嫌いにならない?」

 「うん、ならない」

 「私の身体は作りものだけど……心はきっと私のもの、だよね?」

 「そうね、そう思う」

 「えっとね、この、なんだろう、気持ち? 感情? わからないけど、こういう気持ちってなんて言うんだろうって思って」

 「私にはちょっと想像ができないんだけど……」

 「えっとね、栞以外にはこういう気持ち、ならないの。栞だけになる気持ちなの」

 「私だけ……?」

 「そうなの……」

 「特別、ってこと?」

 「うん、近いかも。特別。」

 特別、という感情は、私が遥に抱いているものにも近い気がした。

 「私の両親はね、両親っていうか、血はつながってないんだけど、本当は私のことをすごく大事にしてくれてるの。中高一貫の私立に入学させたのも、海外の大学に進学するのも、両親の研究に役立てたいからなの」

 遥が周りに優しい理由は、私たちからすれば想像もできないような、壮絶な生い立ちの上に成り立っていたのだ。

 「両親は学者さんだから、学歴なんか正直どうでも良いって言ってくれたの。やりたいようにやって良い、生きたいように生きて良いって。でもね、私はそんなふたりだから、本当の親のように思えたし、愛情も感じた。幸せなお家に引き取ってもらえたんだなって」

 「遥……」

 「私、本当はわかってる。学校でどういう風に思われてるか。嫌な子だって、思われてる。でも、栞はそういうの気にせずに、普通に接してくれた。私ね、それがすごくうれしくて、栞に甘えちゃってたんだ」

 「そんなこと……」

 その瞬間、ガクッと遥が床に倒れこんだ。

 「遥……!」

 「し……おり、そこの……青い薬、とって……」

 机に目をやり、薬を探す。あった。これか。瓶から一錠取り出して、遥に手渡す。

 「ありがと……栞……」

 「いいから、水! はい!」

 ごくりと遥は薬を飲んだが、動けない様子だったので、ベッドに寝かせる。

 「ごめんね、栞。ちょっと休むね……」

 「良いよ、気にしてない」

 「栞は優しいね……もうすこし、そばにいて……」

 言った直後、遥の寝息が聞こえる。同時に、玄関のドアが開いた。

 「遥、お友達が来てるの?」この声は聞き覚えがある。遥の、母親の声だ。遥の部屋のドアが開く。遥の母親は、私の顔を見て、状況を把握したようだ。

 「栞さんね。遥から聞いているわ。すこしお話、いいかしら?」

 私には、断る理由がなかった。


 「ごめんなさいね、あの子、神経が昂ると身体が過集中を抑えるために筋弛緩を起こすの。びっくりしたでしょう? いつも飲んでいる薬、あれも遺伝子調整による身体や脳の誤作動を防ぐためのものなの」

 「たしかに驚きましたが、遥の生い立ちを考えれば、なにが身体に起きても不思議はありません。いまこうして生きていることが奇跡だと思います」

 「遥は、身体と精神がうまく統合していないの。まだすこし子どもみたいなときもあれば、すごく大人じみて見えることもある。身体はもう成熟期を終えつつあるとはいえ、心身の不一致には、本人が一番悩んでいたわ」

 「でも、私たちはまだ子どもです。遥は、特殊かもしれませんが」

 「そうね……あの子はモデルケースとして優秀すぎたから……」

 ごめんなさいね、と前置きをして、遥の母親は話を続ける。謝罪の意味は、おそらく研究者としての発言が不適切だと判断したからだろう。

 「栞さんの話は、遥がよくしてくれたわ。とても仲が良い友達がいるって、いつも楽しそうに話してくれた。あの子ね、小学校のときは不登校だったのよ。理由は、栞さんの思っている通りだと思うわ。だから、中学に上がって、すこしずつ学校に行くようになってくれて、栞さんには感謝しているの。ありがとう」

 「いえ、私は……」

 言いかけているあいだに、遥が起きてきた。

 「遥、具合はどう?」

 「大丈夫だよ、お母さん。ごめんね、また倒れちゃった」

 また、ということは、過去に何度もあったのだろう。ふたりの会話に入り込む隙は、見つけられなかった。

 「栞、びっくりさせてごめんね……」

 「私は大丈夫だから」

 遥の表情はすこし、陰っている。

 「お母さん、栞に変なこと言ってないよね……? 昔のこととか、恥ずかしいからやめてね」

 「遥は、栞さんのことが好きなのね」

 「え……」

 唐突な言葉に、私も驚いてしまう。それに、私たちは女性同士だ。

 「す……好き? えっと……よくわからない」

 「良いのよ、人を好きになるのに、性別がどうとか、そういうのはこの時代にふさわしくないわ」

 遥の顔は、真っ赤になっている。

 「遥、あなたはたしかに貴重な存在よ。私たちにとっても、国にとっても。だけど、それがあなたの人生や権利を侵害するものであってはならないわ。戸籍上、私とあの人はあなたの保護者だけれど、あなたの生き方はあなたが決めて良いのよ? あなたがどうしたいか、教えて?」

 遥の気持ち。それは私も聞きたかった。

 「私は……栞と一緒にいたい。大学も、それから先も、ずっと栞と一緒にいたい。これが好きって気持ちなのかはわかんないけど……栞と一緒だと楽しいし、栞は私の特別なの」

 「遥……」

 「わかったわ。あの人にも言っておくわね。留学の話は取り消しにしましょう。なるべく行きたい大学に進学できるように私たちで研究所に説得してみるわ」

 「お母さん……」

 「良いのよ。私たちは親なんだから、自分たちの子どものことは当然気にかけるわ。それに、栞さんもいれば安心だしね。私たち、家を空けることが多いから、ね?」

 「栞は、それでも良い……?」

 「そうね、あとは栞さんの気持ち次第ね」

 遥と一緒に、これからも、生きていく。嫌じゃない。でも、自分でもまだよくわからない。この気持ちはなんなんだろう。

 「嫌じゃ、ないです。でも、遥に対するこの気持ちは、一緒に過ごしてみないと……わかりません。だから、一緒にいます」

 「ふたりとも、初々しいわね。困ったことがあったらなんでも相談して。私でよければ力になるわ」



 遥は私を送ってくれると言って、家までついてくるらしい。寝ていなさいと言ったのだが、遥はどうしても言うことを聞かなかった。結局、私が折れて、遥の家から私の家に一緒に帰るという変な構図になっている。

 「私、栞のことが好きだったんだね。好きってこういう気持ちなんだなぁ」

 「遥は、私で良いの?」

 「うん、栞が良い」

 「私、まだ気持ちがよくわからなくて……ごめん」

 不意に、遥の唇が、私の唇に触れる。

 「私の気持ちって、こういうことがしたいって気持ち……」

 「こ、これは、たしかに……特別、だね」

 「栞あわててる! かわいい!」

 「ちょっと遥!」遥が抱きついてくる。

 「これからも、よろしくね……栞」

 なるほど、こういうことかと、いまは解釈しておこう。これから遥とはずっと一緒にいるんだ。ゆっくり気持ちを確認すれば良い。遥の苦しさも、すこしだけ背負ってあげられるかもしれない。なにより、遥の家族は良い人たちだった。私は自分の想像力のなさを、反省している。遥のためになることだったら、なんでもしよう。そう思えた。

 「遥は、いまどんな気持ち?」

 「うーん、そうだなぁ……」

 遥は、夕暮れの向こうを見て、消え入りそうな声で、私だけに聞こえるように、その言葉をつぶやいた。

 私は、その横顔を見て、笑った。

 


 

 

 

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