国連暗殺機関  暗殺者の呼吸法

品川 治

第1話 序章

 ニューヨーク、国連本部内の執務室。

 第三代国連事務総長ウ・タントは、チーク材の重厚なデスクに置かれた書類を確認していた。

 書類から目を上げると眼鏡をかけ、慣れ親しんだ執務室内の様子をじっくりと見渡す。十年に及ぶ任期が終わろうとしていた。

 タントはしばし回想に耽る。

 キューバ危機を回避し、コンゴ動乱を解決し、キプロスには国連平和維持軍を送り込んだ。

 その実績に対して、タントは世界から剛腕の国連事務総長と言う評価を与えられている。勿論、それは名誉なことだ。

 しかし、国連はタントの思い描いていた理想とは程遠い状態のままだった。

 安保理事会では、常任理事国が関与する紛争については絶えず拒否権が発動され、紛争解決に必要な決議が纏まらない。強制力を持たない国連は、核を持つ常任理事国に対して制裁決議を行うことは出来なかった。

 タントは国連の理想に共鳴する平和主義者だったが、平和を実現し維持していくためには軍事力が必要であることも理解していた。常設の国連軍を整備する構想も持っていたが、米ソの核大国に対抗出来る強大な軍事力を整備することなど実現不可能だった。

 任期の一年目に勃発したキューバ危機には背筋が凍る思いだった。

 一歩間違えれば世界を巻き込んだ核戦争になり兼ねない状況で、対立をエスカレーションさせていく米ソの指導者を抑え込める第三者は存在していなかった。

 最終的には、ケネディとフルシチョフ双方の譲歩によって危機は回避されたが、米ソ両国の指導者が理性的でなかったら、国内のタカ派を抑えることが出来ていなかったなら、果たして危機は回避出来ただろうか?

 人類が核兵器を保有したことで核抑止戦略が生まれたが、それは核攻撃を受けて降伏するくらいなら、世界中を焦土にしてでも核兵器の報復使用を行うという覚悟が前提となっている。

 いや、その覚悟は狂気と言い換えた方が良いだろう。世界は狂気の上で危ういバランスを取っているだけの状態なのだ。その根本的な解決策は核廃絶しか無い。

 しかし、一度核兵器を手にした国家がそれを手放すことがあるだろうか? そして、核保有国の指導者が自暴自棄の狂気に染まってしまったとしたら? 

 タントは残された問題の重さに溜息をついた。

 その問題の解決は次の世代に託すしかない。今、タントに出来ることは小さな種を蒔くことだけだった。

 しばしの回想から戻ると、タントはペンを取り上げ、デスクに置かれた書類にサインした。

 その書類は、国連事務総長の権限の下に、新たな秘密組織を設立する文書だった。国連は常設国連軍のような大剣を持つことは出来ない。だが、鋭く尖った毒針ならば、、、

 その組織とは、国連が核保有国の横暴に対して強制力を持つための手段だ。すなわち、核の発射ボタンに手を掛けた国家指導者を暗殺するための組織=国連暗殺機関である。

 この極秘裏に設立された組織については、現在でも一部の限られた関係者にしか知られていない。

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