最悪の再会

 エレノアは店の並ぶ大通りを歩いていた。果物屋の男が大きな声で客を集める。魅了される香りがする方にはお香が並ぶ店があった。他にもたくさんの店が並び、エレノアは心が浮かれた。こんなにも活気づいた所を歩いたのは初めてだった。

 エレノアはルゼや精霊たちのお土産としていくつかの物を買っていた。いつの間にか手には紙袋でいっぱいになる。どうせ踊る気はなかったので困りはしないが視界が遮られてしまうのが気になっていた。


 そんなとき。エレノアはある店の前で立ち止まった。古い本屋さんのような店だ。看板はなく、木製のドアは他の店とは違って入りにくさを感じさせる。しかし、エレノアはその店が気になって仕方がなかった。


「……お邪魔しますわ」


 エレノアは恐る恐るドアを開けながら尋ねる。埃臭い匂いが鼻を抜け、思わず咳き込んでしまった。


「どなたかね」


 老人の声が聞こえ、目を擦りながらエレノアはその声のした方を見る。そこには、仙人のような髭を生やした男の老人がいた。髪の毛は残念ながらない。その髭の毛が頭にいったら良かったなんて失礼なことを考えてしまう自分が恥ずかしくなる。


「ノアと申しますわ。このお店が気になって入ったのだけれど、ここは何を売ってらっしゃるの?」

「こんな若いお嬢さんが来てくれるとな。ここは貸本屋だよ。だがワシももう歳でね。古い本しかなく、最近はぱったり客が来なくなってしまった」


 その話を聞いたエレノアは周りをぐるっと見渡してみた。

 天井まである本棚には本がびっしりと敷き詰められている。小さな店だが、奥までずらりと隙間が見当たらないほど本棚がある。カウンターの左隣には螺旋階段があって、高くて取れない位置にある本が取れるようになっている。物語の中にでもありそうな店だとエレノアは堪らずウキウキしてきた。


「どんな本があるか見てもよろしくて?」

「もちろん。どんな本がお好みかな。最新のものはなくてもジャンルはある程度揃っておるぞ」


 店主は気前よくエレノアにたくさんの本を紹介してくれた。物語や神話。宗教だったり政治だったり歴史だったり学問書だったり。初めて見るものばかりで、エレノアはすっかり空が暗くなっていることに気づかなかった。


「……おや、もうこんな時間か。お嬢さん、そのリボンをつけているということは‎‪成人パーティーに行くのかい。きっともう始まってしまっておる。荷物はここに置いておくといい。ワシも城まで着いていってやろう」


 店主は温かく微笑み、その年老いた体からは想像できない力でエレノアを外に出す。しかし、エレノアはそこで立ち止まり店主の方を向く。エレノアは、パーティーに行く気はなかったのだ。もうここで帰ろうと思っている。


「あ、あの、お爺さん。家の門限が厳しいのですわ。もう帰らないと。パーティーには出ないと言ってしまいましたし」

「何を言っておるんじゃ。子供は親に歯向かってなんぼだ。おっほっほ」


 そう笑いながら店主はドアを閉めて大通りを歩き出す。エレノアはその店主を追いかけて何とかして帰ろうとする。


「み、店は? 戸締りなどしなくて良いのですか?」

「あんな店誰も入らんわい! 心配しなくて良いぞ。今日がお嬢さんにとって最高の日となるように、パーティーには行って欲しい。ワシも、若い頃そんなものがあったのなら行ってみたかったと思っておるのだから」


 店主は悲しげに目を伏せて言う。

 ヴィエータにはそもそも国をあげて成人を祝う日なんてなかった。成人になれば無条件に重い税金を支払わねばならない。そのような地獄が待ち受けているため、成人が来るのを人は大いに恐れていた。そんな過去を踏まえると、今の時代は平民にとってとても生きやすいものになったのではないかとエレノアは思った。なんだか、少し複雑な気持ちだ。


「……ありがとう。少しだけ、出てみるわ」


 エレノアがそう言うと、店主は嬉しそうに微笑んだ。良い人に出会えて良かったとエレノアは思う。あっという間に城の前に着き、エレノアは店主と別れた。

 店主もいなくなった今、誰も止める者はいない。ここで帰ってしまっても良かった。荷物なんて置いて、このままあそこに。

 それでも、エレノアは気づいたらシェレビアの城の階段を上っていた。子供の頃押し殺していた好奇心が、今になって溢れだしてしまっているのだ。


 城の扉を開け、そこに立っていた兵士にリボンを見せる。その兵士にパーティー会場まで案内してもらった。

 兵士が扉を開けようとしたとき、エレノアはぐっと息を呑んだ。どうか自分の正体がバレませんようにと。


 パーティー会場はとても広かった。扉を開けてすぐに螺旋階段があり、そこを下りると大勢の人がいた。豪華な食事が向こうの方にたくさんある。そこにいる人は皆、異性や同性同士で楽しく話している。恐らく学友などの関係なのだろう。エレノアは数人の注目を浴びたまま、柱に寄りかかった。そのエレノアの目に映る景色は、あまりにも眩しかった。


「皆の者、よく集まってくれた。これより成人パーティーを始めよう。そして、今年は我が息子アーサの成人の年でもある。この輝かしい一年に祝福を!」


 今まで騒がしかった会場が途端に静かになり、二階の階段と反対方向にあるバルコニーのような所からカイデルが話し始めた。

 鍛えられた体で、堂々と話すカイデル。エレノアは彼を見て、自分の父を殺した張本人だと思うと腸が煮えくり返りそうだったが、深呼吸を繰り返して何とか落ち着いた。睨んでるつもりは一切なかったが、カイデルを見つめるエレノアの瞳は何よりも恐ろしかったと周りにいた者は言う。


 カイデルの話が終わり、拍手が会場いっぱいに響くとバルコニーの向こうの方からアーサが歩いてきた。

 エレノアはアーサを今度は意志を持って強く睨む。昔の出来事があまりにも憎たらしかったからだ。

 そのとき、エレノアはアーサと目が合ってしまった。エレノアはすぐに目を逸らす。その目があまりにもエレノアの心に突き刺すようで。冷や汗がエレノアの背中を伝う。アーサはすぐに人当たりの良い笑顔を作ると、会場の女性から黄色い声があがった。


「今夜は素敵な夜にしよう。君たちと素敵な思い出が作れるように」


 アーサはカイデルの隣に用意された椅子に腰掛ける。そこからしばらくの沈黙が流れた。カイデルは焦ったように、従者と話をしている。エレノアはその様子に首を傾げた。


「……ゼオンはまたいないのか。あの出来損ないが」


 ぼそっと呟いたカイデルの言葉だが、それははっきりとエレノアに耳に届いた。ゼオンという名前はどこかで聞いたことがあったからだ。どこで、誰が言っていたのかよく思い出せなかったが。


「皆さん、ごたついて申し訳ないですな。さあ、パーティーを始めよう。楽しんで!」


 そのカイデルの声に会場は再び騒ぎ出した。エレノアは友達もいないため、食事の置いてあるスペースに移動する。扉はないが、別室のような空間には机四つほどが並び、その上に料理があった。案の定、ここには誰も来ていなかった。

 そこにはエレノアの見たことのない料理などがずらりと並んでいる。エレノアは他にすることがないので、お皿に食べたい物を乗っけて食べていた。森ではこんな豪華な食事が食べれないため、二度とないチャンスだと思い、たくさん食べたのだ。


「花が食事に夢中になっているなんて。美味しいでしょう? 今日のためにシェフが懸命に作ってくれましたので」


 サーモンのカルパッチョを頬張っていたエレノアに声をかけたのはアーサだった。アーサは至近距離で微笑みながら尋ねた。

 エレノアはアーサが知らぬ間にここにいたことを驚いたが、すぐに口にある物を飲み込んで口を拭いた。そして、アーサと同じように完璧な作り笑いを向ける。


「ええ。とても美味しくて、ついついたくさん食べてしまいましたの。お腹も満たされたことですし、私はそろそろお暇させて頂きますわね。楽しい時間でしたわ。それでは、王子もどうぞ素敵な時間をお過ごしくださいまし」


 エレノアはドレスを軽く持ち上げてお辞儀をする。そしてなるべく足早に立ち去ろうとした。が、その手をアーサに掴まれ、強い力でアーサの腕の中に閉じ込められてしまう。エレノアは離れようと必死に押す。しかし、鍛えられたアーサの体はビクともせず、腕の中から逃れることはできなかった。

 食事スペースには誰もいない。助けを呼んでも、誰も来てくれない。そもそも友達が一人もいないエレノアが助けを呼んで誰か助けてくれるのだろうか。エレノアはそう思っていた。


「そう、良い子。何も抵抗しない方が君のためだよ」


 耳元でそう囁かれ、エレノアは頭が真っ白になる。ゾクリと体が震えた。


「君はまさかあの日、僕の記憶が消えたと、そんなこと思っていないよね。竜の魔法だから少し頭は痛かった。使えない兵士は記憶がさっぱり消えてたけど仕方ないし、それはどうでも良い」


 アーサがそう言った後に、更に腕に力を入れて強くエレノアを抱きしめる。エレノアは苦しそうな声を漏らした。エレノアのその目に涙が浮かぶ。視線だけアーサの方を向くと、アーサは嬉しそうに微笑んでいた。しかし、その笑みからなぜだか恐怖を感じる。


「やっと来てくれた。僕の、僕だけのヴィエータのお姫様」

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