噂と事実

 城の目の前にある、女子がよく集まるカフェでキュレーはエレノアを待っていた。


 キュレーはエレノアに簡単な自己紹介をする。キュレーは、首都に近い地域一帯を治める男爵家の当主の妻という立場。茶色の天然パーマの髪はボブ。優しい桃色の瞳とは打って変わって、細いつり目で冷たい印象を持たせる。男爵夫人には見えないほどの高かったであろうドレスやアクセサリーを身につけていた。


 エレノアもまたキュレーに偽りの自己紹介をして二人の挨拶が終わるとキュレーは店員にスコーンを二つと紅茶を頼んだ。


「城から出てきたとき、えらく怒っていたね。全く可愛い顔が台無しじゃないか」


 キュレーはスコーンを一口含んだまま笑って言う。エレノアはその言葉に苦笑いを浮かべた。


「少し、変な人に会っただけですわ」

「兵士は基本的に軽い男ばかりだからね。そんな男でお嬢ちゃんがそんな気持ちになる必要はないさ」


 キュレーの言葉に、エレノアは心の中でため息を吐いた。

 キュレーは紅茶を飲む前にスコーンを食べ終えてしまうと、真剣な顔つきに変わった。エレノアはキュレーのその細い目では睨まれているように感じて、少し身震いした。


「思い出したくもないし話したくもないほど、最悪な王族だった」


 キュレーなヴィエータの歴史を細かに、それでいて分かりやすく伝えてくれた。エレノアは話を聞く度にその目を大きく開いていく。なぜなら、自分が教育として教えられていた過去とは全く違っていたから。

 どちらが正しいなんて根拠もない。そんなこと当事者しか知らないからだ。ただし、エレノアは父親の姿を見ていたというのもあって、キュレーの話す残酷極まりない政治にただただ絶句していた。

 例えば、エレノアは幼い頃にヴィエータは高貴な血の家、神に認められた存在だと教わっていた。しかし、キュレー夫人が言うにはヴィエータは家を持たぬ放浪人だったそう。

 今よりもずっと昔の時代。かつて普通の人間とは違うと迫害を受け街を追い出され、行くあてもないまま放浪するようになった人のことを放浪人と呼ぶようになったのだそう。


 そんな、エレノアの知っていた知識とは完全に矛盾したものばかりがキュレーの口から溢れ出てきたのだ。


「ああ、そうだ。姫の話をしていなかったね。姫は本当に美しかったのだそうだよ。中も外も、ヴィエータに産まれたのが惜しいくらいに。あの血も涙もないヴィエータの王が溺愛したなんて噂も立ったくらいだ。だが、その噂は噂でしかなかった。なぜなら、王アルゼルは自分が殺される前、つまり自分が城下街を焼き払う前に姫を殺したんだよ」


 エレノアはその話に一番驚く。黙ったまま口を手で覆った。その反応を見たキュレーは、エレノアのその行動を勘違いして受け取り何度も頷いた。


「そうだろう。酷いと思うだろう。しかし、これも事実だ。シェレビアが建国した後に一度だけ、大掛かりな城の捜索をしたが、城にはもう誰もいなかったらしい。もし、本当に優しい子であったのなら私が引き取って育ててやったのに」


 キュレーは少し目を伏せて、笑みを零した。


「その、姫を殺したというのは誰が仰ったのですか?」

「アルゼル本人さ。あの男はね、この広場で公開処刑されたんだ。そう。ちょうどこの目の前だったよ。そこで言ったのさ。陛下がこう聞いたんだ。姫はどこにいるのかと。そのときにそこの城の牢屋には王妃や従者を入れてたんだけど、姫だけいなくてね。その答えに、そいつは自分が既に生き埋めにして殺したと言った。震撼したよ。その顔は狂気に満ちていたのだから。本当に、言った通り姫はどこにもいなかった。仕方なく捜索は打ち切りになったね。その後も貴族や平民なんかが城なんかを見たが、何もなかったと言うし」


 エレノアは息を呑んだ。だからあの日自分をあんな所に七日も閉じ込めたのだと、エレノアは今更になってようやく気づけたのだから。七日と言ったのは、完全に人々にエレノアが死んだと信じさせるためだったのだ。エレノアが、生き延びることができるように。アルゼルなりに、必死に考えた結果だったのだろう。


 今から十三年前のお昼時だった。アルゼルが街を火の海にする前にエレノアを執務室に呼んだ。

 エレノアは父が大好きだった。母ももちろん好きだったが、普段冷たいアルゼルが自分にだけ甘いことを知ってからその特別さに心を躍らせ、父の笑顔が唯一見れることに幸せを感じていた。アルゼルはエレノアを見ると、その厳格な顔が一気に綻ぶ父だった。が、その日はエレノアが部屋に入ってもその真剣な顔を壊さなかった。


「良いか、賢い我がエレノア。俺の光よ、こんな親ですまなかったな。こんな王で、すまない。お前が生きにくい世にしてしまった。これから俺たちは出かけてくるが、帰ってはこれない。お前を独りにしてしまう。だから、これでお別れだエレノア」


 アルゼルの淡々とした言葉をエレノアが理解することはできなかった。だが、それが良くないことだと察したのだ。エレノアは目にいっぱいの涙を浮かべて赤子のように泣き出した。

 アルゼルはそんなエレノアの元により、小さなエレノアと背丈を合わせるために膝立ちになって腕の中にエレノアを閉じ込め、頭を優しく叩く。

 エレノアはしゃっくりをしながら必死にアルゼルの服を強く掴む。泣き声をあげながらアルゼルに行って欲しくないと伝えるも、アルゼルの心が揺らぐことはなかった。なぜならエレノアのために死にに行くことを決めたのだから。しかし、幼い娘にはそんなことを言えるはずもなくアルゼルは自分の服を掴むエレノアの手をそっと離して立ち上がった。


「さあ、お前にも引越しをしてもらおうか。今からお前が行く所は小さな部屋だ。七日だ。太陽が七回沈んだ次の日に、この鍵を使って出ること。決して、森から出てはならない。分かったら早くここから出ていけ」


 アルゼルは冷たく突き放したようにエレノアに言うと、城に残る数少ない執事を呼んだ。執事はエレノアを抱き、暴れるエレノアを押さえながら城の外に出る。エレノアはそれから土の中にある、一部屋しかない小屋のような場所に軟禁状態になった。鍵は内側にあった。外にはない。

 幼いエレノアには、なぜお出かけなのに帰ってこないのか。なぜ城から出てこなければいけないのか。なぜ七日も外に出てはいけないのか。そもそもなぜ土の中にこんな部屋があるのか。

 ただ独りになってしまったことが、五歳の少女には堪らず恐ろしく、しばらくは大人しく泣いていた。いつか父の言葉が嘘で、迎えに来てくれると。これはサプライズだと信じて疑わずに。


 それが本当のことであったと知ったのはそれから七日後に外に出たとき。行った城は荒れていた。エントランスにあった大きなシャンデリアは落ちて、ガラスの破片もあちらこちらに飛び散っている。そんな中で見つけた何枚かの新聞紙。そこにヴィエータの滅亡と新たな王国の建国が報道されていた。それでエレノアはシェレビアを理解した。

 度々城に森に人が入り込むことはあった。その度にエレノアは地下の隠れ部屋で身を潜める。そんな生活を二年ほど続け、ある日ぱたりと人が来なくなった。

 そして、エレノアはアルゼルの言葉を忘れることなく小高い山の上の城で、森からも出ることなく暮らしていたのだ。


 エレノアはキュレーのこの話が複雑ながらも嬉しかった。最後の最後まで、アルゼルがエレノアのことを考えてくれていた事実が、誰もが知らない事実が何より嬉しかったのだ。例えそれが全く別物の噂として広まっているのなら、それがアルゼルの望んだことだろう。エレノアはそう感じて一口スコーンを食べる。砂糖を抑えたスコーンからはなぜだか甘味を感じられ、心做しか温かかった。


「キュレー夫人、話してくれてどうもありがとう。心の靄が晴れた気がするわ」

「お嬢ちゃんは若いのに偉いね。そういえばさっき名前を教えてもらっていない気がするわ。そっちが良ければだけれど、教えてもらってもいいかい?」


 そのキュレーの言葉にエレノアは一瞬迷いが走った。先程言わなかったのは、最後まで悩んだ結果言うのを躊躇ったからだったからだった。本名を言うべきか。それとも。


「ノア。私の名前はノアよ。今日はありがとう」

「良い名前だわ。こちらこそありがとう。また縁があったら会いましょう」


 そうしてエレノアとキュレーは別れた。

 また会う。例えもう二度と会うことが叶わなくても、その言葉の響きがエレノアは好きだった。

 また、と言えるのは良いことだと。

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