004 星雨姫の絶望


 なんだ、今のは――刀姫の中でも最上の刀に位置する最上級二十四刀の一刀である星雨姫は、逃げていった龍頭雅人の後ろ姿を見上げることしかできない。

 隣には腕からドクドクと血を流し、傷口を必死で抑えている龍頭瑠人がいるが――恐ろしくてそちらを見ることはできなかった。


 ――なぜ、己は今まであんな強力な使い手を無視していたのだろうか。


「ああああ、痛いッ! 痛いぃぃッ!! う、腕ぇ! 俺の腕ぇ!!」

 無様な声。恐ろしいほどの醜態。剣聖たるものが霊力による防御もできずに利き腕を切り落とされた、など。ありえてはならない。

「瑠人様、霊力で傷口を押さえれば、止血はできるはずです」

 あれではまるで、と呟いた星雨姫は夜空を見上げたまま、背後の呻きに冷たく言葉を返した。

 それでも胸中ではぐるぐると疑念が回っている。

 雅人あれは、雅人あれは――。

「そ、そんなことできるか! こんなでかい傷口を塞ぐなんてしたことないんだぞ!! 早く兵を呼べ! 術医もだ!! あのグズに切り落とされた腕を、繋がなければッ!! いや、あいつを追いかけて殺さねばッ!!」

 ひぃひぃ、と悲鳴を上げる主を見て、星雨姫は自分が酷く間違ったことを長年続けてきたのではと思い始めていた。

 あの一刀だ。

 全てを切り裂くような龍牙りゅうがによる一閃。それが熱病のように星雨姫を覆っていた陰鬱とした陰気を祓っていた。


 ――今まで私は何をしていたのだろうか。


 魂鎮めの剣聖たる者の刀姫ならば、性と淫に耽り堕落するのではなく、主を導き、己を昇華せねばならないというのに。

 そう、そうだ。昇華・・

 刀姫は、魂結びの儀を行って結ばれた主人より、霊力と精を注がれ、また悪霊や妖怪などの魔性を殺し、徳を積むことで己の存在を昇華させることができる。

 主人と契を結ぶことも、鬼を殺すことも、刀姫の頂点たる、神刀の位階を持つ神姫へと成るために必要な行為だ。

 刀姫は己の存在を高みへと自ら導かなければならない。昇華しなければならない。

(だけれど、あれは)

 あの一瞬を思い出す。雅人によって、一秒にも満たない間に振るわれた鉄姫の姿を思い出す。

 あまりの速度に一瞬しか見れなかった。だが、最上級の刀でもある星雨姫にとってはそれで十分だったし、そもそもがあの輝きは、雅人が去ったあとも目に焼き付いて離れない。

鉄姫あれは、鉄刀なんて格じゃなかった)

 刀姫にとっては刀の格など、視ればわかるものだ。

 加えて、暗殺刀や忍者刀として作られた、最初から隠匿に特化した刀姫ならともかく、あんな素直・・な刀の格を見間違うはずがない。

 鉄姫――正式名称を龍頭領芦原村鍛冶三十七代鉄姫。

 龍頭領の葦原村で生まれた三十七代目の鉄刀の姫。

 鉄姫という名前の最下級刀姫などいくらでもいるので区別の為に名付けられた正式な名。

 自分の代わりに龍頭家の出来損ないと呼ばれた龍頭雅人の佩刀となるべく、農村の鍛冶屋で生まれた刀姫が選ばれたと聞いたときに、馬鹿にしてやろうと、ひと目だけ見た覚えがある。鉄刀ごとき大龍穴から生まれる大鬼の一撃を叩き込まれて、どうせすぐ折られて死ぬのだろう、とも。

 そうだ。あの場は死地だった。極限の死地。

 小鬼しか出ていないなどという報告を役人は中央にしているが、その実は違う。どうしてか瑠人が行った結界強化の術はこの八年間全く効果を現さず、年々大龍穴より現れる鬼どもは強力となり、ここ数年は固有の能力すら持つ大業鬼すら現れている。

 それは、ちゃんと調べている。死人が出て、本当のことがバレて、雅人が活躍してると他家に知れ渡っても困るからだ。

 それに大龍穴周辺では儀式や、大龍穴周辺に生える薬効の高い薬草、鉱石などの採集も龍頭家の収入となるから、それらに関わる人々の安全のために安全確認ぐらいは―実際の安全を確保していたのは雅人だが―行ってきた。

 そこで行われた、雅人が行った戦いの痕跡もわかっていた。


 ――それを本当に知らないのは、龍頭家以外の人々だ。


 だが、どうしてそんな、毎週のように焔桜島全滅の危機が訪れているのにも関わらず、自分たちはその全てを無視していたのだろう。


 ――だが雅人はその危機を全て殺しきっていた。


 共も補助もつかず、ただ一人で、大龍穴より現れる百鬼夜行を一人で殺しきっていた。


 ――なぜ、疑問に思わなかったのか。


 性と淫で脳を焼かれていたとはいえ、なぜ鉄刀ごときが大業鬼やそれ以上の鬼を殺していた報告を素直に受け止めていたのか。

 いや、なぜあの役人も、あんなわけのわからない報告を、中央に上げずに、龍頭家の言いなりになっていたのか。

 わからない。自分がわからない。わからないが、わかったこともある。

 あれは、あの鉄刀、鉄姫は、もう最下級の鉄刀じゃない。

 あの格、あの刀身の鉄の色、うちに秘めている霊力規模。

 神姫・・だ。最上級二十四刀である星雨姫ですら至れない神刀へとわずか八年で鉄刀ごときが昇格していた。

 それもそうだ。八年も鬼どもを、百鬼夜行とも言える鬼の軍団を殺し続け、ただびとが使えば即座に霊力が枯渇するような大刻印図を複数肉体に刻んだ化け物・・・の霊力と精力を受け止め続けていた鉄の姫は、誰に教わることもなく、否、自ら自覚することなく神姫の位へと至っていた。

 羨ましい憎らしい妬ましい恐ろしい悔しい辛い辛い辛い辛い悔しいなんでなんでどうして。

 私が無駄に凡人・・に奉仕し、凡人の精を啜っていた八年間で、ただの農村の鉄刀が神刀へと昇格するなど。

 最後に鬼の相手をしたのはいつ? 瑠人と契約してからは小鬼一匹すら殺していない。

(そうじゃない……そうじゃないのよ星雨姫わたし

 一瞬で消えてしまった存在を思い出す。たったの二秒で、視界から外れて空の彼方へとすっ飛んでいった男を思い出す。

 龍頭雅人。一瞬でわからなかったが、刀姫の霊力視で厚着の防人服を貫通して見た彼の素肌を思い出す。二秒の合間に見えた大刻印図は全身に複数・・

 文様を組み合わせて刻む刻印じゃない。歴史を絵図にして、綿密な計算のもとに図案を作り出して肉体に刻む大刻印図・・・・だ。あんなもの戦闘に使うものじゃない。

 ただ一枚を、徳の高い高僧が長年の瞑想の果てに生み出し、修業の為に自らに刻むものだ。

 だから、おかしい・・・・。あんな枚数をただびとが肉体に刻めば、常時消費される霊力の負担はとんでもないものになる。一瞬で霊力が枯渇し、生きることすらできなくなる。


 ――だけど、私は知っている。知っているはずだ。それができる存在を。


 かつて、それの佩刀であったこともある。

 こうして星雨姫が夜想国を代表する名家たる龍頭家の筆頭刀姫にして、刀姫の格でも頂点の一つ下である最上級二十四刀に至れたのは、その御蔭なのだから。

(そう、雅人、様は、それ・・でしかない)

 大業鬼を含む百鬼夜行を何十度と討伐し、ただの鉄刀をたった八年で神姫の格に引き上げ、鬼斬流の奥義を自ら紐解いて継承し、大刻印図を作り上げるほどの術式の才を持ち、無尽の霊力と気力を持つ存在をなんというのか。

「まさか、雅人様が、魂鎮めの剣聖・・・・・・

 未だ、剣士の初歩の初歩の技能である霊力による止血すらできずに青い顔で地面に転がる瑠人を見下ろす星雨姫。

 思い至る――できないのは当然だ。

 それもそうだ。瑠人が雅人よりも優れていた時期があった。だがそれは剣技の初歩も初歩の頃で、雅人は剣技や術式以外にも、礼法作法歴史詩歌と当主候補として様々な教育を受けていた。

 もちろんそれらの教育は、自分より様々な面で上をいかれると困ると瑠人が大防人頭に任命するように父に強請ることで、徐々に数を減らし、最終的に全てやめさせたが。

 そうだ。優れていたのは本当に一瞬でしかなかった。

 剣聖であるからと、結界強化の儀式の手順を学ぶ以外は気楽に過ごしていた瑠人は雅人を公然と殴れるからと、剣技やら術式やらの楽しい部分である表面だけを徹底的に学んで、忙しい雅人の上を一時的に・・・・だけいった。

 雅人をいびって、殴って、勝って、土をつけて、そして雅人に上回れなくなると気づいた瞬間に瑠人は訓練をやめた。

 ゆえに、瑠人は霊力操作ができない。

 剣士の初歩である霊力操作は、見習い剣士の最終課題だから。そこまで訓練していない瑠人には、霊力操作ができない。

 そもそも瑠人は、ここ数年に至っては、女たちと淫猥な宴を繰り返し続けて、結界強化の儀式すらまともに覚えていない。

 そう、この人は、見習い剣士も卒業していない、ゴミクズ。

瑠人これは、凡人・・だ。いやそれどころか)


 ――こちらが、出来損ない・・・・・なのでは?


 星雨姫は絶望の気持ちで、死体のように顔を青褪めさせる瑠人を見下ろしている。

 正気に戻った目で視れば、その体内の霊力量は、常人のちょっと上程度のものだ。

 幼い頃ならともかく、ここまで身体が育ってしまえばもはや成長は期待できまい。龍頭家の人間としては、ほぼ失格の霊力量。

 これでは刀となった星雨姫の権能を使うどころか、握ることもできないだろう。

 星雨姫は、呻く。

 だが――まさか、まさか、そんな、有りえてはならない。

 振り返る。夜空の彼方に飛んでいった雅人は戻ってこない。

 当たり前だ。公式に魂鎮めの剣聖とされる瑠人を斬ったならば、罪人だ。もはやここに戻ってくることはできない。


 ――戻る理由も、ない・・


 この国に、雅人の大事な人間は一人もいない。

 その結論・・に、絶望が脳を覆っていく。

 魂鎮めの剣聖は、この焔桜島の要。大神霊たる夜想姫の魂のつがいにして、夜想国の国主ともなる人間。

 鬼の軍勢の狩り手にして、夜想国最強の剣士。大龍穴の守り手にして、大結界を張り直すことができる唯一の存在。

 もともと大龍穴の周辺は人が住みやすい様々な霊的資源にあふれているものの、それらを狙って、様々な魑魅魍魎が大龍穴や周辺の龍穴を通って現れるのがこの夜想国だった。

 特に危険なのが、大龍穴周辺の人間を餌として食らう、鬼の国より現れる大業鬼や大鬼だ。大業鬼が一体でも現れれば、ただびとの軍勢など簡単に蹴散らされて終わってしまう。

 それにこの島自体、もともとが鬼から人が奪った土地。

 本来は、人が住めるような土地ではなかったのだ。

 鬼の王を含めた強力な魔性を駆逐して後、大神霊である夜想姫が長年に渡って環境を、人が住みやすいように変化させて、最強の剣士である剣聖を慕って強者たちが集まってきた結果、この島には国ができた。

(……でも、大業鬼を殺せる人間なんて、この国には、もう……)

 国に巣食った長年の腐敗もあるが、そもそも結界のおかげで小鬼や低級妖怪ぐらいしかでないこの国では、剣士たちの魔性との実戦経験が少なく、対魔よりも対人の強さが重要視されていた。

 無論、大龍穴が存在する焔桜島にも魔石を産出するダンジョンはあるが、それだって過去の剣聖が踏破済みで、今は魔石稼ぎのために浅層を効率的に漁るだけだ。強力なモンスターが徘徊する中層以下の階層を攻略したという話はついぞ聞いたことはない。

 そして、最近は国外からやってきた大砲や銃だの魔導具だので、剣技も廃れていっている。

 強力な魔導具はともかく、霊力の籠もっていない鉛の弾丸では、如何な大砲弾とはいえ、大業鬼どころか、大鬼も殺せない。

 特別な魔性を殺すには特別な刀姫の権能が必要だ。

 この後のことが、簡単に想像できてしまう。だが、正気に戻った頭でそれを受け入れるのは難しい。

(この国が滅ぶ? 本当に? 本当に?)

 魂鎮めの剣聖が自ら焔桜島を去ったなど――……本当に、考えたくもない悪夢でしかない。

 しかもそれに自分が関わっているなど。自らの刃を、自ら折りたくなるほどの愚行。

「た、たすけて、死ぬ、死んじゃう」

 瑠人の懇願。星雨姫は人を呼ぼうとして、やめた。

 そもそも何も言わなくても、先程の雷鳴のような雅人の踏み込みでバタバタと人がやってくるのがわかるし――そもそも、ここにいるのは自分一人だけではない。

 雅人は全く気にしていなかったが、雅人の監視役として数人の侍従も控えていたのだ。

 そんな彼らの顔も、自分と同じように長年の何かが取り払われて真っ青だったけれど。

(第一、今更どうすればいいのよ?)

 本人はもういないのだ。

 雅人が剣聖だったとして、どう証明して、どう取り戻せばいいのだろうか。

 瑠人に関してもだ。今更、今更だ。剣聖ではありませんでした、なんて。そんなこと、言えるわけがない。

 彼は龍爪みのり以外にも、婿入りするからと夜想国の皇家たる夜想家の姫たちの純潔も奪っている。

 毎週のように皇城にて姫たちと逢瀬を繰り返していたから、みのりと同じように腹の中に子がいる娘もいることだろう。


 ――凡人の種で生まれた凡人の子供が。


 だから取り返しがつかないのだ。

 今更、剣聖が剣聖ではなかったなどと、誰が信じてくれるのだろうか。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る