第13話 透明人間と友人と遭う彼女

「おい。今はまだ今日だぞ、バカ野郎」

「バカはお前の方だ。人間が概念的な『明日』を迎えることは物理的に不可能なんだっちゃ」


 屁理屈というのは無駄に筋が通っているから厄介だ。

 明日、と言っていた浩隆は日をまたぐ直前にやってきた。

 それから俺を鏡に映し、スマホに写し、全身を隈なく触り、服を着せ、と、あらゆる方法で俺の存在を確認して、しまいには居場所がわかりにくいからという理由でサングラスを掛けさせられた。

 今は満足した様子で部屋に居座っている。


「なら、明日という条件を出したお前の方がバカだろう」

「確かにぃー?」


 座っていた浩隆は後ろに倒れて寝転がると、「負けたー」と言っている。しかしすぐに起き上がると、指をパチンと鳴らし俺を見る。


「てかさ、さっき『バカ野郎』と『バカだろう』で韻踏んだ?」

「踏んでない」

「はい! 踏んでたこと自体は事実ですー。お前の負けー」

「ガキか」

「うるせえっ! 男はいくつになっても男の子なんだからねっ!」


 通話よりも舌がヒートアップしている浩隆に対し、面倒だとすら思わなくなった俺はどうかしているのだろう。「わかったわかった」と流してから一度立ち上がって飲み物を取りに行く。


「お茶でいいな?」

「イエス。サンキュ」


 冷蔵庫に入っていたお茶を取り出し、一緒にグラスを二つ持つと、まるで自分の家のようにくつろいでいる浩隆の元に戻る。


「本音言うとビールがよかった」

「やめてくれ」


 自分の分のお茶を注ぎながら軽口を飛ばす浩隆に対し、俺は八割ぐらい本気で懇願する。この男は酔っ払うと何をするかわからない。

 本音は早く帰ってほしい。


「いつまでいるんだ?」

「今日中はいるぞ」


 浩隆の即答に俺は言葉を失う。

 今この瞬間、愛奈との連絡手段が無いことに絶望した日が早くも更新されてしまった。


「どうしてもか」

「来客対応で、本当にお前が透明なのか試したいんよ」

「まだ信じてないのか」

「オレ一人のソースでは足りんね」

「あのな、存在しない物の証明はできないって知ってるか?」

「それは一般論として証明する場合ネ。オレ一人が信頼できるだけ結果あればいいアルよ」


 なんとこの男は、俗に言う『悪魔の証明』を自分の尺度に落とし込むことで解決させようとしている。自己中心ここに極まれりである。

 そして、この男の意志を曲げるほどの手札を俺は持っていない。


「たぶん大して来客は無いが、それでもいいか?」

「納得するまで居座ってやらあ」

「わかった。今日は三食ウーバーイーツにしよう」

「三回とも別人で頼むぜ」

「俺にその操作はできん」

「それはそう。んじゃおやすみ」

「おう」


 騒がしかったのが急に静かになると、一瞬死んだのかとすら思ってしまう。

 少しすると寝息が聞こえるのでひとまず安心する。普通の人間なら毛布とかを掛けてやるのだが、浩隆の場合はおそらく「情けをかけるなあっ!」と言って起きてしまうので、放っておく。

 俺はチラっと壁掛けの時計を見る。驚くことに午前3時である。


「俺も寝るか」


 畳んであった布団を広げ、そこに横になる。目覚ましはあえてセットしないことにする。願わくば、昼頃に目が覚めますように。


   ***


 願いは叶った。

 目が覚めてすぐにスマートフォンを見れば、1時を少し過ぎたところだ。そのまま軽く寝返りを打つと、目の前に見覚えの無い箱があり、直に鼻を通っていったジャンクな匂いにムッとする。

 ゆっくり上半身を起こすと、近くにあった箱の形が円形に近い多角形であることがわかった。少し目線をずらすと、同じ箱がもう一つあることに気付く。さらにその先には、無駄にデカい背中を丸めて何かを貪る生物の姿が。

 俺の視界にその生物が入った途端に、寝起きの頭は高速回転を始める。

 徐々に視界が明瞭になって、今の状況を脳が解析していく。

 そして、俺の寝起きの第一声はここに行き着く。


「なんで勝手にピザ頼んでるんだ」

「おうヒグラシ。ウーバーの店員お前のこと見えてなかったわ」

「なるほど。で、質問に答えろ」

「そうそう。その店員オレのことめっさヤベえ奴を見る目でさ、バリおもろかった」

「それは良かったな。答えろ」

「ちなみに、ヒグラシはデザート系のピザってどう思う? 俺はアリアリ」

「別に個人の好みだろう。次は手が出るぞ?」

「おっけ了解このピザ全部俺の金、だからグーはやめろ? すみませんやめて下さい」


 ひれ伏した浩隆に、俺は右の拳を収めて布団を畳み始める。押し入れに突っ込んだ頃にはピザは一切れもなく、浩隆もケロリとした顔で壁にもたれかかっていた。


「なんだかんだ俺の話にレスポンスくれるよな、ヒグラシ」

「……」


 先ほどまでと違う雰囲気を匂わせる狂人には無言を返す。

 何か言えばまたおかしな流れに巻き込まれるだけなのはよくわかっている。つまんね、とそのままスマートフォンを触り出した浩隆を放置し、俺はなんとなく玄関の方に視線を送る。

 浩隆は今日の間中ずっといると言っていた。

 だがそれはきっと俺を監視するためであり、もしも俺が外に出ると言い出したら、こいつはのこのこ付いてくるのではないか。


「俺も腹が減ったな。何か買いに行こうか」


 立ち上がってからの流れを装い、それとなく伝えてみる。

 しかし、この男はそう簡単に人の思うようには動かない訳で。


「おう、いてらー」

「ついてこなくていいのか……? 結構な人と会えるぞ?」

「どうせヒグラシ一人で買い物行けんじゃろ」

「だからついてきてほしいんだが」


 少し強引に誘ってみる。だが浩隆はスマホをじっと見つめたまま、やけに聞き覚えのある声音で嘲笑混じりに言う。


「おいオメエ、流石に駆け引きが下手すぎっぞ。オレじゃなくてもわからあて」

「そうか……、じゃあいい。あと、エロマンガを読むな」


 この世で最も真剣な顔をしてスマホと向き合っていた浩隆は、一瞬だけ俺に視線を送って舌をベロッと出した。やめろ可愛くない。


「んでさ、お前はなんべんも玄関の方見て何を気にしとん?」


 浩隆の言葉に俺は頭を抱えたくなる。

 嘘を嫌う性格の男に、神はなぜこれほどの観察眼を与えてしまったのか。

 俺が困っているのをよそに、浩隆は次々に自分の予想を展開していく。


「まずオレを外に出そうとしたから誰かが来るのは確定として、まさか本当に女!? でもそれなら自慢してくるだろうし、男? いや、そもそも見えていないからこれは人ではなく物。宅配で頼み、かつオレに見られると面倒くさいもの。それは……! オナへぶっ」

「ぶっ飛ばすぞ」

「殴る前に言って……?」


 浩隆の口は止まりそうになかったので、横っ面に一撃を入れることにした。もちろん、グーはやめろと少し前に言われたのでパーにしておいた。

 自分に非があるのはわかるがしかしやり過ぎではないか、という混ぜこぜの感情が浩隆の表情からは見てとれる。話し方まで素に戻ってしまって、申し訳なさすら感じる。


「すまん」

「おう。で、もちろんTENがびゃっ」

「ぶっ飛ばしたぞ」

「よっしゃナイスぅ」


 逆の頬をひっぱたくと、浩隆は開き直ってわけのわからない言語を使い出してしまった。

 頭に衝撃が加わると脳細胞が死んでいくというのはどうやら本当だったらしい。


「ちょお待てや、ヒグラシ。今えらい失礼なこと考えたやろ?」

「別に」


 聞き流すようにするも、今のはどこの方言がベースか、と一瞬頭の隅で考えてしまった。

 普段コイツの言うことに脳のリソースを割くことなんて余程のことが無ければしないはずなのに。

 はたして、その原因は知らずとも自らやってくる。

 インターホンが鳴り、浩隆との交戦を中断。ドアスコープを覗けば見慣れた少女がこちらに手を振っていた。

 俺にこの後のことをどうにかするあては何一つ無く、ただ一つの発見を声に出さないようにするのが精一杯だった。

 なるほど。関西弁か。

 ひとまずはいつも通り。愛奈を部屋に迎え入れる。さすがに寒くなってきたのか、今日はブレザー着用だ。相変わらず胸元は緩いが。


「やっほー日暮さん。買い出ししてきたよー……って、何そのサングラス。んでこの靴デカない? 何コレ?」


 勧めたエコバッグを少し持ち上げながら、何も知らない彼女はカラカラと笑う。

 玄関を開けたところで彼女には部屋の奥が見えていない。しかし、実際に俺の姿が見えていない浩隆にとっては明らかな視覚情報があり、


「若いオンナの声がする……っと、それはアウトだわヒグラシ」


 顔をめぐらせながら俺にそう通告したのであった。


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