第12話「優しい修道女」

 テルトナの町はとても広くて、通りに面してずらりと並ぶ建物も立派だった。人々の活気に溢れているし、至るところから美味しそうな匂いが漂ってくる。けれど、僕たちはそんなものに気を払う余裕もなく、衛士のおじさんたちに連れられて黙々と歩いていた。


「どうしてこんなことに……」

「お前が勝手に借用書なんて見せたからだろ」

「だって、身分証だと思ったんだよ」


 前後に槍を持ったおじさんたちに挟まれたまま、僕とシェリーは小声で話す。聖職者のくせに借金して、期日を無視しているシェリーが悪いはずだけれど、それを言うと余計に面倒なことになりそうだったから口をつぐむ。

 綺麗に石畳の敷かれた道を歩いて、小高い丘になっている町の中央を目指す。そこには背の高い尖塔を持つ立派な教会が見える。


「あれがテルトナの教会?」

「そうだよ。見事なもんだろう」


 シェリーに尋ねたつもりだったけれど、後ろを歩いていた衛士のおじさんが代わりに答えた。町の人にとっても自慢の教会らしい。彼は自慢げに笑う。


「ここの教区の中心だからね。ドルフ様が治めるようになってからは聖遺物の数も増えて、町もどんどん発展してきたんだ」

「ドルフ?」


 朗らかに語るおじさんに、シェリーが興味を示す。


「教会の司祭様だよ。元々は大教会で聖遺物の宝物庫を管理していた方らしくてね。あの方と一緒にたくさんの聖遺物もこの町に移されたんだ」

「へぇ。そんあこともあるんだ」

「ドルフ様は聖遺物に好かれるような立派なお方ということさ」


 どうやら、そのドルフという司祭はとても良い人らしい。それなら、借金の期限を無視していたシェリーにも温情を与えてくれるかもしれない。そんな希望を見出して、僕は少しだけ安堵する。


「シェリー?」


 しかし、当の彼女はおじさんの話を聞いて、どこかつまらなさそうな顔をしている。同じ聖職者が町の人に慕われているというのに、嬉しくないのだろうか。不思議に思っている間も、おじさんは町の発展や名所について延々と話しているし、シェリーは興味の無い様子でスタスタと歩く。僕はいつまでも続くおじさんの話に相槌を打つことにいっぱいいっぱいで、彼女に話しかけることができなかった。


「はい、到着だよ。あとは教会の方でやりとりしてね」


 衛士のおじさんたちとは、教会の扉の前で別れることになった。彼らも仕事があるので、引き渡した後まで付き合う余裕はないらしい。僕とシェリーが教会の中に入っていったのを見届けて、また城壁の方へと戻っていった。


「さて、宿を探すか」

「ちょっとシェリー!」


 おじさんたちが居なくなった瞬間、教会から出ようと踵を返すシェリーの腕を掴む。彼女は眉間に皺を寄せて睨んでくるけれど、それを看過することはできない。


「聖職者の癖に借金を踏み倒すなんてダメじゃない?」

「別にここで借りた金じゃねぇからいいだろ。貸した奴には次会ったときに返すって言ってるんだ」

「え? そ、そうなの?」


 堂々と反論されて狼狽える。てっきり、教会から借りたお金はどこかの教会で返せばいいものだと思っていたのだけれど、そういうわけじゃないのだろうか。


「——こちらで返済していただいても結構ですよ」

「うわっ!?」


 困惑する僕たちに、背後から声が掛けられる。驚いて振り返ると、聖衣に身を包んだ金髪の女性が祭壇の前に立っていた。空色の瞳を優しく細めて、こちらを見ている。


「こんにちは。ようこそ、テルトナの教会へ」

「こ、こんにちは。ええと、その……」

「私はメリア。この教会の修道女です」


 言葉に詰まる僕に優しく微笑み掛けて、メリアさんは歩み寄ってくる。彼女は僕に軽い会釈をした後、シェリーの目の前に立って口を開いた。


「貴方も教会の僕のようですね。聖印は持っておられないようですが」

「無くしたんだ。新しいのを貰いにきた」

「では、借金の返済と引き換えに」


 メリアさんの言葉に、シェリーはあからさまに舌打ちをする。見ている僕の方がハラハラとするシェリーの行動に対して、メリアさんは穏やかな物腰を崩さない。


「見たところ、異端審問官様のようですが」

「そうだ。知っての通り町から町への旅の最中でな、稼いだ金も路銀で溶ける。今も持ち合わせがないんだ」

「そうでしたか。それでは仕方ないですね」

「ええっ!?」


 シェリーの言い訳を聞いたメリアさんは、驚くほどあっさりと引き下がる。いまいち教会の事がよく分からないけれど、こういう会話はよくあることなのだろうか。


「聖印はすぐにお渡ししましょう。宿が決まっていないのであれば、ここに泊まっていただいても結構です。ただ、その代わり——」


 メリアさんは懐から真新しい聖印を取り出し、シェリーに渡す。さらに今夜の寝床まで提供してくれるという。突然の来訪にもかかわらず、とんとん拍子で話が進み、シェリーも驚いているようだ。けれど、無条件というわけではないらしく、メリアさんは対価を提示する。


「明日中には、この町から去ってください」


 有無を言わせぬ強い語調でメリアさんが言う。さっきまでの穏やかな表情は消え、氷のように冷たい雰囲気を纏っている。驚く僕とは異なり、シェリーは不敵な笑みを浮かべる。


「いいさ。要件が終わればすぐに出ていく」

「ありがとうございます」


 メリアさんは恭しく頭を下げる。そうして、再び顔を上げた時にはもう元の優しい微笑に戻り、くるりと背を向けた。


「寝所へご案内しましょう。今は他に誰も居りませんし、ごゆっくりおやすみください」


 テルトナの教会は大きく、併設された寝所もまた立派だった。2段のベッドがいくつも並ぶ広い部屋で、裏手には小さな庭と井戸まである。シーツはとても清潔で、太陽のいい匂いがする。早速ベッドに飛び込む僕を一瞥し、シェリーは小馬鹿にしたように鼻で笑った。


「遊んでる暇はないぞ。まずはお前に必要なものを買い揃える」

「えっ、ああ、そういえば……」


 色々あって忘れていたが、僕たちがテルトナにやって来たのは、これからの旅に必要な諸々を揃えるためだ。道中に見た町にもたくさんの店があったし、広場では市場も開かれていた。確かに、ここならなんでも揃いそうだ。

 シェリーは頭陀袋の奥に手を突っ込んで、財布を取り出す。ずっしりと重い巾着には、たくさんのお金が詰まっていた。


「……持ち合わせはなかったんじゃないの?」

「返済に充てるぶんはねぇって言ったんだ。それともお前は着替えもないままこの後も旅を続けんのか」


 詭弁のように聞こえたけれど、僕のためのお金ということで強くは言えない。


「日が暮れる前に回るぞ。その後は飯だ」

「は、はい!」


 大鎌を壁に立て掛けて、シェリーはスタスタと部屋を出る。僕は慌ててベッドから飛び出し、彼女の後に続く。


「メリアさん、少し街に行ってきます」

「ええ。お気をつけて。テルトナは穏やかな町ですが、不埒な輩がいないわけではありませんので」

「ありがとうございます」


 街に出る途中、礼拝堂の祭壇を掃除していたメリアさんに一声掛けていく。彼女は天秤を拭いていた手を止めて、優しく笑って見送ってくれた。それだけに、先ほどの厳しい顔つきが印象的だ。

 僕はメリアさんにぺこりと頭を下げて、構わず先に出ていったシェリーを追いかけた。

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