第24話 人生初のアルバイト

12月。もうすっかり街の匂いは冬になっていた。


街ゆく人は分厚いコートを着込み、恋人達は指をきつく絡ませてお互いの熱で温め合う。


クリスマスが近づいていた。


沙耶は合コンで知り合ったエリート医大生をめでたくゲットし、今年のクリスマスはその彼と一緒にイブを過ごすらしい。


クリスマス前にきっちり彼氏を調達するとは、さすが合コンの猛者といえる。


私のクリスマスは毎年自宅で、ママの作った御馳走と鳥の丸焼きを食べながら、家族団らんで過ごすのがいつものパターンだった。


もちろん食後に大きなイチゴが飾りつけされたクリスマスケーキを食べるのも、山本家のお決まりのコースだ。


しかし、今年の私は一味違う。


クリスマスイブの一日限定で、人生初のアルバイトをすることになったのだ。


クラスメートの堂島恭子の家は、大手チェーンのコンビニエンスストアを経営している。


そこでのクリスマスケーキを売る仕事を手伝って貰えないか、と頼まれたのだ。


本来なら常勤のバイトさん達がやる仕事らしいけれど、今年は皆24日に予定を入れてしまい、人手が足りなくなってしまったそうなのだ。


私にクリスマスバイトを頼み込んで来た恭子は自分の家の稼業だというのに、


お笑い芸人のライブに行く予定が入っているという。


なんでもお笑い第7世代が大集結するライブだそうで、絶対に外せないと熱弁していた。


何故、私がこのアルバイトの誘いに乗ったかというと理由は明白、たった一日で9千円の収入が得られるからだった。


そして初めて自分で稼いだお金で、鹿内さんに、あのアクアマリンとアメジストのブレスレッドをプレゼントしたいと思ったのだ。

こっそり内緒で自分用も買ってお揃いにしたいな、なんて思ったりもしている。


もちろんママのマグカップも早く買わなきゃいけないんだけど、今の私にはそれよりも優先したいことなのだ。


告白する勇気はない。


でも何か鹿内さんが思わず微笑んでしまうようなことをしてあげたい。


鹿内さんには家庭教師としていつもお世話になっているし、クリスマスにプレゼントを渡すくらいなら何も問題はないはず。


鹿内さんは私の気持ちに気付いてしまうかもしれない。


もしかしたらもう気付いているかもしれない。


・・・でもきっと受け入れられることはないだろう。


それでもいい。


私は私に出来ることをしたい。


そんな強い気持ちが、私を初めてのバイトという挑戦に奮い立たせたのだ。


誰かを想うことって自分でも予測できないような力を手に入れることが出来るんだなと改めて思う。


鹿内さんを追いかけて、同じ大学を合格した美也子さんのように。


ママにアルバイトの事を報告すると驚いたような顔をした。


「あら。鹿内君と過ごすんじゃないの?付き合って最初のクリスマスイブでしょ?」


そうか。ママにはまだその設定、解除されてなかったのか。


私はごまかすように頭をかいた。


「鹿内さん、バイトで忙しいみたい。それにそういうイベントごとも嫌いみたいなの。」


「そおなの?なんだか釣れないわね~。じゃ家では25日にお祝いしましょ!」


私は売り物のクリスマスケーキを持って帰ることをママに約束した。



そしてクリスマスイブ当日。


私は恭子から渡された地図を片手に、バイト先のコンビニを探し出した。


店は最寄りの駅からすぐ近くの商店街の一角にあった。


キャッチフレーズが印象的なひとつの街にいくつもある有名チェーン店だ。


店に着くと髪の毛がバーコードのオジサンが笑顔で迎えてくれた。


きっとこの人がこの店の店長だろう。


「君が山本さん?いやあ、せっかくのイブなのに悪いねえ。」


そう言って自分の頭をポンと叩くと、私に赤い何かを手渡した。


それは、サンタのコスチュームで、ワンピースになっており、


三角に白いボンボンのついた帽子まで付いていた。


「その衣装来て、店頭でクリスマスケーキを売って欲しいんだよね。


やっぱりクリスマスイブだし、それくらいせんと目立たんのよ。」


「はあ・・・」


私は店の奥にある更衣室で、素早くサンタのコスチュームに着替えた。


大きな姿見を見ると、他人から見たらノリノリのサンタ娘がそこには写っていた。


初めての客商売、少しは笑顔の練習でもしておこうと、鏡に向かってニッコリ笑ってみた。


駄目だ。まだ少し表情が硬い。


私はもう一度、もう少し大袈裟に口を開いて笑って見た。


そうそう、その調子、笑顔、笑顔!!


その時後ろから、墓場の中から声を出していると思うくらいテンション低い男の声が聞こえてきた。


「いつまでその百面相を続ける気?俺も着替えたいんだけど。」


振り向くと、寝癖の付いた髪にひょろひょろと痩せた男が醒めた目で私を眺めていた。


猫背具合はまるでデスノートのLみたいだ。


「すみません!私、今日一日お世話になる山本つぐみと申します。よろしくお願いします。」


私がお辞儀をすると、男は面倒くさそうにため息をついた。


「俺は森本歩。今日はアンタと一緒に店頭でケーキ売るから、よろしく。」


「あ、はい。」


「じゃあ着替えるから、早く出て行って。」


「は、はい!すみません!!」


男と一緒に仕事するのか・・・私はもう一人お姉さん的な先輩が付いてくれると思っていたので、ちょっとがっかりした。


なんだか愛想がない人だな。


新人なんだから、もうちょっと優しくしてくれてもいいのに。


これだから男ってヤツは・・・


じゃなくて!


男だから嫌な奴って、初めからシャットアウトするのはもう止めるって決めたでしょ?


私は両掌をぎゅっと握ると、ロッカールームを出て、よしっ!とひとり気合を入れ直した。


コンビ二入り口前には、すでに長机が用意されていて、机の上には2種類のホールケーキが並んでいる。


ひとつはオーソドックスなショートケーキのホール型ケーキ。


もうひとつはケーキの中央にビカチュウの砂糖菓子が乗った、


いかにもお子様用のホールケーキ。


ノルマはないけれど、まったく売れなかったら私がここに来た意味がなくなってしまう。


私はひとつでも多く売れる様に、精いっぱい頑張ろうと思った。


サンタ姿になった森本さんが、パイプ椅子を持って売り場にやって来た。


森本さんはパイプ椅子を開き、長机の下に並べると、当然のように椅子に座った。


「アンタもまだ座っていた方がいいぜ。忙しくなるのはリーマンの帰宅時刻だから。


それまで体力は温存して置いた方がいい。」


「はあ。そうなんですか。ではお言葉に甘えて。」


私もパイプ椅子に座らせてもらう。


「私、こういう仕事初めてなんですけど、どんな風に呼び込むんですか?」


すると森本さんは突然、大きな声を出して言った。


「クリスマスケーキ、いかがっすか~!!たったの1500円。!!いかがっすか~!!」


先ほどの死んだ目をしたような森本さんが、一気に覚醒したように大声を出したので私は面食らってしまった。


「・・・まあ、こんな調子。でもアンタは声ださなくてもいいよ。女子はビジュアル担当。


可愛い女のサンタを見てケーキを買っていく男も少なくないからね。」


「え?可愛い?!」


「いや一般論の話よ?」


「あ、そうですか。」


可愛いに反応してしまった自分が恥ずかしい。


男がどうでもいい女にも「可愛い」っていうのは、あの合コンで勉強したはずなのに、また引っかかってしまった。


でも大声をかけなくていいのは有り難い。


正直、見知らぬ通行人に向かって、大声を出すのはちょっと照れ臭い。


「そのかわり・・・おつりの渡し間違いだけは絶対するなよ。」


森本さんの有無を言わさない低い声に、私は恐れおののいた。




徐々に空が暗くなり、商店街に買い物する主婦たちが増えてきた。


私と森本さんの売るクリスマスケーキもぽつりぽつりと売れ出してきた。


意外とコンビニのケーキを購入する家庭も多いんだな、と思った。


確かにケーキ屋さんのそれは、美味しいけれど結構値が張る。


それに小さな子供はビカチュウの乗っているケーキのほうが喜ぶのかもしれない。


またひとつ、子供連れの主婦が、ビカチュウの乗っているクリスマスケーキを購入していった。


「ありがとうっした~!!」


「またのお越しをお待ちしてます!」


私達の声に、母親に手を引かれたまだ幼稚園児くらいの男の子がバイバイと小さく手を振る。


私は笑顔で手を振り返した。


神様、どうかこの男の子が一生幸せなクリスマスを送れますように・・・と祈りながら。


「アンタ、接客業は初めて?」


「はい。接客業どころかバイトも初めてです。」


「結構向いてるかもしんねーよ?こういう仕事。笑顔の練習した甲斐あって。」


そういうと、森本さんは、後ろを向きながら口に手を当てて忍び笑いを始めた。


「何が可笑しいんですか?」


「いや、別に。アンタの百面相がツボに入ってさ。」


そう言いつつ、森本さんはたまに思い出したように笑い続けていた。


次にケーキを購入していったのは、若いカップルだった。


キャップを後ろ向きにかぶった厳つい男性と、長い金髪に眼帯をしたジャージ姿の二人は、ノーマルなケーキにするかビカチュウのケーキにするかでもめている。


「え~私、ビカチュウのがいいし~」


「お前、少し大人になれよ~。ビカチュウファンの人がこの後買えなくなったら悪いだろ~が。」


「じゃあさ、あとで私の好きなポテトチップス買ってもい~い?」


「買え買え!なんでも買うてやる。」


「え~やった~。」


世界一どうでもいい会話を繰り広げながら、ヤンキーカップル達はノーマルなクリスマスケーキを買うと、腕を組んで帰っていった。


私はそんな二人の姿が小さくなるまで見送った。


正直、羨ましかった。


世の中の常識では、クリスマスイブはカップルで過ごすのが定番だという。


・・・鹿内さんは、今日はどこで誰と過ごしているのだろう。


バイトだろうか。いや、絶対美也子さんとだよね。


大学生だからそんなに高いお店には行かないかもしれないけど、ちょっと洒落たレストランでお酒でも飲んで、美味しいもの食べて、そして・・・。


私は頭に浮かんだ良からぬ妄想を、目を瞑って打ち消した。


「しかしアンタも酔狂な人だね。こんな日にアルバイトでケーキ売っているなんてさ。」


森本さんが唐突に言った。


「彼氏とかいねーの?」


「いませんけど、それがなにか?」


「ま、いたら今頃こんなところにいねーよな。なんか、すんません!」


確かにそうだけど、その言われ方は無性に腹が立つ。


「そういう森本さんはどうなんですか?!彼女さんとかいないんですか?」


興味はないけど、一応聞いてあげることにする。


「俺?いるよ。本命1人、セカンドが3人。キープは流動的だから数えられないんだけど。」


「うわっ。最低!」


すると森本さんはまた忍び笑いをして私の肩を押した。


「ガチでドン引きするなよ~。ギャルゲーのハナシだってば。」


「ギャルゲー??」


「アンタギャルゲーも知らねーの?どこのお嬢様だよ。ギャルゲーってのは、ゲームの中で魅力的な女の子とお付き合い出来ちゃう恋愛シュミレーションゲームなの!男なら1度は味わってみたいハーレム状態を満喫できるってわけ。」


「なるほど。」


鹿内さんみたいに女性から逃げたい男がいれば、森本さんみたいに女性に言い寄られたい男もいるっていうことか。


多分鹿内さんの方が特殊で、森本さんみたいな男の人の方が主流なんだろうな。


「言っとくけど、俺なんか可愛いものだからね。俺はゲームと現実は違うって割り切っているから。でも中にはゲームの中の女の子にガチ恋しちゃう野郎もいるから。」


「は~そうですか。」


2次元の人間にガチ恋するなんて、私には想像もつかない世界だ。


「大体、こんな稼業しているんじゃ女なんか出来っこねーよ。


朝番だ夜勤だって駆り出されるし。


女の子と知り合うチャンスなんてゼロだからね。」


森本さんはそう言うと、サンタの帽子を取って頭をガリガリと掻いた。


どうやらこの森本さんは、かなりこの店に貢献していると見える。


もしかしてバイトリーダーというヤツなのかもしれない。


そうこうしているうちに、駅から吐き出される人の群れが増え、私達の売るクリスマスケーキの受付には列が並び出した。


買っていく客層は色々だ。一番は中年男性が多くきっと家でクリスマスを過ごす人々だろう。


しかし若いサラリーマン男性や、女性のグループ、男性二人という組み合わせも多い。


また、クリスマスケーキを買ってから、コンビニ店内に入ってチキンやらアルコールを買い込む客も多かった。


皆、それぞれのクリスマスを楽しんでいるのだな・・・その一端を担えると思うと、クリスマスケーキを売ることも苦ではなくなっていた。


忙しくクリスマスケーキを売っていると、あっという間に夜の9時になった。


「潮時だな。店頭販売はこれで終わり。山本さん、もう着替えていいよ。」


森本さんはそういうと、わずかに残ったクリスマスケーキを店内に持ち込み始めた。


長机とパイプ椅子も畳み、店のロッカールームへとしまう。


私は店内でレジ打ちをしていたバーコードの中年男性のところに行くと、丁寧にお辞儀した。


「今日はお世話になりました。」


「ああ、どうも。お疲れ様。」


「で、店長、これ着替えたらどこに置いておけばいいですか?」


すると中年男性は困ったような顔で眉を下げ、頭を掻いた。


「あの・・・僕、店長じゃないよ。店長は・・・えーと森本店長!」


「え?」


「ういーす。」


森本さん、いや森本店長は片手を上げてレジ内に入っていった。


「店長、山本さんがこのサンタの衣装、どこに置いておいたらいいかって聞いていますけど。」


「ああ、ロッカールームの椅子の上にでも置いといて。」


「あ、はい。・・・って、店長だったんですね!」


「そうだけど?言わなかったっけ。」


「聞いていませんよ!私はてっきりあの中年男性の方だとばかり・・・」


すると森本店長は、再度背中を向けて忍び笑いを始めた。


「クックッ・・・髪型と年齢で人を判断しちゃダメよ。」


そう笑いながら、森本店長は一旦ロッカールームへ引っ込むと、茶色い封筒を持って戻ってきた。


そしてその封筒を私の目の前に差し出した。


「はい。お疲れさん。今日のお給料。」


「あ、ありがとうございます!」


封筒の中をちらりと見ると、綺麗な千円札が9枚入っていた。


「どうよ?初給料の感想は。」


「嬉しいです!」


自分で働いて貰ったお金が、今この手の中にある、そう思うと感動で胸が一杯になった。


そしてハッと気が付いた。


森本店長と一日一緒に働いても、男に対する嫌悪感が発動しなかったことに。


私の男嫌いも、とうとう卒業間近になってきたようだ。


「で、ものは相談だけどさ。」


森本店長が私に対して初めて真面目な顔をしてみせた。


「週に一回でもいいから、この店のバイトしてみない?


いま、バイトの数が足りなくて、俺寝る暇もねーんだよ。頼む!」


今日も森本店長は昼のわずかな時間に仮眠をとって、すぐに私とのクリスマスケーキ売りに参戦したという。


私の押されると断り切れない性格と、クリスマスケーキを買ってくれたお客さんの笑顔がもう一度見たいという気持ちが合わさって、気づいたらこう答えていた。


「私なんかで良ければぜひ。」


「実は木曜日のシフトが空いているんだよね。どう?」


もう受験生である私たちは部活に顔を出すこともないし、鹿内さんの家庭教師の金曜日以外はオールOKだ。ママには事後承諾になってしまうけれど、そこは頼み込むしかない。


「はい。大丈夫です。」


こうして私の毎週木曜日は、コンビニ店員の日となった。


心地よい疲れを抱いて、私は家に帰宅した。


「おかえり。つぐみ。」


ママはいつものピンク色のエプロンでモモを抱きながら玄関で出迎えてくれた。


「初バイトどうだった?なにか失敗しなかった?」


「うん。楽しかったよ。実はこれからもバイト続けて欲しいって言われて、毎週木曜日にシフトを入れてもらったの。ねえいいでしょ?ママ。」


ママは頬を膨らませて、しかめっ面をした。


「大学受験の勉強もあるのに、大丈夫なの?」


「大丈夫。ちゃんと平行してやるから。」


「・・・まあバイトも社会勉強だものね。頑張りなさいな。」


ママのお許しを得てホッとしたのもつかの間、ママが思い出したように言った。


「そういえばつぐみ、今日の夜、鹿内君、家にいたわよ?」


「え・・・?」


「今日中に仕上げなければならないレポートがあるとか言ってたけど・・・。今頃机に向かってシャーペンを走らせているんじゃないかしら?つぐみがバイトに行っていると言ったら鹿内君、驚いた顔をしていたわ。」


「そう・・・なんだ。」


「アナタ達、喧嘩でもしたの?早く仲直りしなさいね。」


ママの言葉を背中に聞きながら、私は2階に駆け上った。


今夜、鹿内さんは自分の部屋にいる。


てっきり鹿内さんは、美也子さんと一緒にクリスマスイブを過ごすのだとばかり思っていた。


本当に鹿内さんは美也子さんと付き合っているの?


私は胸に大きな疑問を抱きつつ、ほんの少しの期待を持ってしまう自分に気付いた。


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