第19話 妹でいい

由宇さんと「キッチン七瀬」に行って忘れてはならないことを思い出した。


それはパパとママの結婚記念日が近いってことだ。


二人の結婚記念日は9月15日。忘れようがない。


何故ならママは結婚記念日が近づくと、毎年テーブルに赤い薔薇を飾り、その濃厚な香りを吸いこみ、うっとりと自分の世界に入っているからだ。


赤い薔薇の花言葉は「あなたを愛しています」


なんだかちょっとベタな気もするけれど、それくらい分かり易いほうが「愛」ってものは相手に伝わるものなのかもしれない。


ママに「パパからプロポーズされた時に赤い薔薇をもらったの?」と聞いてもママは「内緒。これはママとパパだけの秘密なの」と決して教えてくれない。


「ねえつぐみ、知ってる?赤い薔薇の花言葉、本数によっても意味が違うのよ~。」


あるときママが薔薇の花びらを弄びながら、ミュージカル女優のようにそんなセリフを吐いた。


「え・・・そうなの?」


北欧デザインのシンプルなガラス花瓶に生けられている赤い薔薇を、指さし確認しながら数えていくと、その数全部で11本。


スマホでその花言葉を検索してみると、11本の赤い薔薇の花言葉は


「最愛」


そんな風に愛し愛される存在に巡り合えたふたりが羨ましい。


それって奇跡みたいなものだと思う。


私がいま現在赤い薔薇を生けるとしたら7本。


その花言葉は「ひそやかな愛」


・・・でもどうしてこんなに大事なことをいままで失念していたんだろう?


それはきっと心の大部分が鹿内さんのことで埋められていたから。


ふたりの結婚記念日は夏休みが終わってたった2週間しかない。


折しも今年はふたりの結婚25周年記念に当たる年で、一般的には銀婚式というらしい。


一人娘としてこれを見逃す訳にはいかない。


毎日のお弁当、掃除洗濯、庭の手入れ、そのほかの細々とした家の用事・・・ママにはいつもお世話になっている。


小さい頃の私はとても病弱で、ママにしょっちゅう看病してもらった記憶がかすかにある。


シャボン玉の香りがする冷たいママの手の平がおでこに当てられると、私はいつも安心して眠りについたっけ。


パパだって雨の日にも風の日にも混んだ通勤電車に揺られ、毎日私達家族の為に働いてくれている。


パパは中間管理職というヤツらしい。


もしかしたら口うるさい嫌味な上司にペコペコと頭を下げ、ゆとり世代などと揶揄されるやっかいな部下の尻拭いをしたりしているのかもしれない。


そもそもふたりが出会い、結ばれていなければ、私の存在そのものが無かったのだ。


でも・・・何をしてあげたらいいのだろう?


どうせならサプライズプレゼントをあげたかった。


パパは最近40肩が痛いとぼやいているから肩たたき券を上げるとか?


いやいや、小学生のプレゼントじゃあるまいし。


手作りケーキじゃキッチンでコソコソ動いているところを目撃されてしまったらサプライズにならないし、第一ママより上手く作れる自信がない。


感謝という花言葉の花束・・・は母の日のカーネーションと被ってしまう。


私は考えに考えた末、お揃いのパワーストーンのブレスレッドを贈ろうと決めた。


運気を上げる石のブレスレッドは、二人の健康と幸せを守ってくれると思うから。


でも男の人にブレスレッドをあげても良いものなのだろうか?


私は鹿内さんに相談してみることにした。


あの夜から私は鹿内さんに対する態度を決めた。


鹿内さんの特別な女性になろうなんて、無謀な望みを持つことは諦めた。


妹ポジションを死守すること。


妹なら振られることもないし、なんなら甘えることも出来る。


由宇さんが言っていたように、この恋の試合を自ら放棄してしまうことなんて私には出来そうもない。


いつかその姿が形を留めなくなってしまうとしても、もう少しだけこの不安定な関係が壊れないように、そっとしておきたいのだ。


だからいつも何も考えていない風に明るく笑っていよう。


決して自分勝手な心の内が溢れてしまわないように、心の扉に鍵をかけて、鹿内さんを困らせたりしないようにするのだ。


私は鹿内さんの好きなアイスチョコモナカを片手に持って、部屋のドアを3回ノックした。


「はい。どうぞ。」


私が顔を覗かせると、鹿内さんは私の持っているものを見て、顔を綻ばせた。


「アイスチョコモナカ、好物ですよね?食べませんか?」


「くれるって言うなら食うけど。」


私がアイスチョコモナカを鹿内さんの目の前に差し出すと、鹿内さんは素直にそれをサッと受け取り、袋を開けてさっそく大口で頬ばった。


鹿内さんが今までどおり、何もなかったかのように接してくれるのでホッとした。


「で?用件は?またどうせ甘いもので釣ろうって魂胆なんだろ?」


その甘く冷たい氷菓子を口の中で咀嚼しながら、鹿内さんは右の頬を上げた。


「なーんだ。バレてたか!」


私はわざとらしく見えないように、努めて明るく振舞った。


「あの・・・実はご相談がありまして」


私は両親の結婚記念日が近い事、それに伴い二人の健康と幸運を願う


パワーストーンのブレスレットを買おうと思っていることを簡潔に伝えた。


「そりゃ殊勝な心掛けだな。いいんじゃない?」


「ママはともかくパパは喜んでくれるでしょうか?ほら、男の人って腕にチャラチャラしたものをするの好まないっていうでしょ?」


「でも俺の友達に、ブレスレッド付けているヤツなんてごまんといるぜ。


ま、俺は持っていないけど。」


そういう鹿内さんの右腕には、タグ・ホイヤーの腕時計がさりげなくはめられている。


「ブレスレッドは元々は宗教的な意味合いがあったと言われている。それがいつのまにか装飾品に変わっていったらしいね。」


早々に食べ終わってしまったアイスチョコモナカの袋をゴミ箱に捨てながら、鹿内さんは講義をする教授のように語りだした。


「どちらの腕にはめるかで、その意味合いも違ってくる。右手はエネルギーを放出する力を持っていると言われているから何か行動を起こしたいときや、力を発揮したいときは右手にはめるといい。反対に左手はエネルギーを吸収する腕だと言われていて、スピリチュアル的な意味合いが大きいんだ。幸運を引き寄せる為にね。


だからパワーストーンのブレスレッドは左手にはめている人が多いそうだよ。」


「へえ。鹿内さん、スゴイ。詳しい!」


私は鹿内さんを尊敬の眼差しでみつめた。


「大学の歴史の講義で、教授が授業を脱線して、そんな話をしていたのを思い出したんだ。」


そう少し照れたようにいい訳するを鹿内さんに、私はたったいま思いついたというように、あらかじめ用意していたセリフを口にした。


「そんな博学な鹿内さんにお願いなんですけど・・・一緒にパワーストーンを買いに行くの付いて来てくれませんか?」


「俺は石のことなんて何にも知らないぜ?」


「いいんです。男の直感という奴で。駄目でしょうか?」


上目遣いで、あざとく鹿内さんの目をじっと見つめる。


目を逸らしたほうが負けだ。


私はゆっくりと秒を刻む。


1.2.3.4.5.6.・・・


今回の勝負はどうやら私が勝者らしい。


鹿内さんはフイッと目を宙に彷徨わせ、堪忍したように両手を上げて言った。


「降参!姫のいいつけに従いましょう。」


「ありがとうございます!」


私は内心大きな爆弾を抱えて破裂しそうな心臓を抱えながら、丁寧に頭を下げた。


少しでも鹿内さんのそばにいたい。


話をしたい。


横で歩くことを許されたい。


ただそれだけの為に。




賑やかな桜街商店街の裏通りの外れに、そのレンガ作りの小さな店はちんまりと建っていた。


窓の外から見える飾り棚には妙にリアルな西洋人形や猫の置物、鉛丹色の切子細工のワイングラスが飾られている。


重い木製のドアを開くと中からは伽羅の香りが立ち込めていた。


店内のレジの席には、紫のバンダナを巻き、シルクの黒いワンピースを着た熟女が座っていた。


漆黒の髪を後ろでひとつに束ねている。


「いらっしゃいませ」


女性はそう言ったきり、特に営業スマイルをするでもなく、


所在なく膝に座っている黒猫を撫でていた。


私達は少しの間、店内を珍し気に眺めていたけれど、店主なのかその女性はただ黙って、視線をそのオッドアイを持つ黒猫から外さない。


「あの・・・パワーストーンのブレスレッドが欲しいのですけど。」


私は思い切ってその不思議な雰囲気を持つ女性に声を掛けた。


「ああ。それならこのショーケースの中にあるから、好きなモノを見繕って頂戴。」


女性はやっとレジ席から立ち上がり、店の右端にある猫足なロココ調の古いアンティークジュエリーケースの鍵を開けた。


「石の意味とかも教えてもらえると有難いんですけど。」


鹿内さんが積極的にその女性に質問を投げかけてくれた。


「誰がつけるの?そのブレスレッド。


あなた達がお揃いで付けるのであればこれなんかどう?」


女性は紫色と透明な光を放つ、ブレスレッドを指さした。


「このアクアマリンとアメジストのブレスレッドはどうかしら?


幸福な結婚や恋愛を望む人や、心の傷やトラウマにも効くと言われているの。」


「わあ。」


私は紫水晶とも呼ばれるその深く濃い、それでいて澄みきったアメジストの煌めきに心を奪われていた。


それは私の誕生石でもあった。


心の傷に効く・・・これ、欲しい。


自分用にも欲しいけれど、何より鹿内さんにプレゼントしたい。


けれど今日は自分の買い物ではない。


「私達のではなくて、両親の結婚祝いにプレゼントしたいのですが・・・」


「あらそう」


紫バンダナの女性はジィッと商品を見つめると、


緑色と黄色の水晶が交互についたブレスレッドを指さした。


「あれはサードオニキスとイエローアベンチュリンのブレスレッド。


共に夫婦円満の石よ。さらにビジネスのお守りにもなるわ。」


「色合い的にはどう思います?ちょっと派手な気もするけど。」


私は鹿内さんにそう問いかける。


「でも君のパパさん、性格が明るいしネクタイも原色や柄物が多いし、似合うんじゃない?」


「なるほど」


私達は他にも何点かブレスレッドを紹介してもらった。


「このレッドチルは情熱のパワーストーン。夫婦間の愛情と情熱を再燃させるわ。」


私と鹿内さんは顔を見合わせる。


「君のパパとママは今でもまだ十分愛情と情熱を持ち合わせているからな。」


「はい。恥ずかしながら。」


説明に熱がこもってきた紫バンダナの女性は、さらに新しいパワーストーンの説明を始めた。


「このラピスラズリとガーネットを組み合わせたブレスレッドなんかどうかしら?夫婦間に愛と絆をもたらし、最高の幸運を引き寄せるというものよ。」


「うーん。」


「最終的には娘であるつぐみが決めな。」


鹿内さんは埃をかぶったアンティークローズの、薔薇のつぼみのようなシェードに薄く積もった埃を指で払おうとしようとした。すぐさま、紫バンダナの女性のハスキーボイスで「商品には触らないように」とお叱りを受けていた。


私は長考を重ねた末、結局は最初に説明を受けたサードオニキスとイエローアベンチュリンのブレスレッドをプレゼントすることに決めた。


「これにします。」


「では、二つ合わせて1万円に負けといてあげるわ。アナタ達、学生さんでしょ?」


紫バンダナの女性は、そう言って初めてニッと歯を見せて笑った。


「ありがとうございます!」


「その代わり、リピーターになってよね。私、先行投資する主義だから。


そうそう、いい忘れていたけど私、占い師もやっているの。何かあったらいつでも来てね。


私にかかれば何でもお見通しよお。」


神秘的な女性のちょっと砕けた口調に、私達はクスリとほほ笑んだ。


「その時は是非お願いします。」


そう言って私が女性に1万円札を手渡すと、横から鹿内さんが五千円札を差し出した。


「俺にも半分出させろ。」


「いいですって。今日は無理やり付いてきてもらったわけだし。」


「頼むから俺にも出させて欲しい。」


鹿内さんの真剣な声音に、私はとまどってしまった。


「本当にいいんですか?」


「あの夫婦には、俺もいつまでも仲よく平穏に暮らして欲しいと思っている。


その気持ちを俺にも分けて欲しい。」


「・・・ありがとうございます。その気持ち、すごく嬉しいです。」


私は小箱に入れて貰ったブレスレッドをカバンの奥底に入れ、店を出た時ハッと気づいた。


両親が離婚してしまった鹿内さんに、私はなんて無神経なことを頼んでしまったのだろうか。


自分の家が平穏だからといって、すべての家がそうであるとは限らない。


私は自分のぬるい幸せに慣れきってしまって、他人の傷口に鈍感になってしまっていた。


ただ鹿内さんのそばにいたい、そんな自分のエゴのために。


そんな私の落ち込みとは裏腹に、鹿内さんは呑気な口調で言った。


「いい買い物が出来て良かったな。あのオバサンも意外といい人だったし。」


「オバサンって失礼ですよ・・・」


私の声のトーンが小さくなったのを、鹿内さんはいち早く気付いた。


「どうしたの?さっきまでの元気はどこへ行った?」


「私・・・鹿内さんの家庭の事情、少しだけ知っています。それなのにこんなこと頼んで。


無神経だった。ごめんなさい。」


鹿内さんは私の気持ちを察したのか、ポンと軽くうなだれた私の頭を2回叩いた。


「俺の両親の事なんか気にするな。」


「でも」


鹿内さんは私の声にかぶせるように明るく言った。


「でもやっぱりつぐみのとこの両親は理想だと思う。


つぐみ、君はその幸せに包まれて生きて来たことを自慢に思っていいんだ。」


その優しいまなざしに、私の罪悪感がちょっと軽くなった。


自分の心の傷よりも、私のことを心配してくれている鹿内さんの心遣いが嬉しくて、そして自分がまだまだ子供なんだと思い知らされて、私は泣きたくなった。


「せっかくここまで来たんだ。お茶でも飲んで帰るか?糖分は脳の疲れを吹き飛ばしてくれるって言うだろ?」


「はい!」


鹿内さんはきっとしょぼくれた私を元気つけようと誘ってくれたんだ。


でもなんだかデートに誘われたみたいで嬉しかった。


こんなささいなことで、こんなにも心が満たされるなんて。


・・・やっぱりこの恋を諦められない。


そう思いながら、鹿内さんの顔をそっと見上げた。



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