第12話 彼女役の受難

その女性はチェーン店として人気を博するドーナツ屋の窓ガラスに映る席で、手持ちぶたさにスマホをいじっていた。


長い茶髪をポニーテールにして耳には大振りの赤いイヤリング、黄色い半そでシャツに黒のパンツという原色が良く似合う目元キツめの美人だ。


鹿内さん情報によると、彼女の名前は藤沢良美さん。


鹿内さんより一つ後輩の大学2年生。


鹿内さんの所属している野球サークルのマネージャーさん。


野球部のマネージャーになったのも、鹿内さん目当てだとサークル内では公然の噂だという。


野球部のマネージャーは何人かいるということだけれども、藤沢さんが鹿内さんにばかりかまけているので、マネージャー内の人間関係が悪くなっているそうだ。


何回かされた告白を鹿内さんは全部お断りしているのに、いまだ諦めず校内でも食堂で待ち伏せたり、帰り道を付けられたり、陰で写真を撮られたりするそうだ。


「それってストーカーじゃないですか。」


「ああ。巷ではそう呼ぶらしいな。でも実害がないからこちらとしては打つ手がない。


男女が逆なら犯罪だけど、女に追いかけられている男はただのモテ自慢のひとつになるんだと。聞くところによると、俺に決まった相手がいないから、諦めきれないと言っているらしい。


そこでつぐみの出番だ。」


私は目を凝らして、ちらちらとその藤沢さんの全体像をとらえようと必死だった。


あの人、多分元ヤンだ。


私の本能センサーがそう告げている。


赤くて長いマニュキュア、ポニーテールの毛先が赤く染まっている。


「なんかあの人、怖いんですけど。」


「そこは頑張ってくれ。なるべく馬鹿っぽく、よろしく頼むな。」


時間は17時を少し回ったところで、中途半端な時間帯だからか、店内は程よく空いていた。


ドーナツケースの前を横切り、鹿内さんはポニーテールの彼女の席を目指して真っすぐ歩いていく。


そして私も鹿内さんの後ろを、足取り重く付いていった。


今日は鹿内さんの方から大事な話があると言って、藤沢さんを呼び出したらしい。


藤沢さんはきっとウキウキで待っていることだろう。


その天国から地獄に堕ちるさまの、私は当事者になるのだ。


「急に呼び出して悪かったな。」


鹿内さんが藤沢さんの座っているテーブルの真正面の席に座りながら、そう声を掛けた。


藤沢さんは鹿内さんの顔を見るやいなや、後光が差した仏様のようにうっすらとほほ笑んだ。


「全然悪くないです!鹿内先輩のためならどこへでも行きますので。」


「あ、そう」


藤沢さんと鹿内さんの温度差が、見ていていたたまれない。


「で、先輩。私とのこと、真剣に考えてくれたんですか?」


藤沢さんの期待に満ちたちょっと上目づかいのビーム光線が、鹿内さんの身体全体を照らしているようだった。


「そのことだけどさ。今日は藤沢にハッキリ言っておこうと思って。」


「・・・ハイ。」


「実は、俺、彼女が出来た。」


「え?・・・・・・それ、マジだったんですか?」


藤沢さんは喉の奥から絞り出すような低い声でそうつぶやいた。


さっきまでの甘ったるい声がウソのようだ。


「部内でもそんな噂は聞いていましたけど・・・」


「だからもう俺のこと、付きまとわないでくれる?」


「私、付きまとってなんかないですよ。たまたま通るところに偶然鹿内先輩がいるってだけで。」


「偶然にしては多すぎる気がするんだけど。」


「・・・彼女なんて信じられない!私を諦めさせるための嘘ですよね?だって学内でもそんな女見かけないし。鹿内先輩の周りには男しかいないし。」


その時、後ろの席に座る私の椅子の足を、鹿内さんが軽く蹴った。


その合図とともに私は、鹿内さんの後ろにさりげなく立つ。藤沢さんは制服姿の女子高生の存在なんて目にも入らないらしい。


ああ、鹿内さんの言葉で藤沢さんが諦めてくれていたら、私の出番はなかったのに。


藤沢さん、あなたの往生際が悪いのがいけないのよ。


先に謝っておくわ。本当にゴメンナサイ。


私は思いっきり息を吸い込み、ひょっこりと鹿内さんの背後から顔を出した。


そう。私は今から頭が悪くて、鳥の羽くらい軽い女子高生を演じてみせなければならない。

これは学芸会の出し物。そうでも思わなきゃ、やってられない。


「弘毅!おまたせ!!」


私は鹿内さんの首に両腕を絡ませた。


藤沢さんはメデュ―サの呪いにかかったかのように、


私たち二人の姿を見て石のように固まった。


藤沢さんは私を頭の上から足の爪の先までマジマジと見て、小さくつぶやいた。


「アンタ、誰?」


「お姉さんこそだあれ?私は弘毅の彼女だよ。てへ♡」


「う・・・そでしょ?」


「嘘じゃないよ~!あ、私が女子高生だからびっくりしている?」


「女子高生・・・?」


「弘毅ってこの制服の似合う娘が好みなんだって。ちょっとした変態だよね。


でも私はそんな弘毅も大好きだよ♡」


「な・・・・な・・・・鹿内先輩が変態・・・?」


「お姉さんはもうこの制服似合わなそうだね。残念でした!!


だからもう弘毅に付きまとわないでくれる?つぐみからのお・ね・が・い☆」


私は人差し指を藤沢さんに向けて、左右に揺らしてみせた。


多分、自分がされたら相当イラつく仕草だろう。


藤沢さんは鹿内さんの顔を見ながら、震える声で尋ねた。


「鹿内先輩、この子が鹿内先輩の彼女なんですか?本当ですか?」


「ああ。本当だよ。可愛いだろ?俺の彼女。」


鹿内さんは投げやりにそう言い、その長い足を組み替えた。


「嘘、ですよね?この子、妹さんでしょ?」


「嘘じゃないよ。俺、一人っ子だし。」


「親戚の子でしょ?」


「親戚でもない。正真正銘、俺の彼女だよ。」


そういって鹿内さんは私が回した腕を優しく掴んだ。


藤沢さんは無言でスクっと立ち上がると、憎悪に燃えた視線を私に投げかけた。


そしてその視線は藤沢さんの正面に座った鹿内さんの方へゆっくりと向けられ、その手はテーブルの上に置いてあった氷水の入ったグラスを掴んだ。


次の瞬間、その氷水は放物線を描き、鹿内さんの前髪と顔は、プールから上がりたての児童みたいに濡れ、ぽたぽたと足元に水滴が落ちた。


しばらく時が止まったような時間が過ぎ、鹿内さんは濡れた前髪をかきあげながら、藤沢さんをただ何も感情のない人形のような瞳でみつめて冷たく言い放った。


「気が済んだ?だからもう俺のことは諦めてくれる?」


「鹿内先輩がこんな馬鹿っぽい女子高生を彼女にするなんて、ありえない!」


「なんで?俺の彼女に失礼じゃない?つぐみは俺のオンリーワンだから。」


「・・・っ」


「だからさ。お前も俺みたいな男に貴重な時間を使うのはもうやめろ。


俺はお前のことをこの先も絶対、女としては好きにならないから。」


「女としては・・・?」


「ああ。でもマネージャーとしては優秀だ。だからこれからも他のマネージャーを引っ張っていってくれたらとは思っている。」


店内の客達は少しの間、この修羅場を興味深く覗いていたけれど、またすぐに自分たちの世界に戻って行く。


「それでこのガキっぽい女子高生のことは、女として好きってことですか?」


「そうだよ。さっきからそう言っているだろ?」


「どうしてこんなお馬鹿な女子高生が美也子先輩よりいいんですか?


美也子先輩なら諦めもつくけど、こんな子だったら私、諦めきれない!!」


そう叫んだかと思うと、藤沢さんは椅子に引っ掛けていた赤いリュックを背負い、椅子を蹴とばし、ズンズンと大股で歩きながら店の扉を乱暴に開けて去っていった。


またミヤコさん・・・か。


私はポケットから苺の刺繍入りハンカチを出すと、鹿内さんの濡れた頬を丁寧に拭いてあげた。


「あーあ。イケメンが台無しですね。」


「水も滴るいい男・・・って言ってくれない?」


鹿内さんは私のハンカチを奪い取ると、乱雑に前髪を拭きはじめた。


「なんで女って、こう感情的なんだろうか。」


そう言い放つと鹿内さんはガクッと肩を落とし、顔を地面へ向けた。


「そんな仕草したって同情なんてしませんよ。藤沢さんのハートの方がずぶ濡れなんだから。


きっと鹿内さんが自分でも知らないうちに、思わせぶりなことをしていたんですよ。」


「どうせ全部俺が悪いんだろうな。こんな振り方しかできなくてさ」


鹿内さんはやれやれと一仕事を終えた口調で、ブルゾンの裾の皺を直した。


「つぐみ、お疲れ。みっともないところ見せて悪かったな。」


「今更そんなこと言われても・・・。私の罪悪感、ハンパないですから。


なんで恋愛のいろはも知らないのに、こんな修羅場を体験しなきゃならないんだか。


こんなことをしなきゃならないのが、男を好きになるってことなんですね。


私、男が嫌いで良かった!」


乱れた制服のリボンを直しながら、私は恨みがましい顔を鹿内さんに向けた。


「ほんと、それな。俺も愛するなんて感情を持ち合わせてなくて良かったよ。」


「ほら。肩のところも濡れている。ちゃんと拭かないと風邪ひきますよ。」


私は鹿内さんの手の平のハンカチを取り上げ、その大きな肩を拭いてあげた。


「あー鹿内さんってほんと鬼畜。藤沢さん、振られてよかったんじゃないですか?


これで新しい恋に走り出せるってものです。」


「そうだな。」


「イケメンさんも大変ですね。すごく勉強になりました。」


「俺だって好きでこんなことしているわけじゃないよ。」


「はいはい。」


私だって心の底ではわかっている。


これが鹿内さん流の優しさなんだって。


その気もない相手に中途半端に優しくされるのは、蛇の生殺しとおんなじだ。


これまでも鹿内さんは、相手のために自分を悪役にして生きてきたのだろう。


叩いた手の平は、叩かれた頬より、心が痛い時もあるのかもしれない。


「それはそうと、今ので本当にストーカー行為が止みますかね?


諦めきれないとか叫んでいましたけど。」


「大丈夫だろ。アイツ気性は荒いけど、筋は通す女だと信じてもいるから。」


「明日、学内中に女子高生の制服が好きな変態って噂が立つかもしれないですよ?


それでいいんですか?」


「別にどうでもいいよ。それで離れていくヤツはその程度の関係だったってだけだから。」


そう言うと、鹿内さんは私のおでこを人差し指でつついた。


「それにしてもつぐみちゃん、真に迫ったいい演技だったぜ。アカデミー新人賞並みだ。


俺、ほんとにつぐみちゃんと付き合っているのかなって錯覚したよ。」


「褒められたって、全然嬉しくないんですけど。」


「よし!お礼に今日は好きなだけドーナツ食っていいよ。俺のおごりだ。」


この罪悪感をドーナツでチャラにしようなんて、なんか納得いかないけど、せっかくなので私はプレートを持ってチョコドーナツとオールドファッションを取りに席を立った。


「あ、俺の分もよろしく!」


鹿内さんがドーナツの並ぶ棚を指さしながら、はしゃいだ口調で言った。


この男、氷水をぶっかけられた後で、よく平然とドーナツなんて食べられるな・・・。


チョコドーナツをモグモグと口に入れながら、私は鹿内さんに尋ねた。


「他にもつきまとってくる女性がいるんですよね?そっちはどうするんですか?」


「あー。そっちは今回よりもっとやっかいなんだよな。」


鹿内さんは指先についたドーナッツの砂糖をナプキンで拭くと、項垂れた。


「さっき藤沢も名前出していたと思うけど、高校時代から同級生の神宮司美也子っていう女がいてさ。そいつ俺のことを大学まで追ってきたんだぜ。スゴイだろ?」


何がスゴイのだろう。


そこまで追いかける美也子さんの方?


それとも追いかけられる鹿内さんが?


「その人のこと、薫さんから聞きました。ミス早慶大を取ったすごい美女なんでしょ?」


「まあ美人だし性格いいし、スタイルもいいし、勉強熱心で非の打ちどころのない女だけどさ・・・」


初めて鹿内さんが女性を褒めた!


それって特別ってことじゃない?


「こういう時こそ社会勉強だと思って付き合ってみたらどうですか?


案外お似合いなんじゃないですか?」


「ミス早慶大の女なんて、俺なんかとは釣り合わねーよ。」


「贅沢言っちゃって。」


「ま、他人からみれば贅沢な悩みかもな。」


「恋愛は愛される方が幸せになれる、って聞いたことありますけど。」


「それは相手による。」


「本当はまんざらでもないんじゃないんですか?

美也子さんが完璧すぎて、もし本気になったら嫉妬の塊になるのが怖いんじゃないんですか?」


「・・・しつこいな。ご想像にお任せするよ。も、いい?」


珍しく歯切れが悪い鹿内さん。やっぱり本当は美也子さんの事、憎からず思ってるのかも。


まったく男ってやつは、変なところで戸惑ったりやせ我慢したりするのよね。


ああ、やれやれ。面倒くさい生き物ね、全く。


ここでこの話が終われば良かったのだけれど、この一連の行為の一部分を、ドーナツショップの窓ガラスの向こうから見ていた人物がいたことに、その時の私はまだ気づいていなかった。






「つぐみ。ちょっといい?」


ソファーでおせんべいを齧りながらお笑い番組を観ていた私に、ママが珍しく真面目な口調でテーブルの席に座りなさい、と目で合図してきた。


「んーもうちょっとだけ待って」


今ちょうどサンドイッチマンのコントのオチが、終わりそうなところなのだ。


けれどママは無情にも、リモコンでバチンとテレビを消してしまった。


もう少しで富澤さんの「ちょっと何言っているか分かんないですけど」が聞けたのに。


私はしぶしぶママの真ん前の定位置の椅子に腰かけた。


「・・・・・」


ママは私の顔をじーっと見つめた。


なに?これ何の時間?


成績が下がったわけでもないし、ちゃんと門限まで帰ってきているし、お説教されるようなことに思い当たることは何もなかった。


「つぐみ。アナタ何かママに隠していることあるでしょ?」


「え?」


私はぎくりとして思わず背筋を伸ばした。


「ママ、怒らないから、正直に話してごらんなさい。」


まさか鹿内さん、あのマグカップのことをママに密告したとか?


そうだとしたらルール違反だ。


ちゃんと鹿内さんの言われた通り、見事彼女役を演じてみせたではないか。


私は恐る恐るママに探りをいれてみた。


「もしかして・・・鹿内さんになにか聞いたとか?」


「聞いてないわ。そりゃママは鹿内君のことは信頼しているわよ?でもやっぱり最初は娘であるつぐみからちゃんと報告してもらいたいわ。だって大事なことだから。」


え?やっぱりマグカップのこと?


「それとも鹿内君と一緒じゃないと話せないかしら?二人のことだものね。」


ん?二人の事??


「あの~ちょっと何言っているかわからないんですけど」


さっき聞けなかったサンド富澤さんの定番のセリフを言ってみた。


「もう!隠さなくったって裏は取れているんだから。ママ、駅前のドーナツショップであなた達のこと見ていたんだからね。」


「へ?」


「駅前のドーナツショップ!あそこに鹿内君といたの、ママ見ちゃったもん。」


え?ウソでしょ?あれをママに見られていた?


「何それ?誰かと見間違えたんじゃないの?」


私は目を泳がせながら、必死にごまかそうと試みた。


「いいえ。たしかにあれは鹿内君とつぐみでした!親が娘のこと見間違えるわけないでしょ?


ましてや鹿内君なんてあのルックスだもん。まるで田んぼに立つ案山子くらい目立っていたわよ?」


「あーあれね。そういえば駅で偶然!バッタリ会って、ドーナツおごってもらったの忘れてた!


ただそれだけだよ?」


「あら。つぐみ、ものすごく大胆なこと、していたけど?」


ママったらどこから私たちのこと見ていたんだろう?


そんな私の胸の内などお構いなしに、ママは何でもお見通しという風に目尻を下げた。


「つぐみったら・・・鹿内君の首に両腕を絡ませちゃって。あれあすなろ抱きっていうのよ。」


「あすなろ抱き?」


「キムタクが石田ひかりにバックハグして俺じゃダメか?ってね。つぐみ、あれを鹿内君にしていたでしょ。もしかして三角関係のもつれ?鹿内君、あの派手な女の子にお水ぶっかけられていたけど、つぐみ、アンタ略奪しちゃったの?」


「ママ?それにはね、色々と事情があって・・・」


「判っているのよ。鹿内君を想う気持ちが暴走してしまったってことよね。


つぐみにそんな情熱的な感情があったなんてママ嬉しいわ。・・・で?」


「・・・で?ってなに?」


「鹿内君とはどこまで行っているの?もうキスくらいはしたの?」


「するわけないでしょ!」


「つぐみ。鹿内君をしっかり掴まえておきなさいよ。嬉しいわ~。あんな素敵な子が私の息子になるなんて。」


ママは神様に祈るように両手を組んで、夢見る乙女のようにひとり滔々と語りだした。


「でもつぐみ。すぐに許しちゃダメよ。出し惜しみしないと。男は釣った魚にエサはやらなくなるからね。パパがそのいい例よ。」


「パパは今でも十分ママに優しいじゃない。」


「結婚前はもっと優しかったのよ!ああママがあと20歳若かったらつぐみとライバル関係になっていたかもしれないわね。うふふ。」


「ママにはパパがいるでしょ!」


いや、そういうことを言いたいんじゃなくて。


「あらあら妬いちゃって。うふふふ」


ダメだ。今、なにを言ってもママは聞く耳を持たない。


仮に鹿内さんの彼女役をやっていると打ち明けたらどうしてそんなことをしているのかと理由を聞かれる。


そしたらママのマグカップのことを話さなくてはならなくなる。


それは絶対に避けたい。


そうじゃなきゃ私のしたことが水の泡だ。


ここは一旦ママに誤解させておこう。


そのうち鹿内さんはこの家から出て行くだろうから、それまで乗り切れれば。


「あのさ、パパには・・・」


「パパには話してないから安心なさいな。パパにそんなこと知られたら、もう大変!もしかしたら鹿内君のこと、この家から追い出してしまうかもしれないからね。そんなの嫌でしょ?」


「う、うん。」


とりあえずパパの耳にはいってないことは不幸中の幸いだ。


私は偽彼女なのだから、そんなことで鹿内さんが家から追い出されたら可哀想だ。


「ね。つぐみは鹿内君のどこに惹かれたの?」


どこに・・・と言われてもね。


外面がよくて、実は女が大嫌いで俺様で、好きになる要素なんてひとつもない。


だけど、最近鹿内さんと話すのが楽しくなってきている自分がいるのも事実だ。


鹿内さんはデリカシーのない私の質問にも、いつも正直に自分の気持ちを伝えてくれる。


お互い異性として意識する必要がないから、話していてすごく楽。


「一緒にいて楽なの。」


そういう私にママはひまわりのような笑顔で言った。


「そう!そういう気持ちが大事なのよ。


イケメンとか頭が良いとかそんなの大したことじゃないのよね。」


ママは薬指にはまっている結婚指輪を、自分の顔の前にかざした。


「パパはイケメンじゃないけど、ママはそんなこと関係なかったな。


パパじゃなきゃ心の穴を塞げない何かがあったのよね。」


心の穴を塞ぐ、か。


鹿内さんはそんな人を必要としていないみたいだけど。


それに鹿内さんがこの家を出て行くときには、私と鹿内さんて、赤の他人なんだよね。


だってもう一緒にいる理由なんてないもの。


その日を思ったら何故だか胸の奥をかすかにチクリと小さな針が刺さったような痛みが走った。


ん?この微かな痛みはなんなんだ?




「鹿内さんに残念なお知らせがあります。」


私は鹿内さんの部屋のベッドの上に座り、机に向かって大学の課題に取り組んでいるその大きな背中を見ながら口を尖らせた。


「どうしたの?レポート仕上げなきゃならないから、手短にお願いするよ。」


私の方を振り向きもせず、その視線はノートと教科書のみに集中され、私は話す気が削がれた。


「・・・やっぱりいいです。そちらがお暇なときで。」


私はそのグレーのコットンカバーがかけられているベッドからお尻を離して、塩対応な鹿内さんを、醒めた目で眺めた。


だから男ってやつは嫌いなのだ。


自分勝手で人の話なんて聞きやしない。


「お勉強の邪魔をしてすみませんでした!失礼します。」


私がドアノブを握ったとき、鹿内さんは初めて顔を上げた。


「話せよ。気になって勉強に集中できないだろう?」


「いや、ほんとにたいしたことじゃないんで。」


「いいから話せ。」


そう言って乱暴にペンを机に置くと、椅子をくるりと回転させ、親指を立てて私をもう一度ベッドの上に座るよう促した。


「で?残念な話って?」


私はすこし口ごもっていたけれど、思い切って言葉を吐いた。


「あのですね。ママにアノ現場を見られていまして。」


「アノ現場?」


「はい。私がアカデミー新人賞を受賞したアノ現場です。」


「へえ。」


鹿内さんは両腕をだらりとたらし、天を見上げた。


「へえって。大切なことですよ!」


「それで君のママはなんて?」


「なんかママがひとりで盛り上がっちゃって。つぐみ、よくやったわねって喜んじゃって。」


一瞬鹿内さんは真顔になったあと、くしゃりとその表情が崩れて背中を丸め、フッと息を噴き出した。


「あの、鹿内さん?」


私がきょとんとしていると鹿内さんはもうこらえきれないというように顔を上げて、爆笑した。


「あーはははは!!これで晴れて俺は君のママ公認の彼氏ってわけだ。」


「笑いごとじゃないですよ。」


「だって最高のシチュエーションじゃないか。


男嫌いの女の子の初恋の相手なんて、なかなかなれるものじゃない。」


「誰のせいだと思っているんですか?冗談じゃありませんよ。まったく。」


「まあそう怒るなって。」


「パパにバレないように、ママにはきつく口止めしましたけど・・・。」


「なぜ?」


「パパにバレたらもっと面倒くさいことになるからです。


近い将来、鹿内さんだってこの家を出るときがくるでしょう?


そのとき私と鹿内さんが別れたなんて知ったら、鹿内さん、パパに殺されますよ?


パパ普段は優しいけど、怒ると鬼のように怖いんです。


特に私が絡むとものすごいんです。


幼い頃、私が知らない男に連れ去られそうのなったことは知っていますよね?


パパ、その男を出刃包丁持って殺しに行こうとしたそうだから。」


「ふーん。つぐみちゃんと付き合う男は大変だ。別れても結ばれても、パパに殺される。」


「私は信二兄ちゃんの親友である鹿内さんとパパが、こんなことで仲違いなんてして欲しくないんです。」


「・・・なんで別れるのが前提なわけ?」


「だって・・・鹿内さんは私のことなんてこれっぽっちも好きじゃないでしょ?


私みたいな女とはとっとと縁を切りたいっていうのが鹿内さんの本音ですよね。」


すると鹿内さんはものすごい気迫で反論した。


「は?馬鹿なこと言うなよ。つぐみには今も、この先も、ずっと仲良くして欲しいと思っている。縁を切りたいなんて一ミリも思っていない。それが本音だよ。

バーで言ったことだって本気だ。もし君の未来に俺よりいい男が現れなかったら俺を利用すればいい。俺はこの先、女を愛する予定なんてないからな。」


「私は鹿内さんの未来を縛りたくありません。鹿内さんだってこの先愛する人が現れるかもしれない。そんな投げやりにならないで、鹿内さんは自分の未来をもっと大切にしたほうがいいと思います。」


「だから俺は愛なんて必要としてないって言ってんだろ?」


鹿内さんはため息まじりにそう言うと、腕を組んだ。


「・・・そういうことなので、よろしくお願いします。」


私は小さくお辞儀をして、鹿内さんの部屋を出た。






梅雨の雨が紫陽花の葉を揺らす日の午後、信二兄ちゃんが彼女を連れて家にやってきた。


その彼女、福岡ゆりさんは写真で見るよりさらにパンチが効いている風貌をしていた。


蛍光ピンクのワンピースに黒い網タイツ、ウインナーのような指につけられたマニキュアは


ゴールドのラメがキラキラと光り輝いていた。


「福岡ゆりです。信二さんとお付き合いさせてもらってます!」


ママは信二兄ちゃん達が買ってきてくれたイチゴのショートケーキを皿に乗せながら、


どちらともなく聞いた。


「ゆりさんはおいくつなの?」


「ゆりは今年ハタチになるんだよな?」


「はい。今年の8月でハタチになります。」


鹿内さんは興味なさげに頬杖をついて、ママが出してくれたショートケーキのスポンジを


さっそくフォークに突き刺している。


「ところで弘毅。もうここでの暮らしは慣れたか?」


「ああ。良くしてもらっている。最高の住み心地だ。」


「そうだろ。兄さんも真理子さんも気のいい人だから。つぐみもいいコだし。」


「鹿内君、ウチにいつまでもいてもらってもいいのよ。遠慮しないでね。」


ママはそういいながら皆に紅茶を配った。


「いや・・・金が貯まったらすぐにでも出ていきますので。それまでお世話になります。」


鹿内さんがママにゆっくりと頭を下げる。


「あの・・・信二兄ちゃんとゆりさんはどこで知り合ったの?」


私は二人の馴れ初めに興味津々だった。


世の男女はどこでどうやって恋のお相手を見つけるんだろう。


私には想像もつかない。


信二兄ちゃんなら、気軽に答えてくれそうだ。


思ったとおり信二兄ちゃんはこの話題にさっそく食い付いてきた。


「どこだと思う?ふっふっ。」


もったいぶっているけれど、話したくてたまらない様子の信二兄ちゃん。


「合コンとか?」


「違うって。うちらの出会いはもっと運命的だよ。ある日バイトが終わって帰ろうとしたら、急に雨が降り出して、軒下でどうしようって思っていたんだ。


そしたらバイト先のカフェバーのお客さんだったゆりちゃんが、


傘を差しかけてくれて。駅までご一緒しませんかって。」


「え、ロマンチック!!信二兄ちゃんモテてる!!」


私はちょっと信二兄ちゃんの優越感を持ち上げるように言った。


「実はお店にいるときから、素敵な人がいるなって私、思っていたんです。


だから思い切って声掛けちゃいました。」


「その時に連絡先交換して、今に至るってワケよ。」


たしかにバイト先での信二兄ちゃんはカッコイイ。


料理の腕も確かだけど、立ち振る舞いというかお客への心遣いが職人という感じだ。


「そんなこと少女漫画でしか起こらないと思っていた。」


私は感嘆のため息をついた。


「俺はてっきりマッチングアプリかなんかで知り合ったのかと。」


「アホ抜かせ。こう見えても俺はやるときはやる男さ。


女心を全く理解出来ないお前と違ってな。」


「ははっ。そうだな。」


鹿内さんはなんのてらいもなく、そう笑い飛ばした。


「そうだ!今日はこれを持って来たんだった。」


信二兄ちゃんは皮のショルダーバッグの中をゴソゴソとまさぐり始めた。


「これこれ。夢の国のチケット。誰かさんからのプレゼント。」


「誰かさん?」


私は首を傾げた。


机の上には夢の国ディズニーランドのチケットが神々しく2枚置かれていた。


「私達、もう先週ディズニーシーに行ってきたばかりなんです。」


ゆりさんはこれみよがしに髪をかき上げると、ミッキーマウスのイヤリングを


チラリと私たちに見せつけた。


「これ、つぐみにやるよ。お前、好きだろ?ディズニーランド。」


「えっ!本当?やった!ありがとう!!」


明日のお昼休みにでも沙耶を誘うことにしよう。


私がチケットを掴もうとすると、信二兄ちゃんはスッとそれを自分の方へ引き寄せた。


「ただし条件がある。つぐみ、お前最近、弘毅と面白いことになっているんだってな?」


そう。鹿内さんは信二兄ちゃんだけには、私が偽彼女をしているということを打ち明けているらしい。


一方、ママは私と鹿内さんが本当につき合っていると思っている。


ママは私の顔を見て、ウインクした。


「信二君も知っていたのね。そうつぐみと鹿内君、いま面白いことになっているのよ。」


ママと信二兄ちゃん、同じ事言っているけど、意味は全然違うからね。


「だからディズニーランドへは弘毅と一緒に行ってこい。


でなきゃ、このチケットは渡せないなあ。」


「ええ??」


信二兄ちゃんは私のこの状況をきっと楽しんでいるんだ。


元はと言えば全部、ママのマグカップの件を鹿内さんにばらした信二兄ちゃんのせいなのに!


ゆっくり右隣に首を回すと、最後に残しておいたであろうショートケーキのイチゴを頬張る鹿内さんと目があった。


そして鹿内さんは偽物の笑顔で私を見た。


「つぐみちゃん。どうする?」


鹿内さんは残りの紅茶を一気飲みすると、そう優しい声を出した。


でもいつもの本音で話す鹿内さんの声とは違う。


お情けで行ってもらうなんて冗談じゃない。


「いや、鹿内さんはいつも忙しそうだし、大丈夫です」


私は鹿内さんを睨みながらそう毅然と言い放った。


「つぐみ。せっかくなんだから鹿内君と行ってらっしゃいよ。そんな意地張らないで。ね!」


「そうだぞ。弘毅と行ってくれば?」


鹿内さんがテーブルの下で私の足を軽く蹴る。


その顔は(君は俺を好きな設定だろ?)と書いてあった。


「つぐみちゃん。こんなイケメンさんとディズニーランド行けるなんて、羨ましいな。」


ゆりさんまでニヤニヤしながら、そんなことを言い出した。


いいわよ。やってやるわよ。私の演技力はアカデミー新人賞並みなんだから。


「・・・じゃ、じゃあ鹿内さんに連れていってもらおうかな~♡


私、ミッキーよりチップアンドディール派なんだ。


あ、シンデレラ城の写真も撮らなきゃ!


鹿内さんとディズニー行けるなんて楽しみ~♡」


私はいつもより甘ったるい声ではしゃいで見せた。


「それじゃつぐみちゃん、よろしくな。」


「はい!よろしくお願いします!」


「鹿内君、つぐみの事頼んだわね。


この子一人でどんどん歩いていっちゃうから、目を離さないであげてね。」


「はい。お任せください。」


ママは一仕事終えたように、カップを両手で持ちながら紅茶を美味しそうに飲んでいる。


もしかして私、信二兄ちゃんの手の平で踊らされているのではなかろうか?




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