第7話 ファーストコンタクト③

知らない男がウチに住むのを嫌がってはいたものの、拍子抜けするくらい鹿内さんとはほとんど家ででくわすことはなかった。

朝は私の方が早く学校に行くし、鹿内さんも平日は大学、夜もほぼ毎日居酒屋のバイトで働いて午前1時くらいに帰り、お風呂も当然夜中に済ます、といった生活サイクルを送っていた。


やはりいくら親友の親戚の家とはいえ、見知らぬ他人の家族と接するのは気が引けるのだろう。


早くお金を貯めて、ボロアパートでもいいから一人暮らしがしたいに違いない。


それにしても鹿内さんのご両親は一人息子を住むところもない状態にするなんてどういうことだろう。たった一人っきりの息子が可愛くないのだろうか。


さすがにその辺は、鹿内さんに同情するけど。


学校の昼休憩になり、私はいつものように沙耶と東校舎寄りの中庭で昼食を食べていた。


「ねえ。自分の親がいるのに、家にいられない状態ってどういうことだと思う?」


私の素朴な疑問に、沙耶は目を丸くしてコーヒー牛乳を飲み込んだ。


「なによ。つぐみの家、そんなシリアスなことになっているの?」


「いやいや、私の事じゃないんだけどね。その・・・知り合いの知り合いの親がちょっと、ね。」


「知り合いの知り合いなんて赤の他人じゃない。


そんな人のことを心配してもしょうがなくない?」


ドライな沙耶らしい答えが返ってきた。


「まあ・・・赤の他人ではあるんだけどさ。」


「なになに?気になる人が出来ちゃった系?」


「逆の意味でね」


正直、鹿内さんには早く問題を解決してもらって、家から出て行って欲しい。


見知らぬ他人の男がそばにいると思うと、自分の家なのに落ち着かないのだ。


私はママが作ってくれたお弁当の卵焼きを箸でつつきながら、自分の両親の顔を思い出す。


重い買い物があるときはいつも車で買い出しに付き合うパパ。


どんなにパパの帰りが遅くなっても、寝ないで待っているママ。


娘の私から見ても仲がいい熟年バカップル。


もしも私に結婚という未来の選択肢があるなら、あんな夫婦になりたい。


・・・そしてそんな二人に甘やかされて育った私。


だから大人の事情で家を追い出される状態があるなんて、今まで一ミリも考えたことがなかった。


「実はうちのお父さん、浮気しているみたいでさ。」


唐突に沙耶がカレーパンの袋を開きながらつぶやいた。


「え・・・?」


「会社の若い部下とデキちゃったらしいの。


でもお母さんは見て見ぬふりを決め込んでいる。


波風立てたくないんじゃないの?


お父さんのこと、もうどーでもいいってカンジ?


私がいるから離婚だけは避けたいみたいだけどさ。


子はかすがいなんていうけど、そんなことの理由に使われたんじゃたまんないよ。


夫婦もあんだけ冷めちゃったらお終いだよね。」


沙耶の家がそんなことになっているなんて、ちっとも知らなかった。


どうやら地雷を踏んでしまったようだ。


しかし沙耶のパパも不倫か。


やっぱり男ってヤツは信用できない。


「だ・か・ら!」


やさぐれ女の告白みたいな口調から、アイドル歌手のセリフ回しに180度方向転換して、


人差し指を3回揺らして見せた。


「私は絶対に浮気なんかしない男と付き合いたいの!


それなのに私と付き合う男は皆チャラ男ばかりでさ。


あーあ、どこかに真面目で誠実でイケメンな男いないかな。」


そんな三拍子揃った男、いるわけないよ。


それにしてもやっぱり沙耶のなかでは、イケメンは必須項目なのね。


でも不倫で報道される俳優も芸人も、イケメンで好感度高い人が多いじゃない。


「そっかあ。なんか、申し訳ない!!変なこと聞いちゃって。」


私は机にゴツンと頭をぶつけた。


「別に~もうそういう状態に慣れっこだから気にしないでよ。」


沙耶はぽんっと両手を私の肩に乗せると、にっと笑いかけた。


「親の事なんてもう放っておいてさ、自分の事を考えなきゃ!


将来泣きを見ないために色んな男を観察することも必要よ。


だからつぐみも今度合コン、一緒に行こうよね!」


「だから!合コンなんて行かないって!女子高生と付き合いたい成人男性なんてロリコンに決まっているじゃないの。気持ち悪い。」


「そう言わずにさ。」


沙耶が私の左腕を掴んで揺らしてくる。


まったく、懲りない人だねえ、沙耶も。


親がそんな状態なのに合コンで男を捕まえにいく、という沙耶の発想と行動力はすごいというかポジティブというか、私には到底真似できない。


私だったら・・・今よりもっと男性不信になってしまいそうだ。


「だからその知り合いの知り合いさんの家もそんな感じなんじゃないの?


親が不倫したとか、それで放置されて育ったとかさ」


鹿内さんの親が不倫・・・・そういうことなのかな?


どことなく影のある雰囲気は、それが原因?


でもどうしてそれで鹿内さんが家を出ていかなければならないんだろう?


不倫しなかった方の親と、生活することは出来ないものなの?


両親に甘えてぬくぬくと暮らしているこのときの私はまだ、鹿内さんが置かれた境遇に思いを馳せることなど出来ない、ちっぽけな子供だったのだ。




私は愛犬ポメラニアンのモモとの散歩を、夕方5時からのルーティンとしている。


モモはこの散歩を楽しみにしているようで、軽快な足取りで歩道を歩いて行く。


桜並木を通り、大きな車道を超えるとハナミズキの花が植えられている、ブランコと砂場しかない小さな公園がある。


花壇にはパンジーの花が植えられていて、紫、白、黄色の花たちが春を感じさせるように誇らしげに咲いている。


幼い頃はこの公園でパパとよくボール遊びをして遊んだものだ。


ここで一休みをするのが私とモモの日課だ。


子供の頃からあるペンキの剥げかけたベンチに座り、持ってきたペットボトルのお茶を口に含む。


しばらくすると眼鏡をかけたボーダーTシャツのお姉さんが、柴犬を連れて公園に入って来た。


初めて見る顔だな、と思って見ていると柴犬がぐいぐいと紐を引っ張りながら私たちのいるベンチの方へ歩いてきた。


「ワン!」


柴犬が大きな声で吠えたので、モモはびくっとして私の膝に乗ってきた。


「ごめんなさいね。脅かしてしまって。こら、小太郎謝りなさい!」


小太郎と呼ばれた柴犬はクイーンと情けない声を上げた。


するとモモは嬉しそうにキャンキャンと吠えた。


「小太郎ったらすっかりモモちゃんの事、気に入っちゃったみたいね。」


あれ?今サラッとモモって言った?


「あの・・・どうして初対面なのにモモの名前を知っているんですか?」


「あら初対面じゃないわよ。


たまに午前中に背の高い男の人がモモちゃんを散歩させているから。」


「ええ?」


「それで小太郎がモモちゃんを見初めちゃったからお名前を聞いたのよね。


あの人あなたのお兄さん?」


背の高いってもしかして・・・鹿内さん!?


「あの人は最近来たばかりの、ウチの居候です。モモの世話を頼んだ覚えはないんですけど。」


私はきっぱりと言い放った。


「そう。でもモモちゃん、大層なついているわね。」


「え?モモ、なついているんですか?鹿内さんに?」


「ええ。いつもすりすり顔を撫でさせているわよ。」


「本当ですか?!」


この人見知りのモモが。


沙耶が遊びに来た時もまったく愛想を振りまかなかったモモが。


家に来てまだ間もないあの男に懐いているなんて!


そういえばモモ、アンタもメス犬だったわね。


モモもイケメンに弱いの?


「その居候さんのお名前、鹿内さんっていうの?」


「たしかそんな名前だったと思います。」


私はわざと、さも自分とは関係のない人という風に言った。


「素敵なお兄さんね。まるでメンズノンノのモデルさんみたい。


いや、ジュノンスーパーボーイコンテストに出たら審査員特別賞もらっちゃうかもね。」


「そうですね」


面倒くさいから適当に相槌を打っておく。


たしかに見ているだけなら格好いいものね。


「お家ではどんなカンジ?」


「甘いものが大好きで、よくお菓子を食べています。


ご飯もモリモリ食べますし、食べ物の好き嫌いもないみたいです。


あと、趣味は野球みたいです。」


それくらいのプロフィールしか知らないから、これ以上突っ込まないで欲しいんだけど。


そんな私の心配は杞憂だったらしく、お姉さんはそれ以上追及してこなかったのでホッとした。


「へえ。良く食べる男の人って素敵よね。」


「そうですね。」


良く食べる男が素敵なら、大食い選手権に出ているジャンボ白田やお相撲さんも良く食べるけど。素性もよく知らない男に、何故そんなすぐに好感がもてるのか、私にはさっぱりわからない。


私はただただ愛想笑いして、モモを撫でた。


多分だけど、お姉さんも、鹿内さんを見初めちゃったのでしょ?


「私は高坂真奈美。あなたは?」


「山本つぐみといいます。」


「じゃあつぐみちゃん、またここで会いましょうね。その・・・鹿内さんにもよろしくね。


小太郎行くよ!」


小太郎は名残惜しそうにモモの側から離れ、モモも去り行く小太郎を見つめている。


どうやら二匹は相思相愛の関係みたい。


それにしても、モモは鹿内さんに懐いちゃっているの?


モモは私が小学校4年の時に近くの公園に捨てられていたポメラニアンだ。


段ボールの中に入れられたその子犬は、自分を助けてくれるのはこの人しかいないとでも言うような目で私をみつめていた。


そんな子犬を私はそこへ置いていくことなんて出来なかった。


パパとママにどうしてもウチで飼いたいと、涙ながらに頼み込んだ。


なるべくワガママを言わないようにしてきたけど、この時ばかりは一生分のワガママの権利を使ったと思う。


子犬の名前は、その時図書館で借りて読んでいた本の題名である「モモ」から頂いた。


あれから早7年、モモとは深い絆を結んできたと私は勝手に思っている。


どちらかというとモモは人見知りで、基本家族以外には身体を触らせない。


そんなモモが新参者の鹿内さんにも懐いているなんて・・・。


しかも勝手に散歩に行っているなんて全然知らなかった。


鹿内さんは優しさでしてくれていることかもしれないけど、余計なお世話だ。


やんわりモモへの過干渉を止めてもらえるように言わなきゃ。


私はモモのリードを引っ張りながら、吐く息も荒く家路を急いだ。


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